私にとってあなたはみかんゼリーのようなもの

 彼女欲しい、がここ最近の口癖になっていた雅也に彼女が出来た。

相手は隣のクラスの種田小夏というダンス部の子だった。小夏と私は一年の時に同じクラスだったため存在を知っている。

目が大きくていつもポニーテールの子。時折、編み込みをしてくると仲良しの友達に嬉しそうに伝えていた。

私は彼女と一年間、同じクラスだったが話したことがあるのは数えるほど。そのほとんどが二言三言だ。小夏と過ごした一年間よりも陸人と初めて出会った一日のほうが多く話している。

小夏は見た目は華やかだけどそんなにうるさい方ではない。雅也と似ているタイプには見えないけれど意外に押しに弱いタイプだ。一年の時も同じクラスの男子の押しに負けて交際していた。私は雅也が小夏のことを気に入っていたことを知っている。小夏のことを直輝たちに可愛い可愛いと言っていたし、小夏と喋っているときの様子が望美たちと喋っているときとは違うことは一目瞭然だったから。

元々、好きな子に対して行動力がある雅也だから小夏は雅也の押しに負けたのではないか。私には関係ないことだけど私はそんなことを考えながら彼らの情報リストに新たな情報を書き加えた。

「今度の日曜日、小夏ちゃんと制服デ〇ズニーするんだ!」

浮かれた様子の雅也が小夏とのデート予定をみんなに話す。

「いいなあ!私も制服デ〇ズニー行きたい!」

声を上げる望美が直輝の様子を窺う。直輝はそれに気付いていないのか雅也の顔を見たままだ。

「このグループの彼女持ち第一号じゃん!」

彼氏持ちの愛花が大きな声で笑う。

「七人中三人が彼氏彼女持ちか……」

由美の言葉に他の四人が押し黙る。

「お前らどんなやつがタイプなの?」

雅也が残りの四人に質問する。残りの四人とは勿論、直輝、智也、望美、さとみのメンバーだ。この四人に恋愛の質問をするなんて状況を把握するのが下手な雅也にしか出来ないことだろう。

四人の顔色を窺うように由美が視線を泳がす。愛花は楽し気な好奇心を交えた目をしている。

「俺は……新〇結衣みたいな子かな!」

口火を切ったのは智也だった。王道の芸能人の名前を出すなんて智也らしい逃げ技だ。

「可愛い、確かに可愛い!」

「そんな子いないから!いたとしても智也じゃ無理だよ!」

「そうだよ、芸能人になれるくらいイケメンじゃないと。」

「みんなひどいな~。」

口々に物申すメンバーに気にしていない様子の智也が笑う。その顔をさとみがじっと見つめていた。

「じゃあ、望美は?」

智也の隣にいた望美に質問がまわる。

「私はね、優しくて私の我がままに応えてくれる人!」

望美がそう言って直輝の顔を盗み見る。直輝は、へえ~と言った表情で望美を見ていた。

「直輝はどんな人がタイプなの?」

愛花が楽しそうに質問を投げる。

直輝が、俺?と聞き返して、そうだな~俺は…と考えているような表情を見せる。

「素直でストレートな子!」

勢いよく答える直輝に他のメンバーが微妙な顔をする。

「ああ……素直でストレートねえ……」

「いや……ストレートってどういう意味……?髪型⁇」

「素直な子って明るくて元気な感じの子が多いよね……?」

他のメンバーの視線がチラチラと自分に注いでいるのに気付いて慌ててそっぽうを向いた。それから買ったばかりでまだ開いてもいない小説を開いて読書しているふりをしながら彼らの様子を盗み見る。

「それだったら!」

望美が何か言いたげな声を上げる。メンバー全員の視線が望美へと向かう。直輝も望美を見る。直輝の目を見る望美と首をかしげて何を言うのか待っている様子の直輝。望美の言いたいことは私には分かっている。

それだったら私の方があなたのタイプに当てはまっているじゃないか、と言いたいのだろう。でも望美はそれを言わずに言葉を飲み込んでみんなに、何でもない。と言った。それからこれ以上は何も質問するなと言いたげに視線を彼らとは別の方向へと泳がした。

「さとみは?さとみはどんな人がタイプなの?」

話の流れからして自分に質問がいくことは明白なはずだったのにさとみはその質問をまるで初めて聞くかのような顔で目を見開く。

「私は、私は、」

考えるように何度も何度も同じ言葉を繰り返す。

「分からない。好きになった人が好き。」

さとみの言葉に愛花が、そうだよね~!そりゃそうだ!私も好きになった人が好き!と声を上げた。

彼女の声はいつもと何一つ変わらなく、大きくてよく響く。

愛花の声が教室中に木霊した。



 放課後、掃除の時間を終えて学校という箱から抜け出した私は陸人の家に向かう前に学校の隣にあるコンビニへと立ち寄った。

コンビニの安い自社製品のお茶を冷蔵コーナーから取り出してスイーツコーナーを眺める。私は子供のころから好きでよく買っているみかんゼリーを見つけるとそれを手に取った。

みかんゼリーを見つけると手に取ってしまうのは子供のころからの癖みたいなものだ。子供のころ、私はみかんゼリーが好きだった。みかんゼリーを見つけるといつも親にねだって買ってもらっていた。

「サナはみかんゼリーが大好きなのね。」

母が微笑む。

「うん!サナ、みかんゼリー大好き!」

幼い私がそう言って無邪気に笑う。

母が死んだ今でも私はみかんゼリーを見つけるとそれを手に取ることをやめられない。決して高級なものでもないのに、もっと美味しいものは世の中に沢山あるのに私はそれをやめられない。ある種の癖みたいなものだ。もしくは習慣。みかんゼリーは美味しいから目に入ると手に取ってしまう。だけどみかんゼリーがないと生きていけないわけではない。みかんゼリーがなくても私は生きていける。目に入らない時はみかんゼリーのことなど考えないし、みかんゼリーを恋しく思うことはない。目に入った時だけ自分がみかんゼリーを好きであることを自覚する。

お茶とみかんゼリーを持ってレジに向かった。

お菓子コーナーで商品を並べていた店員が小走りでレジに来る。

「あ。」という短い声が聞こえて顔を上げるとレジカウンター越しに直輝と目が合った。

私が無言で見つめていると彼は小さく会釈して商品をバーコードリーダーにスキャンする。

私は直輝を見て何か話すべきか戸惑った。

何か話すべきか。私と直輝が話す必要などあるのか。私と直輝はただのクラスメイトだ。友達じゃない。ただクラスが同じ、それだけのことだ。教室という小さな箱に数時間、一緒に収まっているだけの関係に過ぎない。クラスメイトとはその程度のものに過ぎない。

一つの空間に収まっているだけの関係なんてバスに乗っている人たちと何にも変わらない。ただバスに乗っている人たちよりも名前を知っているだけ、年齢が同じだけ。

直輝が業務的に値段を言う。私はそれに対して無言でお金を渡す。私たちはただのクラスメイトだから話す必要なんてないのだ。それでも一瞬、何か話そうか戸惑った私は愚かだ。

お金を受け取った直輝が再び業務的にお釣りを渡す。それが何故か私には寂しかった。何故だろうか。自分が仲間ではないことを知らされているような感覚。でもそれは当然のことなのに。私は直輝が仲良くしているライングループのメンバーではないのだから。直輝は教室で私をよく見ている。自動販売機の前で出会すと気まぐれで私にジュースを奢ってくれる。ペンケースを買い換えるとそれに気がついて話しかけてくる。でもライングループのメンバーの声が聞こえたら視線を私から外してあっさりとそっちへ行く。

それだけ。私達はただそれだけ。

お釣りを受け取ってレジ袋に入った商品を手にすると直輝の目を見ずに無言でレジカウンターを離れた。そのまま自動ドアに向かって直進すると後ろから直輝が声を上げる。

「また明日!学校で!」

背後から聞こえた直輝の声に反応して振り返った。

直輝がレジカウンターから身を乗り出して私を見ていた。その姿はいつもの直輝の姿だった。

いつもの直輝。それは教室で私と目が合った時の直輝だ。濁っていない透き通ったような瞳。何も疑いなく私を見つめる目。その目と私の目が合わさって交わる時、私は苛立つ。

何も分かっていないくせにって汚したくなる。早く汚れればいいのに。みんなと同じくらい、私と同じくらい汚れればいいのに。

苛立って苛立って、その奥で心地良さを感じる。

苛立っているのに心地良く感じる。

彼が汚れることを望んでいるのに他の誰かに汚染されることを考えたくない自分がいる。

全てが矛盾している。この矛盾はどこから来るのだろうか。幼い頃から私はこんな矛盾だらけのことを考えていたのか。

そんなはずがない。幼い頃の私はもっと単純だった。

願いも欲しいものも全てがはっきりしていた。

でも成長して子供じゃなくなると現実を知ってしまうから、私達は大人になると現実を帯びたものしか望まなくなる。

誰もほうきに跨って空を飛びたいなんて願わないし、お菓子の家に住みたいなんて願わない。

大人になったら、ほうきで空を飛ぶことよりも飛行機に乗って海外旅行をしたいと願う。

お菓子の家よりも高いお金を払って広くて大きな家に住みたいと願う。

現実を知ればより現実的な非現実を求める。

願いはより現実で叶いそうな願いに。それでいて実は中々叶わない願いを願う。絶妙に高望みする。

私が進まないためにさっきから自動ドアが開きっぱなしになっている。

私は直輝の視線から逃げるように自動ドアを無言で抜けた。

それから振り返って直輝の様子を確認する気持ちになれず、そのままコンビニから背を向けたまま離れていった。



 陸人の家に着くと私は彼の部屋でみかんゼリーを食べた。

みかんゼリーを食べる私の前で陸人は静かに本を読む。

「ねえ、陸人はみかんゼリー好き?」

私の言葉に陸人がこっちを見る。

「別に普通。普段はあんまり食べない。」

陸人の視線は再び本へと移る。

「私はみかんゼリーが好き。どのくらい好きかって言うと…」

言い掛けて私は無言になる。陸人が再びこちらを向く。

「どのくらい好きかと言うと?」

陸人に聞き返されて私は小首を傾げた。

「よく分かんないや。」

力なく笑うと陸人も笑った。いつものフッという笑い方。

みかんゼリーを食べ終えてプラスチックスプーンと容器をゴミ箱に入れる。

「陸人。」

私が得意の猫が甘える時のような声で彼の背中に近づいて後ろから抱きついた。読書を邪魔して自分に構ってもらうための行動だ。

陸人は私の予想通り、読書をやめて本にしおりを挟むとそれを床に置いて自分のお腹に回された私の手を優しくなぞる。

「俺さ、最近、大丈夫になってきたんだ。前に比べてあんまり苦しくない。」

陸人が嬉しそうに言う。私はそれを慎重に聞く。

陸人は私の手を剥がすと振り返って私を見つめる。

「ありがとう。」

感謝の言葉を述べる彼は私を愛おし気に見ていた。

私はそれに応えるように陸人にキスをする。

キスという名の唇を押し付ける行為。何度も何度も繰り返している私と陸人の行為。当然、何度も繰り返している流れでその延長線も行う。

陸人に抱かれながら私は彼に感謝された今し方を思い出す。

ありがとう。

違う。陸人の言葉に反応した心の中の第一声。

感謝なんていらない。私たちは同じなのだから感謝なんて欲しくない。

陸人が好きだ。陸人は私にとってみかんゼリーだから。

みかんゼリーは私に感謝なんてしない。ただ私に喰われて消費されるだけの存在に過ぎない。みかんゼリーに感謝されても私は戸惑うだけだ。だから陸人に感謝されても理解出来ない。私はあなたの感謝に値することをしていない。互いがみかんゼリーのような関係だと思っていたのに、私にとってみかんゼリーへの好きと陸人への好きは同じだ。陸人も同じように私を好きでいると思っていたのに。

陸人のベッドは陸人の匂いがする。それは私が幼い頃に母の友人宅へ行った時と同じ匂いだった。

よその家の匂い。不自然で居心地の悪い匂い。

でも母の友人宅はたまに行くと楽しかった。

たまにだから。いつもの家とは違った他人の家は好奇心の強い子供心をくすぐる。

でもよその家が私の家になるのは望まない。だってそれは不自然じゃないか、私達は違うのだから。

違うものが同じになるなんて不自然だ。

違うものを欲しいと思ったら何としてでも手に入れたい。その為に同じになっては駄目なんだ。

手に入れてから同じになるべきだ。間違えた方法で手に入れたら後悔する。誰が後悔させた?私を後悔させて逃げるなんて許さない‼︎

陸人の上で私は果てて力尽きた。

彼の上に覆いかぶさると彼は私の背中を優しく撫でた。

ベッドの上で事を終えた私達はいつものように並んで薄い毛布を掛ける。

二足の足がいつも通り並ぶ。

「あのさ、」

隣にいる陸人が仰向けでこっちを見て話しかける。

「なあに?」

聞き返すと陸人は私の目を熱く見つめた。

熱を帯びている。熱い視線。ちょっと前までもっと冷たかったのに。私はその冷たい目が好きだった。

愛なんていらないのに。そんなくだらないもの、地面に投げつけたくなる。

「今度、サナの絵を描きたい。」

陸人の言葉が私には意外で思わず一瞬、目を見開いた。

「景色しか描かないんじゃないの?」

陸人は頭を掻いて、そうだけど…と一考する表情。

それから少しの間を置いて、

「ただ描きたいだけじゃ理由の不足かな?」と疑問を返した。

私は陸人が私の言葉を忘れていることを確認して体を起き上がらせると陸人に抱きついた。

「嬉しい、私を描いて。」

そう言うと陸人が強く抱きしめ返して、

「ヌードは描かないよ。」と笑った。

嗚呼、これから陸人が私を描くなんて。

「次会った時に描き始めよう。」

陸人が優しくささやく。私はそれに応えるように彼にキスする。

私が望んでいたことを陸人はやってくれる。望まないかたちでやってくれるのだ。

私の心は喜び、溢れる高揚感。そしてほんの少しの寂しさとリミット付きの苛立ち。

期限が近づいている。

永遠なんて存在しないから、夏の買い物はもう少しで冬を迎える。十分じゃないか。冬まで持つなんて私には上々だ。

彼の部屋のゴミ箱には私が消費したみかんゼリーの空容器が入っている。やがてゴミ袋に入ったままこの家から追い出されて処分されるだろう。何食わぬ顔でこの家の住人を装っても住人にはなれない。使い尽くされてそり上がった絵の具のチューブと同じ。

私は陸人が好きだ。

みかんゼリーと同じくらい陸人が好き。

みかんゼリーを見ると買わずにはいられない。

陸人にとって私はみかんゼリーかな?

同じ気持ちだったら私達は完璧だ。

何事も人と人の関係は同じ気持ちじゃないと成り立たないのだから。

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