隙を生じぬ二段構え

 ピピピと耳障りな電子音が部屋に響く。時刻は朝7時、起きて会社に行く準備をしなければいけない時間だ。曲がりなりにも私は乙女だ、準備にはしっかりと時間をかける。普段ならば。


 私の勘が囁くのだ。もう少し寝るべきだと、ラッキーイベントが起きるから。そう告げている。



 布団を顔まで被り、狸寝入りをする。するとコンコンと部屋の扉が叩かれた。



 『起きてますか…? 入りますよ』



 その声の直後ドアが開かれた。布団を被ることは継続する、しかし僅かに隙間を開け外の様子を探る。



 誰かが部屋に入りドアを閉める。その瞬間私の眼は衝撃の物体を捉えた。


 肌白くぷるんと丸い桃だ。そしてその桃に繋がるように伸びたスラリと細い脚。裸とはまた違う人の情欲を煽る扇情的な格好、裸エプロンをしたあの子の姿。



 (うほぉ… プリケツダァ… これは…なかなかの安産型…)



 そう考えた私を誰が責めるのだ。いや、責めるものなど誰もいない。仮に責めるものがいるとしよう、私はその評価をしっかり受け止める。

 あの子のこの姿を拝むためのコラテラルダメージというものだ。



 あの子は私の布団に近づき、顔を息が感じられるほどの距離まで私の顔に近づける。



 「起きて…ますか?起きてください」



 吐息多めの小さな声で私の耳に囁く。耳にかかる吐息がくすぐったい。しかし決して悪い気分などではない。むしろ最高の気分だ。かかる息が私を包む、そう!つまり私は、今!あの子の胎内にいるのだよ! …やめよう、うん。

 

 …うん、ね、ほら、深夜テンションで変なことを口走るなんてなくあることでしょう。え、朝?寝ぼけてるんでしょう、私は。



 「むぅ… 起きませんね」



 お、っとぉ。風向きが変わってきた。くるか?くるんか?あの定番のあれが?出ちゃう?いいよ、こいよ、耳にかけて耳に。



 「起きないと…キス、しちゃいますよ?」



 おほ^〜、頂きました!ここで起きるやつは間違いなくアホ。王子が眠り姫にやった優しいキスより、もっと激しい情熱的なのをお願いします!



 寝ているフリをしているので寝相で顔を出しキスしやすい体勢を整える。さあ、バッチコーイ、カモーン!



 徐々に近づいてくる顔。互いの息が感じられるほど近くなる。そして今、私の唇に






ーーーーー

ーーー






 ピピピと耳障りな電子音が部屋に響く。時刻は朝7時、起きて会社に行く準備をしなければいけない時間だ。



 ……フフ、フハハ、フハハハハハ!チクショーメ!



 クソ… 目覚まし撲滅委員会を設立してやる。絶対に許さんぞ、目覚ましども… じわじわとなぶり殺しにしてやる…


 ああ、そうとも。最後まで夢を見ることが出来なかったよ!あと1秒でも長く見れれば、昨日少しでも早く眠ればよかった…


 はあ、今更遅いか。ぬ?



 突然コンコンと部屋の扉が叩かれた。



 『起きてますか…?開けますよ』



 ふ、夢の私は残念だったな。やはり最後に勝利するのは現実の私のようだ。さて、布団と一体化するとしよう。

 勝者である私には女神からのチッスが待っているからなぁ!ハァーハッハッハ!



 「起きて…ますか? 起きてください」



 ウホホーイ、来た!見た!勝った!ここまできたら私の勝利は確定的に明らか。


 そう、この台詞の後に続く言葉は1つ!真実はいつも1つなのだ!



 「起きないと… 朝ご飯抜きにしちゃいますよ」



 そうそう、朝ご飯抜きね。



 「………おはようございます」



 「はい、おはようございます。目覚ましさんに重労働をさせたらいけませんよ」



 そうか、目覚まし時計も休みのない社畜だったのか…



 「はい… すみませんでした、目覚ましさん」



 「はい、よく出来ました!朝ご飯出来てますよ、まずは顔を洗ってきてくださいね」



 残念ながら現実の私も勝てなかったよ…

  胃袋を掴まれているからね、仕方ない。のっそりと布団から出て洗面所に行き急いで顔を洗う。

 洗面所に行く途中とても香ばしい香りがしたからだ。先ほどまで静かだった私のお腹もこの匂いを嗅ぎ、ぐーぐーと急激に騒ぎ始めた。



 顔を洗い終え、リビングに向かう。テーブルの上にはシンプルな、ザ・日本食という感じの料理が載っている。



 鮮やかなピンク色に皮は程よく焼けている脂の乗った鮭の切り身、ある程度離れていても鼻が匂いを捉える芳醇な出汁の香りがする味噌汁、深い緑色を帯びたほうれん草のおひたし、一粒一粒がしっかりと存在を主張しているご飯。


 そうそう、こういうのを私は求めていたのだよ。素早く席に着き手を合わせる。



 「いただきます」



 「たーんとお食べ!」



 まずは味噌汁を一口啜る。味は濃すぎず薄すぎず、程よいバランスで味噌と出汁の風味を感じる。わかめはそんな汁と絡み合い、豆腐は崩れ私の舌を包む。



 ああ、パーフェクトだ。紛うことなき黄金比。奏さんは私の母になってくれるかもしれない人だ。



 え?きもいって?すまぬ… ん?そうじゃない?この前のあれはどうなったかって?特に何もなかったよ。ほんとだよ。ワタシウソツカナイ。






ーーーーー

ーーー






 「え?男…だったんですか?」



 「え?男…ですよ」



 「え?」



 「え?」



 「え?」



 「え?もしかして…女…だと思ってました?」



 「え?あーその、はい…」



 「そう…ですか。あ、あはは、初めて会う方にはよく間違えられるんですよね。けど、雇用契約の時に性別は書いたから大丈夫かなって…」



 「え?嘘でしょッ!?」



 急いで契約書を取り出し確認する。なんだ女と書いてあるじゃないか…なんて都合のいいことはなく、ここだけ何故か男と太く濃い文字で強調して書いてある。



 「あ、あはは…」



 目に見えて落ち込んでいる… いや、待ってほしい。そんなに可愛らしい貴方がいけないのだ。顔や体型はもうどうしようもない。


 しかしその髪型とエプロン、その絶滅危惧種のような性格。今時見かけない清楚な女子の様な貴方が悪い。だからとりあえず…



 「す、すいませんでしたぁぁ!!」



 謝る、この手に限る。誰かがこの場を助けてくれるわけでもなく、美人な私は新たなアイデアを出すわけでもなく、現実は非情である。謝る、この一手しかないのだ。



 「いえ、大丈夫ですよ。もう慣れっこですから、ね?」



 落ち込んでいた雰囲気が多少和らいだ。



 「いや、本当に申し訳ないです」



 「ええ、大丈夫です。それでどうしますか?」



 「どうするとは?」



 「このまま契約するかです。彩音さんは僕が男と知らないで契約したわけですし… 男が家事するのは嫌かなと」



 いいえ、貴方は男の娘です。とは言わない、言えない、とても言いたい。



 「契約は続行でお願いします。毎日来てください!私に毎日味噌汁を作ってくださぁぁい!」



 「あ、はい」





ーーーーー

ーーー






 以上である。何もないでしょ。こうして今私は奏さんの味噌汁を啜っているわけさ。告白紛いのセリフ?何もなかった、いいね?



 おっと、ご飯が冷めてしまう。早く食べてしまおう。おまいらは大人しく私が食べているのを眺めているんだな。おひたしに箸を伸ばす。



 ふと顔を上げれば、奏さんが手を組み顎をその上に乗せニコニコとこちらを見ている。



 「んぐ… どうかしましたか?」


「あ、いや、その…美味しそうにたくさん食べてくださるのが嬉しくて」



 頬を若干赤らめて言う奏さんの笑顔は本物だろう。



 「こんなに美味しいご飯ですからね、たくさん食べますよ」



 「あ… ありがとう…ございます…」



 後半に行くにつれて徐々に小さくなる声。少しだけだった頬の赤さはラズベリーのように真っ赤になっていた。



 お?褒められ慣れてないんか?グェヘハハ、おいたんがもっと褒めてあげるからねぇ… やめよう、気持ち悪いから… 私がね。



 バカなことを考えるのはやめて食べることを続けよう。鮭に箸を入れる。初めはふわりと箸を受け止めたが徐々に身が裂け、簡単に切り分けることが出来た。

 一口大に切り分けた鮭を口に放り込む。こちらは逆に少し塩分が強めだ。塩分が少しヒリリと舌を刺激する。



 普通に食べるなら大変だろう。しかし、これは相方がいて輝く存在。和食には必須のあいつがこの場にはいるのだ。

 そう、穢れを知らぬ純白の田舎美少女、白米である。一口口の中に入れゆっくりと、何度も咀嚼をする。美少女が流す涙は如何なる宝石にも出せぬ輝きがある。白米が出すこの輝きの雫は私の口内を、鼻腔を、聖母のように甘く、そして優しく包み込む。



 穢れを知らぬ純白だからこそ出すことのできる甘さだ。そしてここにこのピンク色の鮭の切り身を乗せ、口に入れる。



 清純だったあの田舎美少女が色を知る年になった。先ほどまでにはなったこの塩味が、白米の甘さをある意味で引き立てる。

 色を知り、恋を知り、性を知る。自身の価値に気づいた少女はその価値を武器に小悪魔めいていった。男を欺くようにあざとく、しかし聖母のように優しく、そして娼婦のように淫靡に。



 あの頃の彼女は帰ってくることはない。しかし彼女は私という存在に尽くし続ける。私を満たすために姿を変え何度も舌を刺激し続ける。

 その奉仕が、とても良い。



 はっ!?私はいったい何を… 何を考えていたのだろう。気がつけば鮭の身は亡くなっていた。最後まで私を満たすために最後まで奉仕を頑張ってくれたのだ… 感謝ッ!圧倒的感謝ッ!



 最後に残った皮を食べる。パリパリと良い音を立てる。皮についた焦げ目は少々苦いがその苦味が良いのだ。

 人生は苦悩だらけだ。苦いものは避け甘さだけが欲しい。しかし苦味があるからこそより甘さが引き立つのだ。僅か一口分のお米を一気に口の中に放り込む。これ以上の幸福は私にはないな…



 ああ… 今ならもう… 死んでもいい。それほどの朝食であった… 最後に感謝を伝えるため手を合わせる。



 「ごちそうさまでした」



 「はーい、お粗末さまです!ふふふ、こんなに綺麗に食べてくださると、僕も作り甲斐があります」



 「ええ…本当に最高の食事でした… これからも末永くよろしくお願いします…」



 私にここまで言わせるとはとても恐ろしい奏さんの料理。しばらく余韻に浸るとしよう。



 「ところで会社に行かなくて大丈夫ですか?」



 時刻は8時。普段なら用意がほとんど終わる時間である。



 「あ、ぁぁぁぁ!!!!」



 膝から崩れ落ちそうになるのを何とか地を踏みしめ耐える。そして足を素早く動かし用意に移るのであった。



 家政婦さんはとても料理上手でした。





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