第6話
泰忠から密約の話を聞かされてから一週間。領内の不穏な空気は、お蘭にも伝わっていた。父の使いで訪れた市場の空気は重く、人々の明るい顔の中にも陰りが見えた。それでも平静を繕うとする気持ちが嫌でも伝わってきていた。
「親父殿に聞いてやってきた」不意に声を掛けられ、お蘭は驚き様に振り向いた。不穏な気配を察知していたからこそ、咄嗟に身構える形になった。
「な、なんだ、泰忠殿ではないか」その顔を見て、お蘭は安堵の表情を浮かべた。泰忠は、尋常ただならぬお蘭の対応に驚きはしなかった。
「お前にもわかるか」
「ああ、人々の顔に出ているな。戦が近いのか?」
「まだわからん。国境で小競り合いはあるが、大掛かりな兵が攻めてきているわけではない。双方とも大きな被害も出ていない。いつもの事と言えばいつもの事とも言える状態だ」
「その方がかえって不安を煽るか……」お蘭は腕組みをして呟いた。
「そうだな、領民も兵も皆、不安を感じているようだ」泰国の武勇に恐怖し敵対するのならば、相手も不安なのは確かだろう。一気に攻めてこないのがそれらを物語っていた。本来は、誰も戦などはしたくないのだ。けれども、近隣に強い国があれば、周囲が警戒するのは至極当然の成り行きだ。そして手を組むのも理解は出来る。だが、どの国が戦端を切るかは、躊躇っているのだ。盟約を交わした国が多ければ多いほど、自分たちが攻め込み最初の被害を受けることを避けたいのである。そう考えれば、まだ足並みは揃ってはいないと言うことだ。だからこそ、まだ時間はあるを泰忠は見ていた。考え込む泰忠に、お蘭が声をかけた。
「戦が始まったら……」
「なんだ?」
「私も、私も参加させてほしい、そのために弓も学んだ」お蘭は真剣な眼差しを向けたが、泰忠は冷静に答えた。
「お前の力は分かっている、でも焦るな」
「始まったらそうも言っていられないだろう」
「わかっている。だが何事にも時間が必要と言うことだ」そう言ってお蘭の肩に両手を置いた。
「時間?」
「ああ、味噌でも醤油でも熟成するまでには時間がかかる。美味しくするには必ず必要なのが時間だ。お前にはまだその時間がきておらん」
「私を信用していないのか?」
「そうではない。お前には鷹を使った伝達を、完全な物に作り上げるのが先決なのだ。わかってくれるな」鷹を使った伝達は、かなりの成功率を上げるようにはなっていたが、まだ不完全な出来上がりではあった。泰忠の求める数に、鷹の数が追いついていないのだ。せめて五羽は必要だと、泰忠は考えていた。戦場が広がれば、それでも足りないかも知れない。その上で、予備の鷹も、扱う人材も増やさなければならない。お蘭は泰忠から、そう聞かされていた。泰忠の言う時間が、それらの鷹と人材の育成を指していることは明白だった。
「わかった。早急に育てよう」
「それとだ。お前の家に幾人か送る。育成の手伝いをさせろ。かかる時間を少しでも減らすためにだ」
「今のうちに、人材の確保に行きたいのだが」お蘭は、人材の確保に行き詰っていた。勝山家の領内には、鷹と関りを持つ者は少ない。父、二郎衛門の話によれば、北の地には多くの鷹匠が居るらしい。二郎衛門の師匠も北の出身であり、話だけは聞いていた。全くの素人を育てるよりは遥かに早いはずだ。
「どこまで行くつもりだ?」
「大体の地域しか分からない。それ以上は父も聞いた事がないらしい。情報を集めながらの移動となるが、行かなくちゃならない」
「うむ、他国の戦況が分からない上、戦端が開かれたら戻ってくるのも容易ではなくなる。それでも行くか?」
「泰忠の計画を成功させるためには必要なことだ」
「わかった、共の者をつける。必ず見つけ出し、確保してきてくれ」
「急ぎ、行ってこよう」
「くれぐれも気を付けるのだぞ。それとこれを……」と泰忠は布に包まれた小刀を差し出した。元々、お蘭に渡すつもりで持参した物だ。
「これは……」包みを開けると、見覚えのある小刀が出てきた。
「ああ、子供の頃に作ってもらった刀だ。今の自分には小さすぎる、だからお前にやる」
「いいのか?」子供用とは言っても、細工の施された素晴らしい刀だ。
「ああ、ずっとそのつもりだった。本当はもっと剣術も教えたかったが」
「十分さ。ありがとう。必ず帰ってくるよ。吉報を持って」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます