第5話

 泰忠は自分に護衛が付いていることを知っていた。けれども、それを咎めるようなことは一切せずに、知らぬ存ぜぬを決め込んでいた。愚鈍に見せておいた方が得策だと思ったからである。泰忠を囲む小僧衆の中に、修造という者がいた。たまにお蘭の家に行くときにも同行させた。それは信頼の証でありながらも、遊び呆ける若君を演ずるのに都合も良かった。

ある日の夜も更けた頃合いに、泰忠の寝所に黒い影が現れた。

「泰忠様。憂慮すべき事態が」書物に目を通していた泰忠の耳に声が届いた。

「どうした」泰忠は書物から目を逸らさずに訊ねた。

「周辺諸国に不穏な動きがございます」

「具体的に申せ」蝋燭の炎が静かに揺れた。

「はっ。どうやら、秘密裏に盟約が結ばれた模様です」

「それは我が家に敵対すると言うことか?」ようやく顔を上げた泰忠はため息交じりに訊ねた。

「岸田家と敵対している根津家が中心となっているようです。それらを考えても、われらと友好的とは思えますまい。ましてや秘密裏となれば」岸田家とは、父、泰国が何度か戦の応援に向かった家だ。泰忠は岸田家だけへの対処にしては大事過ぎると感じた。

「うむ、して父上はなんと申して居る?」

「戦の準備だけはしておくようにとのこと」

「そうかわかった。心に留めておく」そう言うと、泰忠は静かに書物を閉じた。泰忠はこのような事態を予想はしていた。だからこそ、配下の者に常日頃から調べさせていた。何が起きても不思議ではない時代だからだ。領民の事を思えば戦は避けたいが、戦乱は炎は徐々に広がりを見せ始めていた。もしも降りかかる火の粉があれば振り払わねばならない。そして歴史が物語っている事実として『一度戦が始まれば、後戻りは出来ない』と言うことを泰忠は理解していた。戦が始まる理由はたくさんある。元々敵対していることを除けば、些細な事柄から発展するものだ。どうしても『隣の芝生は青く見える』もので、菓子を強請る子供のように手を出してしまう。世間に認めてほしくて戦を起こしたり、他の事から視線を逸らせるために戦を始める。また、恐怖心もその一つ。いつか襲われるのではないかとの思いから判断を誤り、戦端を切ってしまう。元々、勝山家は近隣とは上手く付き合ってきていた。ただ、先代から親交のある岸田家に限り、応援に呼応していただけだ。しかし、連敗の原因が勝山家だと根津家が考えれば、こちらに敵対する理由にもなる。その証拠に、勝山家には密約の使者は訪れてはいない。今回の件は岸田、勝山、両家に対する連合と見るのが妥当だろう。戦に強い父に恐怖を抱いた結果だろう。これまで勝山の領民は農業と漁業で生計を立て、他国との商いも盛んに行ってきていた。たまに領民同士の小さな諍いはあっても、家同士では至って平和な時を過ごしていた。しかし、これも時代なのだろう。代替わりした家も多くなり、新たな領主の考えに変化が訪れたのだ。そうは思っても泰忠の落胆は計り知れなかった。戦の準備と言っても、実際に戦をする気はなかった。戦になれば、一番の被害者は領民になると分かっていたからだ。しかも、相手の動き次第だとなれば尚更である。こちらから手が打てない。そんなもどかしい気持ちを抱えつつも、泰忠はお蘭の元へと通っていた。今は護衛の配下も付き添っているが、それを咎めることは出来なかった。


「泰忠様。いらっしゃいませ」昼食を済ませたお蘭が丁寧に迎えた。

「お蘭、堅苦しい口調はやめよ」

「だって、配下を前に対等な口はきけないよ」とお蘭は小さな声で答えた。

「そうか。すまんな」と泰忠はちらりと脇に控える家臣に目を向けた。

「でも、どうしたんだい?随分と物騒な気配だけど」

「うむ」返事をしたが、泰忠は言葉を発しなかった。お蘭に言うべきが迷っていたのである。

「水臭いな」それを察したようにお蘭は耳元で囁いた。

「そうだな。お前には言うべきだな」そして泰忠は今、勝山家が置かれている立場を説明した。

「なるほどね、ではこれが役に立つな」と、お蘭は小さな笛を取り出した。

「出来たのか」

「ああ、なんとかね。泰忠も見るかい?」

「よし、是非とも見せてくれ」泰忠の眼が輝いたのを、お蘭は見逃がさなかった。それから二郎衛門も手伝い現れた。

「この赤い布を足に結んでおく、父は遠く離れたところで布を取り、代わりに黒い布を足に巻く。これで証明になるかな」

「うむ、確かな証明になるだろう。早く見せてくれ」泰忠に急かされ、お蘭は雷(ライ)を放した。岳が寿命で死んだあと、お蘭が精魂込めて育てた雷は、大きく羽ばたくと空へと舞い上がった。お蘭の頭上で二周ほどすると、森の方へを飛び去って行った。森には二郎衛門が待機しているはずだ。

「どのくらい遠くまで行けるのだ?」泰忠は空を見上げたまま訊ねた。

「今はまだ半里ほどかな」お蘭も空を見たまま答えた。それから直ぐに、澄み渡った空に雷の姿が浮かび上がった。そして、真っ直ぐにお蘭に向かい飛んでくる。お蘭の頭上で二周ほど円を描き、お蘭が差し出した腕にしっかり留まった。その足には、赤い布の代わりに、確かに黒い布が巻かれていた。

「すごいじゃないか」泰忠の喜びは尋常ではなかった。それほど嬉しかったのだ。時期が時期だけに、その気持ちも理解できた。

「一体、どうやったのだ?」

「なにも難しく考える必要なんてなかったのさ。要は、笛の音を反復させて覚えさせただけなんだ。最初、父様と私とが見える位置で笛を鳴らせた。間違ったら餌はやらない。正解すれば餌を与える。そして徐々に二人に位置を離していったんだ」

「どんな笛でも出来ると言うことだな」

「鷹たちに聞こえる音なら何でも大丈夫ってことだと思う。ただ、それぞれ違う笛を使わなくちゃだめだ」

「なるほど、その音の違いで行く先を変えるわけだな。お蘭!お前は素晴らしい」そう言うと泰忠はお蘭を力任せに抱きしめた。

「お、おい、何やってんだ」泰忠のこんな行動は初めてであり、お蘭は心底驚いた。そして泰忠も我に返り驚いた表情を見せた。それから二人は見つめ合い、噴き出すように大いに笑った。けれども、お蘭はその瞬間に心が躍ったことに気が付いていた。そして心の中で思った『徳丸はどう感じたかな』と。しかし、その思いはすぐに捨て去られた。

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