第4話

 「お蘭、お蘭は居るか」その叫びと同時に、簡素な引き戸が開け放たれた。

「これはこれは、若様」いつもの時間より早い到着であったが、二郎衛門は丁寧に出迎え対応した。

「お蘭は居るか?」奥座敷を覗き込みながら、そう尋ねると、

「いえ、今は森へ隼たちの餌を取り行っております」と答えが返って来た。

「そうか、では待たせてもらうぞ」そう言って上がり框に腰を下ろした。

「どうぞ、ご遠慮なさりますな」と二郎衛門は土間に下り、茶の用意を始めた。

「いつもすまぬな」と、名を泰忠と変えた徳丸は誰もが見違えるほど立派な成年へと成長していた。あの時、初めて隼とお蘭と会った日から、かれこれ十年の月日が流れていた。その間、泰忠は何かにつけてはお蘭の家を訪れ、鷹匠である二郎衛門とも親交を深めていった。徳丸時代に初めて育てた隼の月光も、今では二代目になっている。一代目と同様に賢く力強く育った月光は、泰忠によく懐いていた。泰忠の育った館には広い庭があり、季節ごとに色々な小鳥が訪れては、美しい歌声を聞かせてくれた。けれども、隼や鷹などの猛禽類を近くで見たことのなかった泰忠は、あの日以来、ずっと隼に夢中だった。

最初の月光がしっかりと狩りを出来るようになった時、徳丸だった泰忠は、父泰国に月光の狩りの様子を見せた。その様子を見た泰国は、立派に成長した我が子に、最大限の賛辞を送った。

「よいか徳丸。将来の勝山家はお前に懸かっている。民を隼のように上手く育てられるかは、お前次第だぞ」

「わかって居ります。比べ物にならぬ程難しいことも」徳丸は信頼関係を築く難しさを、月光の飼育から学んだ。それが意思を持った人々ならばなおさら困難であることも、重々承知していた。

「それが分かっておるなら安心だ。徳丸。これからも精進しろ。父はお前に期待しておるからな」

「はい」この時、徳丸は今にも泣きそうなほど嬉しかった。日々の生活の中で、泰国と会話する機会があまりなかったこともある。けれども、尊敬する父は自分を認めてくれたのだと思えたからだ。

元来、飾り気のない泰忠は、領民からも慕われていたが、お蘭と隼に会って以来、文武の重要性をしっかりと認識し、鍛練に手を抜くこともなかった。その姿が、多くの領民に安心感も与えていた。この十年の間、各地で大小様々な小競り合いは起きていたが、幸いなことに勝山家は至って平和な時を過ごしていた。泰忠の父、泰国の手腕によるところが大きい。けれども懇意の領主への応援で何度か出兵していたこともあったが、それも小さな小競り合い程度だと聞かされていた。それでも、怪我一つすることなく勝利し帰郷していた父を見ながら、いつ戦地に呼ばれても良いように、常に覚悟だけは持っていた。そんな泰忠が月光の狩りを見ていて思いついたのが、遠く離れた味方への伝達方法だった。放たれても鷹匠の元へ戻る姿を見て、連絡を取り合えるのではないかと思ったのだ。これが成功すれば、戦場でも大いに役立つだろうと泰忠は確信していた。伝令が走っていくよりも数段に早く危険もない。伝令ならば途中で見つかり殺されることもあり、伝言が伝わらないこともあるだろう。刻々と変わる戦場での対処が迅速に行われれば、戦も有利になることは間違いがない。これには二郎衛門も協力してきたが、成果は今一つ上がっていなかった。放たれた鷹匠の元には戻るが、向かってほしい伝令先へと飛んで行ってはくれなかった。おそらく、放たれた場所を覚えているのではないかと二郎衛門は説明したが、それでは意味をなさなかった。刻一刻と変わる戦場では、伝令先も変化するだろう。それに対応出来なければ使えない。また一度に数か所への伝令の仕方など、問題は山積みだった。けれども、泰忠は決してあきらめなかった。そしてお蘭も同様に何とかしようと試行錯誤を繰り返していた。 



「徳丸!早いな」森から戻ったお蘭は、泰忠を見るなり笑顔で叫んだ。

「これ」二郎衛門は申し訳なさそうにお蘭を叱った。

「失礼いたしました。泰忠様」お蘭は悪びれることもなく言い直した。

「よいよい、お前とは長い付き合いだ」そう言って泰忠は笑った。徳丸として出会ってから、お蘭とは何度も隼を介して交流を持った。お蘭も徳丸の役に立つためにと、隼の育成と鍛練に明け暮れた。身分の違いこそあれ、二人は気の合う仲間であり、今では深い絆で結ばれていた。

「今日はお蘭が弓の練習をする番だぞ。行くか」そう言うと泰忠は立ち上がった。今ではお蘭よりも頭一つ大きくなった泰忠は、見違えるほど立派な体躯となっていた。お蘭も今では父、二郎衛門に負けず劣らずの鷹匠へと成長したが、泰忠に教わる弓も面白くて仕方がなかった。

「取って来た餌を与えてからな。月光も待っているぞ」

「うむ」泰忠が微かに笑うのを、お蘭は見逃さなかった。と同時に、お蘭も笑顔をこぼした。隼への関心が一時の気まぐれかとも思えた徳丸だったが、その熱心さが、嘘偽りのないものだったと思えて、嬉しく感じられたのだ。

お蘭の成長はそれだけに留まらず、学門でも大きく才能を伸ばしていた。いち早くお蘭の頭の良さと回転の速さを見抜いた泰忠が、学問を習うように手配してくれたのだ。見た目は華奢でも、男勝りのお蘭を泰忠は認めていた。下手な家臣よりも頼りになる存在にもなっていた。当然のこと、徳丸時代から周りにはお付きの小僧衆がいたが、ただ一人を除いて、他はどうでもよい愚鈍な小僧衆だと思っていた。二郎衛門の家の裏手には、鷹たちの飼育に必要な小屋がある。その脇に、泰忠の独断により小さな弓道場がしつらえられていた。狩り以外のときに二人が練習する場所だ。

「泰忠は犬笛をご存じか?」矢を数本撃ってから。お蘭は尋ねた。

「犬笛か?何に使うのだ?」

「犬だけにしか聞こえぬらしいが、呼び寄せることができるらしい」

「なるほど……。で、鷹にも使えないか?と言うことだな」

「その通り。鷹用に同じようなものを作れれば、泰忠の計画に近づくのでは」そう言って、お蘭は弦をゆっくりと引き絞った。

「ふむ。少し調べさせよう」

「私も父に聞いておく」そう言うとお蘭の指から放たれた弓は、的の真ん中に命中した。

「本当に、お主には驚かされるな」と泰忠は的を見ながら笑った。二人の間には堅苦しさはなかったが、流石に若君と平民の娘と言うこともあり、お蘭は誘われても決して館に行くことはなかった。その気持ちに気が付いた泰忠が、気を利かせたのがこの弓道場だった。それ以来、泰忠は連れ歩いていた爺や兵とも行動を共にしなくなった。お蘭のところへ来るときだけは、身一つで気軽な衣装で来ていた。知らない人が見れば、その辺の小倅に見えるだろう。

けれども、それが泰忠の身を守ることにもなっていた。領民のほとんどは泰忠の顔を知らない。ましてや他国の者には顔を知られていない。例え知っていても、そんな小倅みたいな服を纏っていれば、若君だとは気が付かない。要するに、他国の間者から身を守ることにもなっていた。いくら平和と言っても、争いの火種はくすぶり、いつ業火となるか分からない時代。勝山家が騒乱に巻き込まれる可能性もないとは言い切れない。それが、自由に外出するために、爺と交わした約束でもあった。とは言え、泰忠も知らないところで、護衛はしっかりと付いていた。それには理由があった。父、泰国の武勇は、近隣諸国に知れ渡っていた。怪我もせずに武功を上げて戻る姿を、脅威に思わない国はない。城下にも間者が入り込んでもいた。そうなれば、長子である、泰忠にも害が及ぶ可能性が高くなる。特に元服を果たした泰忠の面容はすぐに他国にも伝わる可能性がある。初戦を終えれば間違いがなく広まるだろう。それまでの安全策であった。二男の慎太はまだ7つだ。勝山家を脅威に感じ、なにかしらの謀があった場合、真っ先に狙われるのは泰忠だ。だからと言って、そんな忠告を黙って聞く泰忠ではない。そこで爺は隠密による護衛を付けていた。

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