第3話

お蘭の家に通いだしてから二か月ほどした頃、初夏の暑さにも負けず熱心に鷹小屋を覗く徳丸に、お蘭の父、二郎衛門が訊ねた。

「若様はたいそうお気に入りのようですが、育ててみますか?」

「くれると言うのか?」

「鷹匠を召し抱えている家もございます。鷹狩も娯楽として定着しつつあります。若様が育ててもなんの問題もございますまい」

「それは楽しそうだな」と徳丸は大きな笑顔で答えた。既に想像の世界では、徳丸の思い通りに飛ぶ隼の姿が描かれていた。

「隼でしたら三月頃に卵を産み、ひと月ほどで孵ります。その中から気に入った子を選んでください。それまでは、お蘭の子、岳の育て方を学ばれればよろしいかと」

「うむ、わかった」と頷くその眼は、大きな飴玉を貰った子供のようにキラキラと輝いていた。徳丸は早速館へと戻り、父への面会を求めた。

「ほほう、鷹狩か」

「はい、隼を育ててみとうございます」

「いいのではないか。お前が興味を持ったのならば、やってみるがよい」

と、泰国は快く承諾してくれた。泰国も大領主たちが鷹狩に講じていることを聞き及んでいた。そして生き物と接することで命の重さを知ることが出来、教養の一つになるとも思えたからだ。学問と武術にも手を抜くなと念をおされた事も、徳丸にとっては嬉しかった。言い換えれば、学問と武術に精一杯に励めば、大手を振ってお蘭の家へ行けるからである。それからの徳丸は、早朝から武術の鍛錬と学問も積極的に学んでいった。午後になるとお蘭の家に向かい、一緒に岳の世話をするようになった。お蘭と狩りに行くのも日課となり、ピンと羽を広げて飛ぶ姿に、更に魅了されていった。

「近頃の若は、生き生きとしておりますな」

「勝山家の将来は安泰でしょう」徳丸の所業は、良い意味で家内でも広がり、勝山家の繁栄を疑うものは一人もいなかった。

「よし、こやつが良い」二郎衛門が言ったように、翌春には多くのヒナが産まれた。それぞれ親の特徴を受け継いでいるように見えるが、羽や模様の全く違うヒナに徳丸は興味を持った。

「こやつの額にある三日月の文様が気に入った」

「では、お名前をお付けください。これから若様が育てる隼でございます」

「うむ」と眼を瞑り、暫く考えてから徳丸は声を張り上げた。

「月光じゃ、こやつの名は月光にする」

「良き名ですな」二郎衛門は穏やかな笑顔を浮かべた。

「夜空で力強く羽ばたく姿が目に浮かんだ。その姿は月の光で輝いていた。だから月光にする」

「ふーん、良い名だね」隣で興味深そうに聞いていたお蘭がそう言った。

「お蘭もそう思うか」

「強そうでしかも賢そうに感じるよ」お蘭の言葉に、徳丸の顔がぱっと明るくなり、はち切れそうな笑顔を向けた。

月光の育成は餌づけから始まる。人間の手からでも餌を食べるように馴らすのである。それが信頼関係の第一歩だと教えられたが、月光はなかなか徳丸の手から餌を食べてはくれなかった。

「どうすればよいのだ」

「根気よく続けるしかないよ」とお蘭は困惑する徳丸を軽くあしらった。

「ところで徳丸」餌のミミズを持って月光と格闘している徳丸にお蘭は訊ねた。

「なんだ?」

「あんたお侍だろ?なんで刀を差してないんだ?」お蘭からしてみれば。侍と刀は切っても切れない間柄だと思っていた。ところが徳丸が訪れてくるときには、弓を片手にやってくるのだ。その姿が普通ではないように思えて仕方がなかった。

「その代わり、弓はいつも持ってるぞ」徳丸はそんなお蘭の意図を考えもせずに、軽く受け流した。

「そうだろうど……」確かに弓も立派な武器ではあると思えても、お蘭には納得がいかなかった。そんな不機嫌そうなお蘭の顔を見て、徳丸は小さな声で話し始めた。

「実は、身体に合う刀がないんだ」

「そうなのか?」

「この弓だって特注品だ。体に合わせて作ってくれたんだ」

「じゃあ、剣術はダメなんだね」

「そ、そんなことはないぞ。剣術の訓練は木刀でも出来る。それに刀だって作ってくれると言ってたぞ」

「それならいつか、刀を差した徳丸を見ることも出来るんだな」

「当たり前だ」

「そう。よかった」お蘭は徳丸の姿を想像していた。今はまだ小さな子供だが、いつかは立派な侍の姿を見たいと思っていたからだ。

「でもな、本当を言うと、刀は好きじゃないんだ」ところが徳丸はお蘭の気持ちを踏みにじるように呟いた。

「え?どうして?なんで?」

「だって、目の前の人間を相手にしなくてはならないから」

「え?どういうこと?」お蘭には徳丸の意図が掴めなかった。

「まだ木刀での訓練だからいいけど、戦になれば目の前の敵が相手だ。敵と言えども人間だ。それが……」徳丸は言葉を詰まらせた。

「うーん、わかんないな」お蘭は敵と対峙する徳丸を思い浮かべた。けれども、それのどこに問題があるのかを、理解することは出来なかった。事実、敵対する人物と対峙したことさえないお蘭には、その後の展開が読めなかったのだ。

「戦争は好きじゃない。けれどもしなくちゃならない時もあることはわかってる。自分や家族や領地を守るために」

「わかった。そうなったら私も手伝うよ」

「なにをだ?」

「徳丸の味方となって戦ってやるさ」

「何を言ってるんだ。お前は」

「わかってるよ。でも、徳丸のために出来ることはやりたいんだ」女だと言われる前に、お蘭は言い放った。

「そうか……。お蘭の気持ちはよく分かった。そうなったら頼むよ。平安が続くように努力はするがな」と、平和を願いながら徳丸は答えた。

「じゃ、私にも弓を教えてくれ」するとお蘭は目を輝かせて声を張り上げた。

「なんだ?それが目当てだったのか?」徳丸はお蘭の言葉に目を丸くした。

「それも、ある。でも、役立ちたいと言うには本当だよ」

「その時が来たら頼むよ」そう苦笑いした徳丸の手から、月光が初めて餌を咥えた。それを見て二人は大いに喜んだ。

「これからだな」徳丸は自分に言い聞かせるように呟いた。

「うん、これからだね」と、お蘭も呟いた。そんな二人を夕焼けの淡い朱の光が優しく包み込み始めた。

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