第2話

 ここは館から二里ほど離れた丘陵。緑あふれる大地と、それほど深くはない森が広がっている。北の山脈から湧き出た養分を十分に含んだ清流が森の緑を守り、平地の肥沃な大地を潤し、そして静かに海へと流れている。徳丸はここが好きだった。初めて狩りに連れてこられたのもこの丘陵であり、そこで見た父、泰国の弓さばきに憧れて以来、徳丸の狩場にもなっていた。森を出て、海までを臨めるなだらかな丘に差し掛かった時、徳丸は森へ向かう一匹の兎に気が付いた。すぐさま弓を構え背負った矢に手を伸ばしたが、その瞬間、大きな影が兎と共に大空へと舞い上がった。徳丸は素早くその姿を目で追った。夕焼けが始まりだし茜に染まりかけた空の中に、彼は大きな影を見た。その影は力一杯に羽を広げ、兎を鷲掴みにしたまま急速に上昇していった。その優雅でありながらも力強い姿に彼は眼を奪われた。無駄な動きが一つとしてなく『美しい』と魅了されたのだ。そして徳丸の足は、鳥が飛び去った方向へと既に走り出していた。

「お、お待ちください。わ、若」走りだした徳丸を爺は必死に追いかけ始めたが、その言葉は耳に届いては居ないように、振り返ることさえしなかった。ただ、無我夢中にその姿を追っていた。そして丘を越えたところで徳丸が目にしたのは、小さな女の子とその肩に留まる立派な鳥だった。一尺五寸ほどの流線型の身体は青みがかった黒色で、腹の部分は白く褐色の縞模様が見え隠れし、黒い頭に一際光る黄色い目が印象的だった。

「おい、それはなんだ」走り寄った徳丸に声を掛けられ、その子は驚いたように顔を向けた。その顔は、徳丸よりも幼く見えた。

「おい。それは何だと聞いておる」徳丸は更に大股で近寄るともう一度尋ねた。見ればその子の足元には兎が二匹横たわっていた。間違いなくこの鳥が兎を捕獲したようだ。

「え?この子?」女の子は恐る恐る答えた。

「そうだ」

「えっと、この子は『岳』ガクって言うんだ」女の子はそう答えると、肩に留まる鳥を愛おしそうに撫ぜた。

「岳って鳥か?」

「違うよ、それはこの子の名前でこれは隼って鳥だよ」

「隼か。そうか……。かっこいいな」そう言うと徳丸は満面の笑みを浮かべた。

「そう?、ありがとう」褒められたことで、女の子は少しだけ緊張を解いた。

「若~」そこへ爺が息を切らして駆け寄ってきた。そして女の子と隼を見て静かに呟いた。

「ほう、鷹ですかな。このあたりでは珍しい」

「違うぞ、爺。これは隼って鳥だ」徳丸は得意げに答えた。

「ほほう、隼ですか。して、そなたは鷹匠ですかな?」爺は女の子に訊ねた。

「まだまだ鷹匠とは言えないよ、今は訓練中だよ」そう言うと、女の子は隼に餌を与えた。

「ところで名は何と申す」徳丸の関心は隼から目の前の女の子へと移った。大きな鳥と仲良さそうに接する姿に興味を引いたのだ。

「私はお蘭って言うけど、あんたは?」

「こら、若に向かって」と爺が声を上げたが、それを制するように片手を上げ、徳丸は胸を張って答えた。

「俺は徳丸だ。お蘭。それについて色々と聞きたい」

「岳のこと?」

「そうだ。それについて知りたいのだ」そう答える徳丸の眼は、夕日を浴びてキラキラと光っていた。岳はまだ若い隼で鍛練を始めたばかりだと、お蘭と名乗った女の子は話し始めた。 

「どうやって教え込むのだ?」会話の間にも、お蘭の手から餌を食べる岳から、徳丸は目が離せなかった。

「何度も何度も繰り返すのさ」そう言って、お蘭はまた一つ餌を食べさせた。

「そもそも、何故、お前の言うことを聞くのだ?」

「小さい時からずっと面倒見てきたからね。仲良くならないと何もしちゃくれないよ」

「信頼関係というやつだな」

「そうそう、それ、お父さんも言ってた。すごいね、よくわかったね」

「爺とも信頼関係だからな」徳丸が爺の方をちらりと見たが、お蘭には何のことだか理解できてはいなかった。

「どういうこと?」お蘭は大きな目を見開いて、首を傾けた。

「いや、なんでもない。それより、誰でも飼いならすことは出来るのか?」

「出来るよ。ちゃんと世話をしてあげればね」

「そうか、自由に飛ばせるようになったら、楽しそうだな」と徳丸は笑った。

「仲良くなるまでは大変だけどね」と、お蘭は真面目な顔で答えた。そんなお蘭の顔を見て徳丸は、会話の出来ない相手と信頼関係を築く難しさ、を教えてくれたように思えた。それから陽が落ちるまで、二人は色々な話を語り合った。

「あ、もう帰らなくちゃ」夜のとばりに気が付いたお蘭が叫んだ。

「そうだな、遅くまで悪かったな。爺、誰かを付き添わせてくれ。真っ暗だからな」

「わかりました」脇に控えていた爺は静かに答えた。同年代の話し相手が居なかった徳丸が、目の前で楽しそうに話す顔が爺は嬉しく、彼もまた時間を忘れていたのだ。

「では、お蘭。また話を聞かせてくれるか?」

「うん、いつでもいいよ」すっかりと打ち解けたお蘭は、満面の笑みで答えた。

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