他が為の道(仮題)
ひろかつ
第1話
春を告げる花々が咲き始めたばかりだと言うのに、滲み出た額の汗がゆっくりと頬を伝った。弓を構えた若干七歳の徳丸はその時、大人にも負けないほどの集中力を見せていた。彼を包む空気でさえ纏わり付くように張り詰め、寸分の動きも見せずにいた。まるでそこだけが絵画のように、時も止まったかのようだった。鋭い視線を放つ彼のその眼は、瞬きもせず真っ直ぐに獲物を捉えていた。そして僅かな風が木々の葉を揺らした瞬間、合図を待っていたかのように彼は弦に添えた指から力を抜いた。ひゅっと小さな音をたて、矢はまっすぐな軌道を描いた。矢を射られた獲物は小さな声を発したが、断末魔の声とは違い、痛みを感じる間もなく息絶えたようであった。
「お見事です、若」隣で息をひそめて見守っていた老齢の男が静かに言った。
「当然だろ?爺」徳丸は満面の笑みで振り向き答えた。先ほどの集中力を放っていた時とはうって変わり、七歳という年相応のあどけない顔だ。
徳丸はこの地方を納める領主の長子で、極めて明朗活発な性格だった。特に弓の腕前は、家内でも知らぬものは居ないほどだ。けれども、『他国にはもっと豪傑が居る』と、決して鍛練を休むことをしなかった。
「しかしながら、学問のほうにも力を入れて頂かないと」との爺の言葉に、
「それは誰かに任せるさ」と徳丸はいつもと同じ答えではぐらかした。そこへ、徳丸が射抜いた兎を持って、お付きの兵が戻って来た。矢は寸分の狂いもなく、兎の心臓を貫いていた。これで今日の獲物は五匹である。徳丸は獲物を見ながら満足そうな笑みを浮かべて言った。
「さて、帰るか」
「ははっ」爺をはじめ付き添っていた側近たちははっきりと答えた。彼らもこの徳丸という者に仕えることに十分過ぎる満足と誇りを持っていた。
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