第五章「来報」

 第五章「来報」


 書類仕事を片付けながら、入れ替わり訪れる部下達の報告、相談を聞きながら、合間合間に指示を出しながらセレトの一日は過ぎていった。

 勿論、仕事中も昨日のヴルカルとの密会を思い出しながら、セレトは使者の来報を待ちながら様々な思案を続ける。

 しかし、仕事の途中で何度か来客の有無を確認してみるが、来客が訪れる様子もなく、午後の時間が過ぎていくばかりであった。


 そのまま仕事を続けていると、控えめなノックと共にネーナが室内に訪れ、追加の書類を持ってくる。

 「まだ追加の書類はあるのか。」

 セレトは、疲れ切った顔で愚痴を言う。

 「そうですね。今持ってきた分と別に、本日中に確認をして頂きたい事項は、もう少しだけありますね。」

 そんなセレトの様子に表情も変えずにネーナは、言葉を返す。


 机の上に再度積まれた書類の山を見て、セレトはため息をつく。

 まだ少々二日酔いの症状が残っている状態では、紙に書いてある文字を読むことすら一苦労であった、


 「少し休憩を入れるよ。」

 セレトは、手元にある書類を机の上に放り投げると、椅子に座りっぱなしで固まった足をほぐしながら立ち上がる。

 ネーナは、こちらを咎めるような目をしていたが、その口を開く前に、セレトは、執務室のドアを開け、その場から立ち去っていた。


 屋敷の中をふらつきながら、セレトは物思いにふける。

 未だに、ヴルカルからの使者らしい人物の来報はなく、外を見ると、日も落ちはじめ、街並みも少々暗くなりつつあった。

 昨日の地下室の会合の会話を思い出す。

 ヴルカルは、明日、使いをよこすと話していた。

 しかし、未だに音沙汰一つもないことは、セレトの不安を掻き立てた。


 何か自身に見落としはないか、今一度考えながら建物内を歩き回っていると、玄関の方から騒がしい声が聞こえた。

 セレトは、その声が何かヴルカルに関係していることを期待しながら、声がした場所に向かってみることにした。


 声の主はネーナであった。

 廊下の真ん中に立ち、辺りを見回していたネーナは、セレトが近づくのが見えると慌てたように声をかけてきた。


 「坊ちゃん、すいません。お騒がせしました。」

 ネーナは、セレトを見て一礼をしながら、詫びの言葉を述べる。

 「何かあったのか?」

 セレトは、そんなネーナの様子に驚きながら声をかけてみる。


 「実は、変な子供がやってきまして。」

 ネーナは、ばつが悪そうな顔をしながらセレトに説明をする。

 「変な子供?」

 セレトは、怪訝な声で聞き返す。

 「恐らくルンペンだと思うのですが、門の方に変な子供が立って、こちらの方を覗いているのが見えたので近づいて行ったのですが。」

 ここでネーナは、言葉を区切り、主に状況をうまく説明するために、今一度、先ほどの光景を頭の中に思い浮かべなおした。

 「それで、近づいたところ、その子供が変な声で笑いながら、こちらにぶつかってきまして…。驚きのあまり大声をあげてしまったんです。お騒がせして申し訳ありません。」


 「それで、その子供は?」

 部下の失態を責めず、セレトはまずは状況把握に努める。

 子供ということは、恐らくヴルカルの使者である可能性は低いと思えたが、どちらにせよ、怪しい人間がここを訪れたという事実は、セレトの不安を酷く煽った。

 「子供ですか?私にぶつかった後に笑い声をあげながら外に出て、そのまま街の方に向かって走っていきましたが。」

 ネーナは、先程の状況を思いだしながら、状況を説明する。


 ここを立ち去ったということは、ヴルカルとは関係がない人物なのだろうか。

 セレトは、少々気落ちをしながら、仕事を再開する旨をネーナに伝え、部屋に戻ることにした。

 

 ネーナと別れ、自身の部屋に向かうセレトがふと足を止めたのは、裏庭が見える廊下の途中であった。

 日が徐々に沈み、赤みが増した裏庭の裏門から、こちらを覗く二つの目が見えたからである。

 目の主は、ボロをまとった子供であった。


 乞食、ルンペン、物乞い…。それ自体は、花の都ともいわれる美麗な街並みを持つ王都であっても、特段珍しいものではなかった。

 彼らが、このように金持ちの屋敷周りをうろつき、そこに住む者の情けに縋ろうとすることも、日常の光景ではあった。


 そんな存在を、セレトは普段気にしたこともなかった。

 しかし、先ほどのネーナの報告を聞いた後のこのタイミングで、目の前に現れた不思議な子供という存在は、セレトの心を不思議と揺さぶった。


 門の向こうの子供と目が合うが、その子供は、そこから動くこともせず、じっとこちらを見つめ返してきた。

 その目に惹かれるように、セレトは、建物から裏庭へ出る。そして、裏門の子供の方へ向かう。

 子供は、そんなセレトをじっと見つめてきた。


 近づくと、そのボロをまとった存在が、思っていたほど幼くなさそうなことと、恐らく女である様子が見て取れた。

 少女は、近づいてくるセレトをどこか、ニヤケタような顔で見つめている。

 その不遜な態度は、本来セレトを苛立たせるようなものであったが、不思議とセレトの心に怒りは沸いてこなかった。


 「ここに何の用だい?」

 子供に声が届く範囲まで近づくと、セレトは、声をかける。

 しかし、少女は、何か答えるわけでもなく、ますます笑みを強めた顔でこちらを見据えてくる。

 「さっき正門でメイドを脅かしたのは、君かい?」

 セレトは、そんな少女の態度に多少の苛立ちを感じながらも、それが顔に出ないように気を付けながら話を続ける。

 少女は、ますます笑みを強めてこちらを見てくる。

 「おいおい、何か答えてくれよ。」

 少々言葉を強めながら、セレトは、少女に一歩近づく。

 そのまま、門の格子に置かれていた少女の手を掴もうとする。


 「きひ、きひひひひ。」

 すると、突然少女が笑い出した。

 「きひひひひ、けひひ、けけけ、けひけひ、きひひひひ。」

 まるで狂気に満ちたように少女は笑い続ける。

 歯と歯の間から、空気が漏れだすような音で、笑い続ける少女に、セレトは一瞬虚を突かれる。

 その一瞬で、少女は、自身を掴もうとするセレトの手を潜り抜ける。


 その身のこなしにセレトが驚いていると、少女は、自身のボロの前面を大きく開いた。

 そこには、バラに囲まれた獅子の力強い顔が掘りこまれたメダルがついた首飾りがあった。

 少女が頭にフードのように被られていた布を外すと、そこには肩程までに伸ばされた銀のように鈍く光る白髪が広がる。

 そして一部の髪の毛は、少女の目を覆い隠すように顔にかかった。


 「きひひひ。お初にお目にかかります。セレト様。ご無礼な態度をお許しください。きひひひひ。」

 こちらを敬っているのか、馬鹿にしているのかわからない態度で少女は、頭を垂れる。

 「我が主からの伝言をお持ちさせていただきました。きひひひ。少々お時間を頂けますか。ひひひひ。」

 歯の隙間から漏れ出すような声で少女は、言葉を紡ぐ。

 セレトは、その言葉にただただ頷くしかできなかった。


 裏庭の木々に囲まれたちょっとした空間。

 屋敷からも、門の方からも目につきにくい場所に移動し、改めてセレトは、少女を見る。

 相変わらずボロをまとまった少女は、人を小馬鹿にしたような顔を変えずに、セレトに話しかけてくる。

 「きひひ。ユラと申します。お見知りおきを。ひひひひひ。」

 言葉の端々に出てくるどこか狂気を感じる笑い声を発しながら、ユラは言葉を続ける。

 「きひひひ。我が主は、舞台は手配したと述べております。ひひひ。」

 セレトは、品定めをするような目で少女を見つめているが、少女は、それを意に介さぬように伝言を述べあげる。

 「ひひひ。ただし、舞台の準備まで約2ヵ月ほどかかる模様。きひひひ。それまで、貴公が動けるのであれば、そのタイミングで自由に動くことを許可をするということです。けひひひひ。」


 つまるところ、セレトとリリアーナが派遣される戦場が決定したということであろう。

 その戦場で、リリアーナを何らかの方法で始末をするか、もしくはその前に始末をするか。

 セレトは、頭の中でこれからの動きを考え始めながら、ユラに問いかける。


 「ヴルカル様の御意思は、よくわかった。期待に沿えるように全力を尽くすと伝えてくれ。ところで、舞台はどこになった?」

 戦場。次に戦うべき場所。それは、リリアーナとの絡みを抜きにしても、抑えておく必要がある要素であった。


 ユラは、それを聞くと一瞬キョトンとした顔をしたが、すぐに、またニヤケタ笑い声を上げ始めた。

 「きひひひひ。それがですね、セレト様。正式な発表は、もう少し後になりますが、我が主達は、次の舞台はクラルス王国にするようですよ。ひひひひ。」


 クラルス王国。その言葉を聞いた瞬間、セレトは、一瞬頭が真っ白になった。

 山に囲まれた領土のクラルス王国は、元々ハイルフォード王国とは、そこまで敵対している国家ではなかった。

 隣国でこそあるものの、その領土境には、その領土を大きく区切るように山が連なっており、両国の積極的な交流を妨げていたのである。

 それゆえ、互いに相手国と干渉をしあうこともなく、友好とも敵対ともいえない関係が続いている国家であった。


 しかし、その天秤は、二年前に突然崩れることとなった。

 クラルス王国が有しているいくつかの山で、金鉱が見つかったのである。

 その情報は、すぐにハイルフォード王国の有力者達の耳に入ることとなり、同時にこれまで見逃されていたクラルス王国の豊富な鉱山資源にハイルフォード王国も目をつけることとなったのである。


 そして慎重論もあったものの、欲にかられた一部の上層部の指示ですぐにクラルス王国へと軍が差し向けられ、両国は開戦となった。

 開戦当初、戦況は圧倒的にハイルフォード王国が有利であった。

 元々、豊沃な土地を多く所持しているハイルフォード王国は、他国からの侵略も多く、一年を通して国のどこかで何からしら戦があるということもあり、軍隊の練度は非常に高かった。

 一方、クラルス王国は、その山々によって囲まれた高い防衛力を持つ国土に好き好んで攻め込んでいる者もおらず、そのような状況下において単純な軍事力ではハイルフォード王国に分があったのである。

 しかし、ある程度クラルス王国の奥地に攻め込んだハイルフォード王国は、そこから敗走をする。


 一つは、クラルス王国がこれまでの正攻法ではなく、ゲリラ主体の戦に切り替えたことにより、ハイルフォード王国の補給線が途切れたことにより、部隊の維持が難しくなった点。

 そしてもう一つは、クラルス王国に新たな援軍が表れたことによる軍事力の逆転。

 この二要素により、当時、侵攻を進めていたハイルフォード軍は撤退。

 互いの元々の国境線まで部隊を下げ、そこでクラルス王国の追撃部隊を何とか押しとどめ、この戦は終わることとなった。

 そして現在、両国は国境線で互いに部隊を展開し、にらみ合いを続けている状況である。


 ハイルフォード王国は、ルムース公国との戦が始まり、クラルス王国へ攻め込む余裕がなく、クラルス王国としても、これ以上、戦線を広げようにも補給線の関係で難しく、お互いに千日手に陥っていた。

 そんな中、ルムース公国との戦が終わり、ハイルフォード王国に余裕ができたのは確かであった。

 確かに戦線を動かすには、ちょうどよいタイミングであることは確かであった。

 しかしセレトは、自身がその戦場に送られるということは、まったくもって望ましくないことであった。


 「きひひひ。我が主に限らず、我が国の上層部の者達は、ひひひ、クラルスが所持しているあの化け物たちの相手に、セレト様と聖女のお二人が、きひひひ、適任と見ているようです。ひひひ。」

 ユラが相変わらず癇に障る声で二人が選ばれた理由を述べてくる。


 「きひひひ。まあ蛇の道は蛇。魔獣に対しては、セレト様のようなそちらに造詣が深い者や、聖女のように魔の者を抑えられる者に任せたいということなのでしょう。ひひひひ。」

 そう、クラルス王国は、魔獣の使役に成功していた。

 人の力を遥かに超えた魔の者達の力はすさまじく、多少の軍の練度の差等を跳ね返してしまうこの力をもって、戦場を蹂躙した。

 また一部の羽をもつ魔獣達は、山道を行軍している部隊をあざ笑うかのように、その地形の悪さを無視するような動きでハイルフォード王国軍に多大な損害を与え続けていたのである。

 これをもって、クラルス王国は、ハイルフォード王国を領土から追い出すことに成功。以後、ハイルフォード王国は、クララス王国への進軍を、根本から見直す必要が出てきたのである。


 そして、同時にこの戦場への自身の派遣ということは、セレトにとってもリリアーナの暗殺を難しいものにさせていた。

 たしかに、非常に危険度が高い戦場であり、未知数の敵が多くいる戦場であれば、暗殺を行っても、それが露見する可能性が低いのは確かであった。

 しかし同時に、そのような戦場において自軍の一部、それも主力となりうる部隊を切り捨てるということは、自身の生存も危ぶまれる可能性が高い、一種の賭けであった。


 そのことに頭を悩ましているセレトを、ユラは、にやにやと笑いながら見つめていた。

 「きひひひ。我が主は、セレト様に期待しております。ひひひ。まあ舞台が整うまで、後2ヵ月程ございます。それまでごゆりとご準備ください。きひひひ。」

 セレトは、そんなユラの顔を苦々しげに見つめる。

 ユラは、そんなセレトを心底楽しそうな顔で見つめ返してきた。


 「いいとも。」

 セレトは、ユラに話しかける。

 「ひひひ。どうなさいましたか?」

 ユラは笑いながら聞き返す。


 「クラルス王国へは、聖女が派遣されない状況を作り上げてみせよう。」

 セレトは、半分笑ったような顔で言葉を吐き出す。

 「きひひひ。なるほど。ひひひひひ。それは素晴らしいアイディアですな。きひひひひ。」

 ユラは、笑いながら言葉を返す。


 出兵までにリリアーナを暗殺する。

 そうすれば、クラルス王国への出兵は、取りやめか、最悪でもリリアーナの代わりの部隊が派遣される可能性が高い。


 自身の生き残りの道を模索するセレトに対し、目の前のユラは、心底楽しそうに笑い続ける。

 苦悩するセレトと、笑みを浮かべ続けるユラ。

 両者の表情は、正反対のものであったが、共に狂気を帯びたような雰囲気を発していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る