第四章「帰還と準備」
第四章「帰還と準備」
セレトが目を覚ますと、そこは、自室のベッドの上であった。
外を見ると、既に太陽は上がっている。
ふと、室内の壁に掛けられた時計を確認すると、時刻は既に12時近く、昼食の時刻の直前であった。
ここは、王都の外れの区画にある、セレトの一族が所有している別荘。
今回、王都の宴に出席をするため、セレトとその部下達が一時的な住まいとして活用をしている屋敷であった。
身体を起こそうとして、二日酔いの頭痛が頭の中で響いていることに気づく。
ふと服装を見ると、自分が着替えた覚えがない寝間着となっていた。
昨晩は、あの後、飲み屋を何件か飲み歩き、行く先々の店で金をばらまきながら酒を呷り、様々な人々と馬鹿騒ぎを繰り返していた記憶があったが、何時のタイミングで自分が屋敷に帰ってきたかを、セレトはどうしても思い出せなかった。
しかし、そのことを詳しく思い出そうにも、頭痛も残ったこの状況で、セレトは、考えをまとめることはできなかった。
ふと、ベッドの隣に置かれた机の上に、コップと水差しが置かれていること気が付き、セレトは、コップに水を入れ、一気に飲み干した。
温くなっているだろうと予想していた水差しの中の水は、しっかりと冷えており、セレトを驚かせた。
定期的に誰かが入れなおしてくれたのだろうか。
そのことに一抹の感謝の念を浮かべながら、セレトは、もう一眠りをしようと床に就こうとする。
すると、タイミングを見計らったように部屋のドアが開けられ、恐らく水差しを定期的に交換していてくれたのであろう人物が部屋に入ってきた。
「おや、坊ちゃま。お目覚めですか。」
入ってきたのは、メイドのネーナであった。
一族の当主は、未だセレトの父親であるためか、セレトは、彼女に「坊ちゃま」と呼ばれている。
セレトより少し年上の、このメイドは、幼い頃のセレトの遊び相手として父に雇われてから、いまだに付き合いが続いているセレトの部下の一人ではあった。
「起きているのでしたら、すぐにご準備をしてください。食堂にて皆様がお待ちですよ。」
彼女は、セレトが応える間を与えずに言葉を続け、机の上に新しい水差しを置き、セレトに着替えを渡すと部屋を出て行った。
まだ頭痛は残っていたが、我慢できない程でもなかった。
昨晩の自分の放蕩ぶりに恨み言を言いながら、セレトは、身支度を整えながら階下の食堂に向かった。
「おや、旦那。ずいぶんお早いお目覚めで。」
食堂に入ると、下卑た声で早速声をかけられ、セレトは、その声の主の方に顔を向ける。
「顔色が悪いですな。旦那。起きるには、まだ早い時間ですから、食事の前にもう一眠りをされたほうが宜しいのでは?」
声の主である、セレトの部下のグロックは、そのまま品のない声で笑い出した。
その無礼な様子を、食事の準備をしているネーナが強く睨むが、グロックは気にしたそぶりもなく受け流す。
もっとも、セレト自身は、グロックの態度を気にするつもりはなかった。
元々グロックは、傭兵団の頭として部下を率いて方々の戦場で暴れまわっていた男であった。
しかし、功績をいくら上げても、その育ちの悪さと本人の喧嘩っ早さを問題視され、中々安定した雇い主を見つけられず、部下共々、路頭に迷いかけていたところを、セレトが声をかけ部下として雇い入れたのであった。
実際、グロックは、学こそ無いものの、長年に渡って戦場に身を置いてきた経験を活かし存分な戦果を上げ続けているため、セレトにとっては十分に有益な人材であった。
弱小貴族の家系ということで、人の雇い入れにも苦労しているセレトにとって、それなりの実力を持ちながらも、各所でもてあまされていたグロックは、貴重な戦力として今現在、セレトの部隊の中枢を担っているのであった。
最も、その力を正当に評価されずに燻っていたグロックにとっても、その性格に目をつぶり、実力を高く評価してくれるセレトは、理想的な雇い主ではあったが。
「おはよう。グロック。そのだみ声を聞かされたおかげで、十分に眠気は覚めたよ。」
セレトは、適当な返事をグロックにしながら、そのまま歩を進める。
グロックは、隣に座っている自分の部下に、「相変わらず旦那は口が悪いな。」と声をかけ、そのまま部下達との雑談に戻った。
その様子を尻目に、セレトは食堂の奥に進む。
自分の席の近くに進むと、セレトが近づいてきたことに気が付いた黒服の女性と、白髪(はくはつ)の男性が席を立ちセレトに礼をする。
「おはようございます。セレト様。」
甘えるような声で黒服の若い女性、アリアナがセレトに挨拶をしてくる。
アリアナは、セレトと同じく、呪術師を多く擁し、迫害をされ続けた部族の出身であった。
ただ、彼女の一族は、セレトの一族と違い、王国や他国に取り立てられることはなかった。
そして度重なる迫害により、親も兄弟も、そして親族も亡くし、そのまま野垂れ死にそうになった彼女であったが、そこをセレトに拾われて、以降セレトの忠臣として仕え続けている。そんな人物であった。
「セレト様。後でご報告とご相談したいことがございます。」
そして、アリアナの挨拶が終わると同時に、白髪の男性が、リオンが声をかけてくる。
セレトの教育係として、父親が手配したこの男は、その裏で領地の運営や、セレトの部隊の管理、経理等を行いながら、セレトのサポートを行っている。
その白髪から、一見するとかなりの年齢のようにも見えたが、彼自身は、青年と中年の間ぐらいの、まだ若々しさが残るぐらいの年齢であった。
二人の挨拶に会釈を返しながら、セレトは自身の席に座り、ネーナが用意した食事を摂る。
身体に酒は残っていたが、それを見越したであろうネーナの配膳、あっさりとした味付けのオートミールは、セレトの胃の中に問題なく収められた。
食後のコーヒーを飲んで一息をついていると、リオンが部隊の収支について簡単な相談を持ってくる。
部隊の予備費として見込んでいた費用が足りなくなりそうなので、先の戦いの報奨の一部を、部隊の損耗に充ててもいいかという相談であった。
「後で、詳しい資料をお持ちしますので、一度ご相談をできればと思いますが、大丈夫でしょうか。」
リオンは、セレトにこの後の日程を聞いてくる。
「いや、詳細なは説明は構わんよ。すぐに取り掛かってくれ。」
しかし頭痛がひどいセレトは。その場ですぐに詳細な内容は聞かず承諾の意思を示した。
恐らく、今回の件について、かなり詳しく計算、準備を行い、セレトに説明をしようとしていたリオンは、セレトのあっけない承諾を受けて、少々面食らったようだが、すぐに手配する旨を述べると、そのまま部下達に指示を出すために退出をした。
自分より優秀な部下が出した結論に、いちいち意義を挟む余裕は、今のセレトにはなかった。
その様子を遠目にみながら、セレトは、コーヒーを飲み干すと自身の執務室に向かう。
途中、ネーナを捕まえて、来客の有無を尋ねてみるが、今日は特に来客はなかった模様である。
昨日の面談を思い返しながら、ヴルカルからの使者は、どのタイミングで来るのであろうかと思いながら、セレトは、仕事に取り掛かることにした。
執務室にて、二日酔いの頭痛が、多少は収まってきた状況で書類や手紙を斜め読みをしていると、コンコンと、ドアを叩く音がした。
セレトは、音の主に部屋に入るように促すと、ドアが開きネーナが部屋に入ってきた。
「お飲み物をお持ちしました。」と、ネーナは話しながら、お盆の上にあるコーヒーと、軽い茶菓子を、セレトの机の上に移していく。
セレトは、その様子をぼんやりと眺めていた。
「ネーナ、少しいいか。」
テーブルの上に飲み物を並べ終え、一礼をして退出をしようとするネーナを、セレトは呼び止める。
今一度、部屋の周りに張った結界術の様子を確認する。結界には、特に反応は出てなかった。
「どうかなさいましたか?」
ネーナは、主の言葉に首をかしげながら、セレトの前に移動する。
そして、その口から忙しい時間に呼び止められたことに対する不服を、「坊ちゃま」に出そうとするが、セレトの只ならぬ様子に気づいたのか、その口を閉じ、セレトの言葉を待った。
「面白い話が舞い込んできた。」
セレトは、軽い牽制で言葉を放ち、ネーナの様子を見る。
ネーナは、そんな主を少し警戒した様子で観察しながら、次の言葉を待つ。
彼女は、自身の主が発している不穏な空気を感じ取っていた。
「昨日、古王派の貴族から一つ仕事をもらった。」
セレトは、そんな彼女の様子を見ながら、話を続ける。
「国内の貴族の最大派閥ですね。」
ネーナは、相槌を打ちながら、セレトの言葉を促す。
「そうだ。その古王派だ。その方が言うには、とある政敵を排除してくれれば、それなりの地位を見返りで与えてくれるということだ。」
排除が、即ち暗殺であろうことは、ネーナは、容易に予想が付いた。
「それで、その貴族の方は、誰の排除をお望みなんですか?」
明らかに厄が強すぎる話に、彼女はため息をつきながら、主の次の言葉を待つ。
セレトは、そんな彼女の様子を見ながら、言葉をためる。
「聖女だ。」
その言葉を聞いた瞬間、ネーナは、呆れたように肩をすくめる。
出てきた名前は、彼女の予想をはるかに超える厄であった。
「本気ですか?」
ネーナは、呆れ半分、恐れ半分のような口調でセレトに言葉を返す。
セレトは、その言葉に頷く。
そんなセレトを見て、ネーナは、真剣な表情をすると口を開いた。
「お父君には、どのように報告をなさいますか?セレト様。」
普段の坊ちゃん呼びでなく、セレトの名を呼ぶ。
明らかに無謀な話ではあったが、主が既に決めたことに対し彼女は文句は言わず、その実行のための指示を求める。
「父上には、何も知らせるな。」
セレトのその言葉に、ネーナは了解した旨を伝える。
「話を伝えたところで、何か助けになるとは思わん。」
セレトの父親は、あくまで地方の一領主に過ぎなかった。
国に仕える者としての責務を果たすことを第一とし、日々領土の運営を行っている男。必要以上に政治に関わるのは、自身に求められていないことと考える昔ながらの武人。それがセレトの父親であり、現在のセレトの家の家長であった。
そのような父親が、本国で行われている政治劇について理解を示すとも思わなかったし、今回のような話に乗るとも思えなかった。
最悪、話が漏れたことにより下手な茶々を入れられ、この話自体が瓦解する可能性も大いにあった。
そして、目の前のネーナも、その気持ちは同じようであったのか、セレトの言葉に頷く。
「どのように進めるおつもりですか?」
ネーナは、詳細の確認のため、話を問いかける。
「戦での戦死が先方のご希望のようだが、詳しいことはまだ決まっておらん。今日辺りに、向こうから使者が来るようだから、そのものと話して、最終的な動きは決めるよ。」
ネーナは、その言葉に頷く。
「向こうは、誰かしらわかるものとをこちらに送ると言っていた。それらしいのが来たら、私を呼んでくれ。」
セレトは、そう話すとネーナは、了承した意思を示す。
「他の者には、どのようにお伝えしますか?」
最後にネーナは、他の部下への対応を確認してくる。
「夜、グロックとアリアナにも話そうと思う。二人にうまく声をかけてくれ。」
ネーナは、分かりました。と短く答えると、そのまま部屋を退出する。
これでいい。
ネーナは、父に仕えている人間であるが、その忠誠は自身に向けられている。
事前に根回しをしておければ、今後、セレトの助けになるであろうことは、十分に予想できた。
そのうえで、自身の手持ちの部下と、今回のヴルカルの依頼をについて考えを進める。
量も個々の質も優っている、リリアーナの部隊に対し、セレトの部隊では、当然に太刀打ちはできない。
だが、今回は正面を切っての戦いではない。
彼女達とは、最後の最後まで、直接戦う必要はないのである。
そう考えれば、例え戦力で劣っていようと勝機は十分にあるように思えた。
何にせよ、賽は投げられている。
後は、ヴルカルがどのような舞台を整えてくれるかを知ってからの話であった。
ネーナの前、強がって見せてはいたが、これが分が悪い賭けであることをセレトは気づいていた。
おそらくネーナもそれは、気づいているのであろう。
しかし、引き続き書類の文字を目で追いながら、二日酔いの頭痛とは、また違った頭痛を感じながらも、セレトは、どこか期待に溢れた感情が溢れてくるのを実感しながら、ヴルカルの使者の来報を待った。
その目は、どこか歓喜に満ちているようにも見えた。
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