第5話


目覚めると見知らぬ部屋にいた、特に豪華でもボロくもない平々凡々とした六畳ほどの部屋だった。あれほどのダメージを受けたにもかかわらず身体のどこも痛くないむしろ身体が軽い、全体的に一回りほど筋肉がつき身体が大きくなっているような気がする。手を握りしめるとギリギリと音を立てるほどに力が上がり、また爪が食い込んでも全く痛くないほど肌が硬質化している。


もう少し自身の成長を実感したかったがそれはノックの音で遮られる。ドアが開くと俺を台車に乗せて運んだ奴らのような黒衣、白面の人間が立っていた。


「アルス様がお呼びです。こちらお着替えになります」


「あ、あぁ、ありがとう。」


声からして男であろう白面を被った人間は自身と同じマントのような黒衣を渡してきた。


「そちらがここでの正装となっております、洗面所は出て左、お手洗いも同じく。準備でき次第お声かけください。」


それだけ言うと男は部屋から出て行った。口調は丁寧だが有無を言わせぬというか無愛想だったことが少し不気味に感じた。


俺は黒衣と白面を手に持つと扉を出て洗面所に向かう、洗面所には小さな洗面台と鏡、隣に簡素なトイレがあった。俺は初めて俺の顔を見た、ソイツは切れ長の目で端的にいうと悪人面というか目つきがあまりよくなく、肌は病的な青白さだった、髪色は黒、肩あたりまで伸びた髪はまとまりがなくボサボサだった。


ただソイツはまごう事なき人間だった。俺が目指していた姿がそこにあった、達成感に近い爽快感とまだこの上があることを感覚的に俺はわかっていることによる物足りなさ、そんな感じがない交ぜになった気分になった。


俺は蛇口を捻り顔を洗うと黒衣をまといアルスの元へと向かった。部屋前まで案内すると白面の男はどこかへ言ってしまう、俺は若干戸惑いつつもノックをして扉を開ける。部屋に入るとアルスが正面に座っていた、対面に椅子がありおそらく俺用であろう、目線で問うとアルスは微笑を浮かべ肯定した。俺が椅子に座るとアルスが口を開く。


「良いねキミ、やはりノックができる奴は良いね。」


アルスは満足げに笑っている。俺が困惑しているのを察したのか言葉を続ける。


「ごめんごめん本題に入ろう、キミの施術前にも聞いたことなんだが、魔王軍および魔族には敵意がないってことで良いね?」


「はい、そもそも俺は魔王軍とかよく知らないので・・・」


「そっかそっか、それは結構。それで結論から言うんだけどキミを魔王軍にスカウトしようと思うんだ、もちろん給料は出るし働きによっては昇級もある。」


「はぁ…」


俺は話が思いがけない方向に向かっていくことに混乱を覚えながらも返答する。


「それに、キミの野望の手伝いもさせてもらおうと考えているんだけど?」


「…俺の野望ですか?」


俺はアルスに警戒の視線を向ける、アルスはわかっていたように微笑みながら腕を組んでいる。


「人間になりたいんだろうキミ?」


「……なぜそれを?」


「企業秘密…ってことにしたいけどキミの信頼を勝ち取る方がメリットが多そうだね。」


そう言うとアルスはこちらに手を伸ばしてくる。


「僕の能力の一つでね読心というものがあるんだ、字の通り相手の心を読めるというものでこれは可逆性を持つ能力でね、キミに僕の考えを送ることもできるんだ、これを買われて僕は魔王軍に居るってこと。ただこの能力は対象に接触しないといけないんだ。」


俺は恐る恐るアルスの手を握手のように握る、するといくつかの情報が滝のように俺の頭に流れ込んでくる。


俺が人間に近い魔物でありその希少性、魔王軍と俺の利害の一致、俺のレベルの上昇とその要員、その他諸々。


「なるほど…」


俺は顎に手を当て流れ込んできた情報について考える。


「じっくに考えてくれと言いたいところなんだけど、僕も立場があるんで忙しくてね。できればいま返事が欲しいな。」


アルスは立ち上がるとカップに紅茶を入れだした。


「俺って何者なんでしょう?」


「んー難しいね、分類で言えばキミは間違いなく魔物だ、ただ思考と願望は限りなく人間に近い、そういった謎も魔王軍に入ってくれれば解明に手伝いをしてあげられる。」


アルスは紅茶の入ったカップをこちらに一つよこす。俺は軽く会釈をすると一口もらう鼻から抜ける香りがとても良い。


「分かりました、魔王軍へのお誘いありがたく受けさせてもらいます。」


「うん、よかったよ。」


アルスは今日一番の笑顔を浮かべるとカップに口をつける。


「あっそうだ、忘れてたよ。」


アルスは紅茶をテーブルに置くと、こちらに向き直る。


刹那、部屋全体に凄まじい殺気が放たれる、身体の芯から凍えるような殺意に俺はカップを落とす、心臓を握られたような息苦しさに、全身から冷たい汗が滝のように流れ出る。呼吸すら忘れ、俺はまともにアルスの方を見ることができなかった。


動いたら死ぬ、早くこの場所から逃げ出したい気持ちを必死で押さえ込み、生唾を飲み込む。


時にして数秒、俺からすれば永遠にも感じられる時が過ぎた。気づけば足下はカップが割れ紅茶が滴っていた。いつの間にか出たのか鼻血も出ていた、手で雑に拭う。


「ごめんごめん、これ一応儀式的に必要でね、忘れてたよ、ハハハ。」


アルスは何事もなかったかのように紅茶を飲んでいる。


俺は答えることもできずただ呆然とアルスを眺めていた、格が違う生物としての格が圧倒的に違う、戦うとかそういう次元の問題じゃない。


「これでも軍では中堅くらいじゃないかな?上には上がいるからねぇ…」


「そ、そうですか…」


アルスはタオルをこちらに投げて渡す、俺は慌てて受け取ると床にこぼれた紅茶にタオルを雑にかぶせる。


「ただこの殺気も相手が弱すぎると感知すらできないし、感知はできても実力差がありすぎると最悪死ぬからキミなかなか見所あるね。よし!合格、これからキミは魔王軍情報部所属だ。」


アルスの切り替えの早さに俺はある種の恐怖を感じながらもなんとか会話を成立させる。


「ありがとうございます、ところで情報部ということは他部署もあるってことですか?」


「良い着眼点だね、基本的に魔王軍はひとつなんだ、情報部は最近設立されたんでそこまで人員も居ないし軍本部から重要視されていないし権限もさほどない、その分自由にやらせてもらってるってのが現状だね、ていうかぶっちゃけ僕が勝手にそう言ってるだけで情報部なんて軍本部から認知されてないと思うけどね。」


俺は苦笑いすると、アルスも合せて微笑む。


「それと、これも忘れないうちに。入隊?入部?何はともあれ祝いの品として僕から送らせてもらうね。」


アルスはテーブルの引き出しから一枚のカードを取り出すと俺に渡してくる、特筆するところもない真っ黒なカードで何が書かれているわけでもない。


「ステータスカードだ、見るのは初めてかな?魔力を込めるとキミのステータスが見えるって代物さ。」


言われるままにカードに魔力を込める、すると真っ黒だったカードにじんわりと文字が浮かび上がる。上から名前、種族、レベル、体調、スキル。と欄が続いていた。


名前の欄は空欄だった、当然といえば当然で、自我を持ってこのかた自分を名乗る機会もなかったわけで名前の必要性がなかったわけなのだから。後で適当に考えておかなければ。


種族の欄には魔物、食屍鬼グールと書かれていた、まあ人を喰っていたわけだし間違いではないだろう。


レベルは16となっていた、このレベルの値についてはアルスの読心の際に知識として入っておりそこそこの数値であるということは理解している。しかしその俺でさえ勝てないと本能が悟ってしまったアルスは一体どれほどのレベルなのかと考えてしまう。


体調の欄は良好とだけ書かれ、スキルの欄は踏破者、カリスマの二つが書かれていた。それ以外には特に書かれておらず非常にすっきりとした、悪く言えば情報不足感の否めないカードであった。


「名前も付けないとね、いつまでもキミ呼ばわりっても決まり悪いしね?」


俺がステータスカードと睨めっこをしているとアルスはそういってカード俺から受け取ると軽く魔力を込め、やり終えると俺に再びカードを返してきた。


返ってきたカードを見ると名前の欄にケイと入っており、ほかにも種族が人間に変わっていた。それ以外には特に変化はなかった。


「適当に呼びやすい名前を付けておいた、特に含意はないよ。もしかして名前は心に決めたものがあったりした?」


俺は首を横にふる。


「それはよかった、改めてよろしくケイ。」


アルスは握手を求めて手を伸ばしてくる、俺は読心の件もあり少し戸惑ったがアルスの手を取り握手に応じた。


「はいよろしくお願いします、アルス様。」


「様はちょっとくすぐったいかな?さんでいいよアルスさんで。」


アルスは軽く頭をかくと恥ずかしそうにそう言う。


「分かりました、アルスさん。」


「さっそく仕事の話で悪いんだけども、今後ケイにはおそらく人間に紛れて行動してもらうことになると思う、そのために種族を少し書き換えさせてもらったよ。カードの表示は持ち主の任意で変更可能にしておいたから適宜変更してくれてかまわないよ。」


「分かりました。」


「話が早くて助かるよ、おっともうこんな時間か、ケイとはもう少し話したかったんだが僕もこれで結構忙しい身でね、詳細はまた今度話そうか。」


アルスは壁に掛かった時計を一瞥しそう言うと席を立ち上がった、かと思うのもつかの間煙のように目の前から消えた。俺はあまりに唐突な会話の幕切れに驚く、しかし気がつけばふぅと大きなため息をついていた、自分でも知らず知らずのうちにかなり緊張し気を張り詰めていたらしい。


こうして魔王軍に所属した俺の人生が始まった。

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