第3話 甘い物は余裕で別腹になるのです。

 サロンを出てマルティナとリディアは二階へと向かう。

 廊下も階段も使いこまれた木の艶が美しい。マルティナにはかなり高い段差の階段はリディアにとっても歩きにくいようだ。


 ヴァランデール国の成人男性の平均身長は百八十センチ、成人女性は百七十という長身の人々の中、異世界人のリディアは百六十センチ、マルティナに至っては百四十五センチ程しかない。家や家具は基本的に成人男性に使いやすいように作られているので、二人にとってはすべてが大きい。


「百二十点って、ルティも判るの?」

 リディアが苦笑した。


「え? 女神さまの採点方法ですよね?」

 マルティナは聞き返した。駄目なことは零点。そこから数字が大きくなると良い行動になって、満点は百点。満点以上だと百二十点と表現するのは、もともとは女神さまが人間の行動に対して行う採点。毎日良い事をすると点数が溜まっていく。悪いことをすると点数が引かれる。死ぬ時に女神さまに報告する点数が多いと女神さまに近い場所に住めることになり、点数が低い者は女神さまに会うこともできず、遠くて暗い場所で住むことになる。だから良い事をたくさんしなければならないと教えられてきた。


「そうなの? 私と巫女姫の世界でも使う表現なのよ。トーティルは綾と聡子と接点多いから、そっちから教えてもらったのかと思っていたわ」

 リディアはさらに苦笑した。離宮に半ば引きこもって日常接する人々が少ないリディアと異なり、大勢の人々と交流する巫女姫の綾と聡子は、日本の言葉や習慣をやたらと周囲に教えてしまう。第三騎士隊の隊員から「豆腐メンタル」「草生える」という言葉が出てきた時には目まいがした。


 そうでなくとも、この異世界には過去に何人もの日本人が召喚されたり迷い込んだりしているらしい。あちこちに日本独特の風習や文化が残っていることがある。


      ◆


 話しながら二階の二号室の扉の前に立った。

「ルティ、ちょっと結界を張るわね」

 リディアの手のひらから溢れた淡い紅色の光が、マルティナとリディアを包む。

「アルノルト、いる?」

 リディアが声を掛けながら扉を叩く。


 扉が開いた瞬間に白い煙が目の前に広がった。結界に包まれているので影響は一切ない。

「え?」

 白い煙が落ち着いた時、マルティナは頭から白い粉を被った男が立っていることに気がついた。


「アルノルト! もったいないから小麦粉は止めなさいっていってるでしょ!」

「残ー念ッ! 小麦粉じゃなくて、じゃがいも粉だ!」

 顔に掛かった白い粉を手で払った男はリディアの叫びを聞いて、大きな口を開けて笑う。粉の下は青紫色の髪。橙色の目が楽しげに輝いている。少し低めの声が異常な程魅力的に聞こえて、マルティナは胸を押さえた。心臓が早鐘を打つ。


「どちらにしても食べ物はもったいないでしょ」

 溜息を吐いたリディアが手を叩くと白い粉が消えた。


「ああーッ? 何故だ! 何故消した! 片付けて、一人寂しく拭き掃除をするまでがお楽しみなのにッ!」

 青紫色の髪をかきむしりながら男が身を捩り、マルティナは口を開けたまま固まっていた。先程、胸を押さえる程の声の魅力は吹き飛び、町でなら確実に評判になるような凛々しい男性が悩ましく身を捩っている理由を理解することは出来なかった。


「今は片付けを待っている時間はないの。今日からこの宿舎の管理人になるルティよ」

 リディアがにっこりと微笑んだ。慌ててマルティナは口を閉じて背を伸ばす。

「ルティです。よろしくお願いします」

 頭を下げて上げると、目の前に端正な顔があってマルティナは驚いた。しゃがんで背を合わせてくれているらしい。


「君ッ! 食べ物以外で白い粉を知っているかい?」

 何故か男が真剣な顔でマルティナの肩を掴んだ。

「か、貝殻の粉か焼き石膏・・・でしょうか」

 マルティナは、救護院の近所にある白墨チョークの店を思い出していた。時々仕事を手伝っていたので、白墨は貝殻の粉と焼き石膏を糊で固めた物だということを知っている。


「そうかッ! 早速手配しよう! あ、そうだ。俺はアルノルト。よろしく、ルティ」

 勢いよく立ち上がり途中で思い出したかのようにアルノルトが自己紹介をした。マルティナはその切り替えに付いていけずに、目を瞬く。


「お茶の時間に来ないから、モーリッツがお菓子を全部食べてしまいそうよ?」

 リディアがアルノルトに笑いながら告げた。混乱して緊張したままのマルティナの肩にリディアの温かい手が置かれ、マルティナの緊張が解けていく。


「何ッ? 今降りる! 待っててくれ、俺の焼き菓子ちゃーん!」

 そう叫んだアルノルトは、扉を開けたまま慌ただしく階段を降りて行った。


「アルノルトの部屋は、いろんなトラップが仕掛けられてるから、気を付けてね」

 リディアは苦笑しながら扉を閉めた。〝扇動者インスティゲーター〟アルノルトは、自分の部屋に罠を仕掛けて、自分で掛かって一人で後片付けをするのが趣味。他人に罠を掛けることはなくても、時々とばっちりを食う。


「いろんな罠……ですか?」

 いい歳をした男が子供のような悪戯を仕掛けて楽しんでいることが理解できない。


「机の引き出しを開けたらナイフが飛び出してきたり、クローゼットを開けたら甲冑が雪崩を起こしたり、床の一部分を踏むと上から水が降ってきたり、足くくり罠で天井から吊るされるとか、いろいろよ」

 リディアが笑って言う内容にマルティナは衝撃を受けた。それは下手をすると死ぬ。絶対にアルノルトの部屋には入らないとマルティナは心に誓った。


      ◆


 リディアが三号室の扉を叩いた。

「どうぞ」

 中から男性の返答があり、リディアが扉を開けてマルティナと共に中に入る。部屋の白さにマルティナは驚いた。床には白い石板が敷き詰められていて、奥のベッドには白い天蓋が掛かっている。貴族の女性の部屋のような白い優美な家具が揃えられ、壁もカーテンも白い。棚や天井、あらゆる場所に鏡が設置されていて、視界の中に必ず自分の顔が映る。


 壁際の優美な白い机の上に置かれた鏡を覗き込みながら淡い橙色の髪の人物がこちらに背中を向けて椅子に座っていた。白いシャツに白いズボン。神官と間違えてしまうかもしれない。


「今日からこの宿舎の管理人になるルティよ。彼はバルバナス」

「ルティです。よろしくお願いします」

 マルティナは丁寧に頭を下げて、前を向いた。鏡の中に映る美しい緑色の目と目が合って、どきりとする。


「そうですか。よろしく」

 静かに答えたバルバナスは、まるで鏡の中から挨拶しているようでマルティナは不思議な感覚に囚われていた。

「お茶の支度ができているけど、どうする?」

 リディアが鏡に向かって笑う。〝複製者レプリケーター〟バルバナスは常に鏡を見続けている。バルバナスが鏡から視線を外すのは、彼が魔法を使う時のみ。


「……行きます」

 そう言って、ゆらりと立ち上がって振り向いたバルバナスは、とても綺麗な顔立ちをしていた。背の半ばまで伸ばした髪が、さらりと肩から零れる。物語に出てくる精霊のような綺麗な顔だから、鏡をいつも見ているのだろうかとマルティナは考えた。


 部屋から出てバルバナスの後をリディアと歩く。バルバナスの片手には、持ち手付きの手鏡が握られていて、銀色で優美な花が彫られた手鏡を覗きこんで歩いている。


「バルバナス、鏡を見ながら歩くと危ないわ。そこに階段があるわよ」

 リディアが苦笑しながらバルバナスに注意した。


「大丈夫で……」

 鏡を見ながら答えたバルバナスが突然姿を消し、どたばたと階段を落ちる音がした。

「だから言ったのに」

 そう呟いたリディアが顔に片手を当てた。リディアとマルティナが駆け寄ると姿を消した場所に階段があり、踊り場にバルバナスが倒れていた。


「いつも言ってるでしょう? せめて階段では、足もとを見て」

 リディアが苦笑しながらバルバナスの手を引いて立ち上がらせた。立ち上がる時にも鏡は絶対に手放さない。


「体は丈夫です」

 バルバナスが手鏡に語りかけるように返事をした。

「貴方は大丈夫でも、見てる方が怖いのよ?」

 リディアが苦笑しながらバルバナスの服の汚れを手で払う。マルティナはバルバナスが大きな子供のように見えて仕方が無かった。


      ◆


 サロンに戻るとモーリッツとアルノルトが絵札カードで勝負をしていた。真剣なまなざしで絵札を繰り出す二人をトーティルがにこにこと笑みを浮かべながら見物している。


「ルティ、アルノルトとバルバナスのお茶をお願い」

「はい!」

 マルティナは先程習い覚えた手順でお茶を淹れる。この国で飲まれるのは数種類の乾燥した花や葉、果実を数種類混合ブレンドしたお茶が殆どなのに、今淹れているのは一種類の葉のみの珍しいお茶だった。

 ガラスのポットと共にワゴンに置かれた水時計の色が変わって、ポットの中は濃い紅色のお茶になった。少し混ぜるようにポットを揺すってから、静かにカップに注ぐ。


「どうぞ」

 ソーサーに載せてカップを渡す。


「おッ! すまんな」

 そう言ったアルノルトは絵札を伏せてテーブルに置き、薄い茶色の塊を指で摘まんではカップに入れる。

「アルノルト、砂糖を入れ過ぎよ。そんなに入れても溶けないのだから、カップ一杯の紅茶で五個までにしてって、いつも言ってるでしょ?」

 リディアが砂糖の容器をアルノルトの手元から避け、角砂糖を見たことが無いマルティナは、あれが砂糖なのかと驚く。砂糖といえば、さらさらとした砂のような物だけだと思っていた。


「ありがとう」

 バルバナスは静かにソーサーとカップを受け取って、角砂糖を三個いれて牛乳を注ぐ。その間も手鏡をずっと見つめている。


「ところで、今日は何を賭けて絵札勝負しているの?」

 リディアがモーリッツとアルノルトに聞いた。

「二個のどら焼きだッ! どちらが二個食べるのか勝負している」

 アルノルトが絵札を片手に真剣な顔で返事をした。

「一個ずつ分ければいいでしょう?」

 リディアが呆れた声で笑い、マルティナも内心同意する。


「それでは面白くないッ! これでどうだ」

 アルノルトが絵札をテーブルに叩きつけるように晒した。

「残念。俺の勝ちだな」

 モーリッツがにやりと笑って自らの手札を晒すと、アルノルトはテーブルに顔を伏せて動かなくなった。


「バルバナス、ちゃんと食べてる? 何がいい?」

 リディアがバルバナスに聞いた。籠にあった焼き菓子は、底が見えそうな程に減っている。このままではアルノルトとモーリッツにすべて食べられてしまうかもしれない。

「……どら焼きがいいです」

 バルバナスが手鏡に語りかけるように返事をした。リディアがテーブルにあった籠ではなく、持参してきた籠から紙の包みを取り出してバルバナスに手渡す。


「あれ、まだどら焼きあったんだねー」

 トーティルが笑って言った。

「トーティルも食べる?」

「僕はプリンで満足だよ。それにどら焼きは甘すぎて無理だ」


 マルティナは、どら焼きという菓子を知らなかった。バルバナスが優雅にかじり付いている菓子からは、甘い匂いと今までかいだことのない匂いがしていた。おいしそうな匂いにお腹が鳴らないようにと気を引き締める。


「ルティの分は部屋に置いてあるから、後で食べてね」

 リディアが小声でマルティナに耳打ちをして、マルティナは俄然やる気が出た。甘い物は大好きだが、ちゃんとした菓子は時々しか食べられない。満面の笑顔でマルティナは頷いた。


      ◆


 奇妙なお茶の時間を終えて、隊員達はそれぞれの部屋に戻って行った。マルティナはリディアと共に茶器をワゴンに載せて、簡易厨房へと向かう。

 狭い厨房はとても清潔で、魔法石を使う調理台、洗い物をする流し台、食器棚、作業台付きの戸棚、小さな冷蔵室があった。二人で洗い物をして茶器を片付ける。


「調理台の使い方はわかる?」

「はい。わかります」

「この戸棚に焼き菓子やお菓子が入っているから、もしも食べたいって言われたら出してあげてね」

 リディアがそう言って戸棚を開けると、ガラスの容器ケースに入ったさまざまな菓子が置いてあった。

「一度出したら元に戻さないということだけ気を付けてね。この容器には時間停止の魔法が掛けてあるから、中に入っている限り傷むことはないわ。紅茶やお茶はこの引き出しね。最近は紅茶ばかりだけど、要求リクエストがあったら聞いてあげてね。珈琲を飲むのはルードだけだから、後で教えるわ」


 マルティナは、説明される物すべてが珍しく思えた。お菓子の容器にはそれぞれの名前が記された紙が貼られている。五角形の星の形や白黒のクッキー、リンゴのパイ。色とりどりの飴。お菓子といえば、四角いクッキーと楕円形の茶色い焼き菓子しか知らないマルティナには、見たこともない物ばかり。


 お茶の引き出しには、十種類程の茶葉が入っていた。中には頭痛がする時、目まいがする時、熱がある時、神経を鎮める時と小さな紙が貼られた瓶に入った薬茶もある。

「お茶は基本は紅茶。朝と昼と夜は違う種類なの。体調が悪かったら薬茶を出してあげて欲しいのだけれど……毎日顔を見ていたら体調が判ってくると思うわ。第四騎士隊の人達は体調が悪くても黙って頑張っちゃう人ばかりだから、気を付けてあげて欲しいの」

 リディアが優しく微笑む姿は、マルティナには母のように思えて仕方が無かった。マルティナの母というよりも、第四騎士隊の母というのが正しいのかもしれない。

 リディアのようになれるように頑張ろうと、マルティナは思った。


      ◆


 マルティナはリディアと共に裏口から宿舎を出て、王宮の食堂へと徒歩で向かっていた。まだまだ空は明るいが、夕方を過ぎている。


「いつも夕食は何時頃取っているの?」

「救護院では十八時でした」

 リディアの問いにマルティナは応えた。食事は、朝八時、昼十三時、夜十八時の三回だった。救護院への寄付金が少なかったり仕事が無かった頃は、朝と夜の二回だけだったころもあった。

「あら、私と同じね。離宮でも十八時なのよ」

 リディアが微笑んで、何故かマルティナの手を握った。少しして王宮の使用人がリディアと笑顔で会釈してすれ違う。マルティナも緊張しながら会釈した。

「お仕事中は基本的に挨拶は不要なの。してもいいけど、お互い忙しいから、返してくれなくても気に病んだりしないでね。貴族がいたら壁際に寄って、姿を隠すのが基本よ」

「え? リディアさんは?」

「私は私の我儘を皆にお願いしているの。貴族ではなく普通に扱ってって」


 手をつないだまま、何人かの使用人と会釈を交わしながら、使用人用の食堂へと着いた。十八時まではまだ半刻、二十分ほどある。

「ちょっと早いけど、夕食でいいかしら?」

「はい。……え? リディアさんもここで食べるんですか?」

「私は離宮に戻って取るから、お茶だけね」


 使用人用の食堂では、一人用のお盆トレイに自分で好きなだけ料理を乗せて食べることができる。マルティナは、柔らかそうなパンとリディアの勧めでホワイトシチュー、サラダを選んだ。もう少し食べてはどうかと言われたが、これ以上食べられるとは思えなかったので断った。


「早いから空いてるわね。どこに座ろうかしら……あら、パウル?」

 お茶を載せたお盆を持ったリディアが立ち止った。六人掛けのテーブルに女性と座っていたのは、マルティナにも見覚えのある第三騎士隊の隊員だった。


「こ、こ、こんばんは。リディアさん」

 少し長めの黄緑色の髪、紺色の目をしたパウルが動揺しながら挨拶をした。立ち上がろうとして、テーブルの脚にすねをぶつけ、痛みに足を抱えようとして、額をテーブルの角で打った。

「こんばんは。あ、座ったままでいいから。気にしないで」

 リディアが苦笑して立ち上がるのを制止した。

「こんばんは。あの、よろしければ相席いかがですか?」

 濃い緑色の髪を後ろで一つに縛った二十歳前後の女性が笑顔で挨拶をした。青緑の瞳が、きらきらと輝き、王宮使用人の制服である紺色のワンピースを着用していた。

「こんばんは。……ルティ、いいかしら?」

「はい」

 マルティナは笑って頷いた。


 使用人の女性はパウルの婚約者のレオナだった。付き合って二年、婚約して一年らしい。

 レオナが話す王宮内の基本の規則や笑い話を聞きながら、マルティナは一生懸命料理を口に運んだ。昼食もここで食べたが本当に美味しいと思う。

 リディアが笑ってお茶を飲みながら相槌を打つ。レオナとは初対面の筈だがリディアは誰とでも笑って話すことができるらしい。


 マルティナが食べ終わりお茶を飲んでいると、食堂の入口付近が静まり返った。

「何でしょう?」

 レオナがさっと立ち上がり、入口付近を見て顔色を変えた。

「あ。黄金の騎士!」

「あら。迎えが来ちゃったわね。ルティ、戻るけどいいかしら?」

 耳を赤くしたリディアが、はにかむように笑う。

「はい!」

 マルティナは慌てて残っていたお茶を飲み干した。


 食器を返却して、リディアと手をつないで食堂を出ると、隊長が壁に背を預けて無表情で腕を組んでいた。金色の髪、すみれ色の目の美丈夫は、周囲を圧倒する程の冷たい空気を醸し出している。

「お待たせしてごめんなさい」

「いや。大丈夫だ」

 リディアが声を掛けると隊長の雰囲気が柔らかくなった。かすかに微笑んでいるようにも見えて、マルティナは驚く。


 一度宿舎に立ち寄るというリディアと隊長と共にマルティナは歩いていた。何故かマルティナとリディアが手を繋ぎ、リディアと隊長が手を繋いでいた。三人で手を繋いで歩いている光景を、通りがかった王宮の使用人達が目を丸くして見ている。


「あのー、リディアさん、第四騎士隊の隊長さんは、どなたでしょうか」

 マルティナは確認の為にリディアに聞いた。何か問題があった時、誰に報告すればいいのか知っておきたい。

「そういえば聞いたことないわね、誰なの?」

 リディアが首を傾げて隊長に尋ねた。

「現在は隊長はいない。〝青玉の騎士〟が隊長だったが姿を消した。以降はトーティルかモーリッツが、気が向いた時に代行している」

 隊長が静かに答えた。第四騎士隊は魔法騎士という強力な戦力であるが故に、第二王子オスヴァルドの直属となっている。正規の隊長職はオスヴァルドが就いていると言ってもいい。

「気が向いたら……まぁ、そんな感じよね。何かあったら、モーリッツかルードに言えばいいと思うわ」 リディアが苦笑しながらマルティナに答えた。


 宿舎に戻って三人で管理人室へと入り、リディアと隊長が何かを確認してから窓とカーテンを閉めた。

「ロニーとルードは深夜に戻ると思うから、明日の朝、紹介するわね。……一人で大丈夫?寂しかったら離宮に部屋を用意するから、通いでもいいのよ?」

 リディアがそう言って微笑む。


「一人で大丈夫です。今日は本当にありがとうございました」

 マルティナは、心細さを隠して懸命に笑い顔を作った。リディアにも隊長にもマルティナが無理をしているのがわかった。


「無理はするな。離宮の部屋は余っている」

 隊長は無表情でありつつも、優しい声でマルティナに声を掛けた。


「いいえ。頑張ります。頑張らないといけないんです」

 強張った表情で笑うマルティナの頭を隊長が撫でた。大きな手がとても優しく頭を撫でることにマルティナは驚く。……もしも普通の父親だったらこんな風に撫でてくれたのだろうかとマルティナは一瞬だけ考えて、その幻想を振り払った。


「何かあったら、ペンダントで私を呼んでね?」

「はい。ありがとうございます」

  リディアが温かい手でマルティナの手を包む。二人に心配されていることを感じたマルティナは、肩の力を抜いて微笑むことができた。


      ◆

 

 隊長ががっちりとリディアの手を繋いで仲良く歩いて行くのを見送って、マルティナは管理人室へと戻った。

 テーブルの上にはリディアが用意してくれた服が置いてあった。クローゼットの下の靴箱には靴が立てかけてある。服をしまおうとクローゼットを開けると白い夜着が畳んで置いてあった。女性用ではなく男性用でシャツが長くなったような上着と足首まであるゆったりとしたズボンの夜着。三着もあるのは洗い変え用だろうか。

「贅沢すぎて怖い……」

 マルティナは近くの壁に向かって話しかけた。いつもは毒づく所だが今日はいろんなことがありすぎて疲れた。


 書き物机の上に置いてあった紙袋には菓子。ガラスの瓶に入った色とりどりの飴、星や白黒のクッキー、どら焼き、焼き菓子が紙に包まれていた。食事をしたばかりでも、甘い匂いに我慢できずにどら焼きにかぶりつく。ふわふわとしてしっとりした甘いパンに甘くて黒くて粒々としたクリームが挟まれていて、驚くほど美味しい。あっと言う間に一個を食べ終えた。

「ほんっと美味しい……王宮のお菓子って最高!」

 甘さの移った指を舐め終えた所で、リディアに外から帰ったら手洗いするように言われていたことを思い出した。慌てて浴室の洗面所で手を洗う。


 リディアに教えられた方法で手を洗い終えた所で、マルティナは鏡の中に映る少年のような自分の姿を見つめた。自分がいろんな人に心配と迷惑を掛けていることは判っていた。


「私は……僕は絶対に逃げたりしない」

 マルティナは、鏡の中の自分に誓うように呟いた。

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