第2話 平手打ちには点数があるようです。
「あら。……困ったわ。もう少し根性があると期待していたのだけれど」
リディアは気を失ったマルティナを抱きかかえながら苦笑した。どんな仕事でもいいと必死な目をしていたので、試してみようと思って連れてきたのに一人目でこれでは先が思いやられる。
「仕方ないんじゃないか? 女の子だろ?」
モーリッツが手を拭いて、リディアの腕からマルティナを抱き上げソファに寝かせた。
「判る?」
やはり騎士には判ってしまうかとリディアは内心苦笑した。ヴァランデール国では、女性がズボンを履くことは常識としてはあり得ない。どんなに綺麗な女顔でもズボンを履いていれば男、スカートを着用していれば女と見られる。男装をさせればなんとか少年として誤魔化せるかと思ったのに難しいかもしれない。
「骨格で一発だな。宿舎の周辺は気を付けるようにするが、王宮までは面倒みれないぞ」
モーリッツが頭を掻いた。地位も権力もない少女を狙う不届き者は、少数だが王宮にも存在する。ましてや発育不足で十六歳どころか十二歳前後に見えるこの少女は、特殊性癖を持つ者には格好の獲物になるだろう。
「王宮では、なるべく第三騎士隊関係者についてもらうつもりだけど」
リディアは少し考えた。ずっと誰かについてもらう訳にもいかない。さて、どうするか。
「一緒に挨拶回りしたらいいんじゃないか?」
モーリッツが焼き菓子を口に放り込んた。
「そうね。そうするわ」
リディアは手を叩いた。離宮の魔女が後見人と知られれば、王宮で手を出してくる人間はいない。しばらく通って、一緒に歩く計画を考える。
「しかし、俺の話でこれじゃあ、他の隊員の話聞いたら逃げるんじゃないか?」
モーリッツが苦笑する。第四騎士隊隊員は、強烈な個性を持った人間ばかりだ。一人でも厳しいのに七人に囲まれれば、普通の人間は耐えられない。リディアが頻繁に出入りして世話を焼いてくれていることも奇跡に近いことだとモーリッツは思っていた。
「駄目だったら離宮で働いてもらおうと思うの。まぁ、全員に顔合わせしてから考えましょうか」
リディアも苦笑を返しながら、お茶の準備を続けた。
◆
「あー、よく眠ってるねー。いたずらしたくなる寝顔だよねー」
ぼんやりと目を開いたマルティナは、至近距離で微笑む美少年に驚いた。目が合うと、にっこりと少年が笑う。異性と口づけできそうな距離を経験したことのないマルティナは混乱した。
「いやぁぁぁぁあああああ!」
マルティナの叫びと共に、平手打ちの軽い破裂音がした。
「……七十点」
淡い青緑の髪、碧の目をした綺麗な顔をした少年は、赤くなりかけた頬を撫でて呟くと、にっこりと笑った。白いシャツに焦げ茶色のズボンという上質だが簡素な服を着ているのに、きらきらと光をまとっているように見えてマルティナは驚いた。
「トーティル。初対面で、それはないと思うぞ」
モーリッツが呆れた声を出して、焼き菓子を口に放り込む。
「え? え? え?」
マルティナは、完全に混乱していた。何が七十点だというのか全く判らなかった。自分が高そうな柔らかいソファに寝ていたことも、混乱に輪を掛けた。
「あれ? お手本を見せた方がいいのかな?」
そう言って首を傾げたトーティルは、おもむろに振り返って、斜め後ろに立っていたリディアの胸を両手で揉んだ。
何かが破裂したような音と共に、トーティルがよろめいた。
「いつもやめなさいっていってるでしょ?」
リディアが溜息を吐いた。
「これが百点」
楽しげな声で振り向いたトーティルの片頬には、赤い手形がついていた。
「……へ、変態っ?」
マルティナは、後ろに引いた。物凄く綺麗な顔をしているのに、言動は完全に変態としか思えない。
「あれ? 引いた?」
トーティルが目を丸くした。そんな表情すら、綺麗で見目麗しい。
「引くにきまってるでしょう? 平手打ちはルードにお願いして」
リディアがこめかみを押さえた。
「ルードのは、平手打ちっていうより、拳に近いから嫌なんだもん」
トーティルが唇を尖らせる。マルティナは、どう反応していいのかわからないので目を瞠ったまま、固まるしかなかった。
◆
「へー。リディとルティでいいんじゃない?」
マルティナが自己紹介を終えた後、トーティルが笑って言った。
この宿舎にいる第四騎士隊は、全員が魔法騎士と聞いて、マルティナは驚いた。噂では聞いたことがあっても魔法を使って戦う騎士なんて、お伽話か夢物語だと思っていた。
〝
「普通でいいらしいわよ? 堅苦しいのは嫌いなんですって」
硬直するマルティナにリディアは笑って答えた。
紹介された二人が、貴族ではないことにマルティナは安堵する。一般国民には家名がないことが殆どで、家名を持つ者は貴族か、古くから代々続く家の人間。家名を持つ者は現在、第四騎士隊に在籍中の七人の内、二人。どちらも貴族ではない。唯一、貴族であった〝青玉の騎士〟は、数年前に姿を消して、部屋にそのまま荷物が残っている。
マルティナの父は王宮務めで家名持ちだったらしい。父は母に情報をほとんど与えなかった。おそらくは貴族か、古くから続く神官か魔術師の可能性が高い。どちらにしても、マルティナは家名を持つ人間が苦手だった。まだ見ぬ父に反発する気持ちもあった。
◆
「お仕事は、この宿舎の管理人。廊下とか共用部分のお掃除と、お茶の時間にお菓子とお茶を用意して欲しいの。後は住人から、細々と用事をお願いされると思うけど、できることだけ受ければいいわ。できないことは断って。さっきの平手打ちとか、ね」
リディアとマルティナは並んで宿舎の廊下を歩いていた。
「あの……お部屋は掃除しなくていいんでしょうか。あまりにもお仕事の内容が少ないと思うのですが」
マルティナは、決められた仕事の少なさに不安になった。細々とした用事が何かわからないことにも不安になった。
「個人のお部屋はね……入らない方がいいと思うの……掃除してって言われたら、私を呼んで? まずは私が扉を開けるから。もしも私がいなかったら、モーリッツか、後で紹介するルードに言ってね」
リディアの笑顔がひきつった。何か思い出したのか、廊下の壁に片手をついて項垂れた。
「ど、どうしたんですか? 大丈夫ですかっ?」
この人も壁に手をついて項垂れることがあるのかと、いつも壁に毒づく癖のあるマルティナはリディアを身近に感じた。
「ちょっと、初めてこの宿舎を掃除した日のことを思い出したのよ。……凄かったわ……」
顔を上げたリディアの目が遠くなった。凄いって、何だったんだろうとマルティナは思うと同時に、貴族であり、魔女であるリディアが掃除をしたと聞いて、内心驚く。
リディアは異世界から来た〝救世の魔女〟リディア・ランドール。三年前に起きた、神の怒りによる天変地異を鎮めて、世界を救った偉大なる魔女。〝大災厄の魔女〟と魔王が茶飲み友達で、竜王陛下の求婚を蹴って、黄金の騎士と結婚したと広く知られている。竜王陛下から求婚されるなんて、絶世の美女だろうと想像していたのに、どちらかというと可愛らしい女性だった。
リディアの先導で管理人の部屋へと到着した。一階の一番端にある小さな部屋で、広さの十分あるベッド、小さなテーブルと椅子が二脚、書き物机、クローゼット、本棚。小さな浴室もついている。淡いグリーンのカーテンが淡いクリーム色の壁と相まって、とても明るい部屋になっていた。
「素敵……」
マルティナは思わず呟いた。救護院では数名で一室を使っていた。個室なんて夢のようだとマルティナは思う。
「この宿舎には普通の厨房がないのだけれど、お料理したりする?」
カーテンを開けて窓を開けながら、リディアが言った。マルティナも手伝う。
「うっ……料理は全然です」
マルティナは言葉に詰まった。料理の腕は壊滅的。いつも人手の無い救護院でも料理だけは任せてもらえなかった。
「皆は騎士の食堂に行くから、用意しなくても大丈夫よ。もしも料理がしたくなったら、離宮ならいつでも料理ができるから」
リディアが微笑む。王宮には、貴族用、騎士用、使用人用と三つの食堂がある。出される料理は時間によって決まっていて一日中開いているので、いつでも食べることができる。
「お湯を沸かす程度の簡易厨房はあるから、案内するわね」
先程のお茶を淹れる際のお湯は、魔法石を使う卓上
「そうだ。あとは洗濯物の回収もできたらお願いしたいわ。今は私が一週間に一回、回収しているけど、放っておくと溜めこむ人がいるから」
リディアが思い出したと手を打った。
「え? リディアさんが洗濯物の回収されてるんですか?」
どうしてリディアが使用人のようなことをしているのか、とマルティナは驚いた。
「あー、ほら、変わった人が多いから、なかなか管理人になってくれる人がいないのよ。……回収した洗濯物は、それぞれの名前がつけられた袋に入れて、王宮の洗濯場に持っていくの。受け取り票をくれるから、洗濯された物を指定された日に受け取りに行ってね。……そうだ。文字、読める?」
リディアは少しだけ言葉を濁した。リディアが掃除するまでは、この宿舎の中で半日耐えられた使用人はいなかった。それから二年近く経つ今も、誰も近付きたがらない。
「はい。最低限の読み書きだけですが、母に教えてもらいました。計算は苦手です」
去年から救護院に読み書きを教える教師が来るようになった。基礎の基礎からなので、マルティナは授業を断っていた。
「基本ができればいいのよ。計算は私も苦手だけれど、よければ教えるわ」
マルティナはリディアの言葉に驚いた。『基本ができればいいのよ』自分に読み書きを教えていた母と同じことをリディアが言った。全然似ていないのに、母と重なる。目から涙が溢れそうになって、マルティナは慌てて頭を振って誤魔化す。
「どうしたの? 気分が悪い? この仕事が無理だったら、離宮で働いてもいいのよ? 離宮から王宮へ行ってもらう用事も毎日あるから、王宮への出入りは出来るわ」
マルティナの顔色が変わったことに、リディアは気がついていた。自分は何かこの少女に対して不味いことを口にしただろうか。
「すいません。母がリディアさんと同じことを言っていたので、思い出しました。仕事は大丈夫です。頑張ります」
マルティナが泣きだしそうな顔で無理に笑っていた。リディアは抱きしめたくなる衝動を抑えて、なるべく優しく見えるようにと微笑んで、マルティナの手を両手で包んだ。
◆
サロンに戻ると、モーリッツが焼き菓子を片手に、トーティルが優雅にお茶を楽しんでいた。山のように籠に盛られていた焼き菓子が半分程に減っている。
「サロンにお茶を用意するのは十五時に……じゃなくて、えっーと……」
リディアが言葉を詰まらせた理由をマルティナは察した。
「二十四時間制でわかります。救護院で魔法時計を組み立てていたので大丈夫です」
「ごめんなさいね。時刻換算がまだ苦手なのよ」
リディアが眉を下げて苦笑する。
ヴァランデール王国では、二年前に第一王子アードルフと第二王子オスヴァルド妃の巫女姫・聡子、第三王子クリストフ妃の巫女姫・綾の先導で、異世界の時間制と計測単位が導入された。
それまでの一日は三十六刻に分けられ、花の名前が付けられていた。時計は貴族か裕福な家にしかなく、一般国民は日が昇って日が落ちる間、一刻ごとに鳴る鐘や日時計でだいたいの時間を把握していた。
今は魔法石で動く時計を一般国民に普及させる為、量産が行われ、簡単な組み立て作業を救護院で行っている。
突然、時計の組み立て作業を救護院の仕事にすると言われた時のことをマルティナは思い出していた。小さな子供も、力のない病気がちな女性もできる作業だった。小さな子供が町に出て、仕事はないかと聞いて回ることをしなくても良くなった。安定した収入が毎月救護院に入るようになって、救護院が抱えていた借金も無理なく返すことができるようになっていった。
時計には、三十六刻の花と二十四時間の数字が併記されていて、赤と黒の針が時刻を示す。各家庭に最低1個が普及するようにと販売価格はとても安い。救護院での作業代とほとんど変わらないことをマルティナは知っていたが、救護院の院長から口止めされている。
「二十四時間制、便利だと思うぞ。俺が花の名前を言う姿はヤバい」
モーリッツがそう言って、焼き菓子を口に入れた。
「
トーティルがお茶を飲みながら笑う。
「……だったらいいのだけど。私達の世界の常識を押し付けるのはどうかなって思ったりもするのよ」
リディアが苦笑しながら、籠から小さなカップのプリンを取り出してトーティルに手渡した。
「カトラリー広めた本人が、何言ってんの」
トーティルが笑って、テーブルから小さなスプーンを取り上げて、プリンを食べ始める。甘い物が大嫌いなトーティルが唯一食べられる甘味がリディアの作るプリンだった。
「それを言われると反論のしようがないわ」
リディアが肩をすくめる。
ヴァランデール国には、スプーンとフォーク、ナイフという、いわゆるカトラリーと言う物がなかった。全て手づかみか、パンや野菜ですくって食べていた。異世界から来たリディアがカトラリーを町の鍛冶屋に頼んでから、あっと言う間に国中に広まった。
マルティナが初めてスプーンを手にしたのは一年前。初めてスプーンを使った時には、なんて便利な物があるのかと感動した。熱いスープも、少しずつすくって飲める。もっと早くにあったら、流行り病に倒れた母にも、もっと楽にスープを飲んで貰えたかもしれないと、その夜泣いた。
リディアは、時計を普及させる為の補助金を、巫女姫達が王子妃の公務とは別に働いて捻出していることを思い出していた。聡子は本の執筆と菓子店経営、綾は雑誌や本の挿絵描き、絵本製作で稼いでいる。私もと申し出ると、いつも迷惑ばかりかけているから、これは二人でやらせて欲しいと断られた。
リディアは魔女と名乗っているが、実は巫女姫の一人だった。ヴァランデール王国は天変地異や魔王の侵攻時に、異世界から巫女姫を召喚して対処させる。その時、日本人の女性三人が巫女姫として召喚された。召喚された時に、リディアは咄嗟に偽名を名乗り、魔女と名乗った。それ以来、ずっと偽名のまま魔女と名乗っている。
「上には誰がいるかしら?」
リディアは在室者を確認した。
「あー、アルノルトとバルバナスだな。ロニーとルードは勤務中。ヨエルは〝収集〟に町に出てる」
モーリッツが答えた。
「〝収集〟ね……ヨエルって、いつ戻ってきそう?」
リディアが遠い目をして聞いた。
「明日か明後日じゃないかなぁ。ヨエルはしばらく医術室の勤務入ってないし」
トーティルがスプーンを振って、笑って答えた。ヨエルは魔法騎士ではあるが、普段は医術師として王宮の医術室で勤務している。
「ルティ、絶対に二階の七号室、ヨエルの部屋は開けないでね。洗濯物も扉の外に出すように言うわ」
リディアが真剣な面持ちで、マルティナの肩を掴んで言った。
「は、はい」
マルティナは理由が全く思い付かないので、目を瞬かせて答えるだけ。
「そうだ。リディ宛に届け物が来てるぞ」
モーリッツが立ち上がって、リディアを呼ぶ。
「届け物? 何かしら?ルティ、ちょっと待っていてね」
リディアがモーリッツとサロンの扉を開けて出て行った。
◆
廊下を歩いていく足音が遠くなった時、トーティルがさわやかに笑った。実年齢を知らなければ、美少年とも言える。
「ルティ、お願いがあるんだ」
「なんでしょうか、トーティルさん」
マルティナは首を傾げた。
「朝と夜、八十点以上の平手打ちをお願いしたいんだ!」
トーティルが椅子から立ち上って両腕を広げ、高らかに言い放った。
「すいません。平手打ちは断って良いとリディアさんに言われています」
マルティナは丁寧に頭を下げて断ったのに、トーティルがマルティナの両手を握る。
「ちゃんと対価は払うよ? 一回に付き、銅貨……」
空中に何か光る物が現れて、トーティルの頭に直撃した。大きな音が周囲に響きトーティルがそのまま床に倒れてうめく。
「だ、大丈夫ですか? トーティルさん!」
トーティルの頭に直撃したのは、金属でできたたらいだった。木で出来た物は知っていても、金属で出来た物をマルティナは初めて見た。
「うふふー。百二十点ー」
「え?」
トーティルは痛くて倒れたのではなく、嬉しくて身悶えしているのだと気がついたマルティナは、助けようと伸ばしかけた手を引いて、数歩下がった。
「いいよねー。久々のこの刺激。この金属音、絶妙な打撃。何もかも理想的だー」
トーティルは床でごろごろと転がり始めた。美少年が床を悶絶しながら転がる様は、マルティナにはすでに変態にしかみえなかった。
「ルティ、馬鹿が伝染しないうちに、行きましょう」
いつの間にかマルティナの背後に立っていたリディアが指を鳴らすと、たらいが消えた。どこか黒い笑みを浮かべるリディアを見て、マルティナは一生ついていこうと心に決めた。
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