第4騎士隊宿舎の小さな管理人

ヴィルヘルミナ

第1話 お仕事の内容を確認しませんでした。

「私、王宮でお仕事したいんです! 何でもいいから、紹介して下さい!」


 十六歳になった誕生月。第三騎士隊のトーマスに何が欲しいかと聞かれたので、マルティナは正直に答えた。同時にトーマスの騎士服にマルティナはぶら下がる。


「あー、破れる! 破れる! これ支給品なんだよ!」

 淡い茶色の髪、細身で二十七歳のトーマスは百七十八センチ。淡紅色の髪をあご下で切りそろえたマルティナは百四十五センチ。マルティナがトーマスにぶら下がるのは、救護院での日常の光景だった。


 孤児や寡婦が集まって暮らす場所。それが救護院。国からの給付金と貴族や商人からの寄付、ささやかな仕事の報酬で運営されている。救護院出身のトーマスは十六歳で第三騎士隊に入隊してからは王宮内の宿舎にいるが、休みの度に様子を見に戻ってくる。


「あー、まだ十六歳だろ? 王宮は一般国民の女は二十歳以上しか募集してないんだよ」

 トーマスがめんどくさそうに頭を掻いた。

 ヴァランデール国では、女性は二十歳までに一度は婚約、もしくは結婚する。

 要するに王宮が求めるのは少女ではなく既婚の女性。王宮で結婚相手を探すような女は必要としていない。


「じゃあ、男だったらいいんですか!」

 マルティナは噛みつくように叫ぶ。十六になれば、どこでも正式に働けると思っていた。

「そうだな。男だったら十六歳からだしな。あと四年、町で働けばいいじゃないか」

 トーマスは説得するつもりでマルティナを見た。マルティナは大きな目に今にも零れそうな涙を湛えている。トーマスは救護院仲間の涙に弱い。


「んー。ちょっと隊長に相談してみるから、泣くなよ、な?」

 トーマスは、そう言ってマルティナの頭を撫でながら、心の中で隊長に助けを求めていた。


      ◆


 翌日、マルティナがトーマスに連れて来られたのは、王宮内にある第三騎士隊の隊長室だった。


 頭を深々と下げたトーマスが部屋の外へと出ると、隊長が口を開いた。

「早速だが、王宮で働きたい理由を教えて欲しい」

 〝黄金の騎士〟の異名ふたつなを持つ隊長は、金髪ですみれ色の目をした美丈夫。去年、〝救世の魔女〟と結婚したことは広く知られている。


 いつも着崩しているトーマスと違って、きっちりと騎士服を着こなすと、こうも違うものかと、マルティナは感心しながら隊長を見ていた。


「お給金がいいからです」

 マルティナは嘘の動機を答えた。


「給金の額が目的なら、私の上級町屋敷タウンハウスでの職を紹介する。王宮とほぼ同じ待遇だ。同僚は第三騎士隊の関係者ばかりだから、働きやすいだろう」

 隊長は無表情なままでマルティナが提出した身上書を見た。

 きっと、この人には嘘は通じないとマルティナは腹をくくった。


「……私と母を捨てた父が、王宮にいると聞きました。父を探したいんです」

 子供の頃から世話になっているトーマスにも話したことがないことをマルティナは口にした。母はマルティナが八歳の時に流行り病で亡くなった。その後、救護院に入ったが、ずっと父を捜したいと思っていた。


「父親を探して、どうするつもりだ?」

 隊長は無表情なまま、マルティナを見つめた。


「私と母を捨てた理由を聞いて、一発殴るつもりです」

 マルティナは母の話を思い出していた。父は、母が妊娠したと言った途端に、大金を渡してきて、連絡が取れなくなったらしい。町での暮らしには不自由しなかったが、寂しく死んでいった母の姿は目に焼き付いている。


「どうやって、探す?」

 隊長の表情は変わらなかった。


「これは母が父から貰ったペンダントです。一点ものだと聞いています。これを見て反応した人に聞きます」

 マルティナは服の下に入れていたペンダントを外に出して示した。濃い青に金色が混ざった不思議な色の石に花が彫られている。


「それは不確実な方法だ。私が探して君の元に連れて行くということでどうだろうか?」

 隊長が微かに溜息を吐いたのがマルティナの心を刺激した。馬鹿げた方法だというのはわかっている。


「嫌です。自分で探したいんです。お願いします」

 マルティナは必死で言い募った。きっとこれが最初で最後の機会チャンスだと思う。


 扉が変わった律動リズムで叩かれると、隊長の雰囲気が一瞬で柔らかくなった。


「お仕事は終わっ……あら? ごめんなさい。お話中だったのね。出直すわね」

 扉を開けたのは、長い黒髪、黒眼の二十代半ばの女性だった。濃い紫のローブに渋い紫のワンピース。マルティナは、この女性が救世の魔女だと直感した。


 この機会を逃したくない。突進したマルティナは魔女の腕を捕まえて叫んだ。

「お願いします! 私を王宮で働かせて下さいっ!」


「えっーと? どういうことかしら?」

 魔女が困ったような表情で隊長を見ると、隊長が溜息を吐いた。


      ◆


 マルティナは王宮で働きたい理由を魔女に話した。

「んー。王宮は広いし働く人は多いから、難しいかもしれないわね」

 魔女が言うことが現実だとマルティナは思う。ただ、自分で父を探したい。一言文句を言って、殴りたい。


「王宮へ頻繁に出入りしたいのなら、離宮では難しいのよね……。私が一つだけ紹介できる場所はあるけど……とっても厳しいわよ?」

 魔女が苦笑しながら言った。

 離宮は王宮と離れていて、独立していると聞いた。王宮に出入りできなければ意味が無い。


「どこを紹介するつもりだ?」

 隊長が魔女の側に寄り添って、さり気なく魔女の腕からマルティナの腕を解く。

「ん?」

 マルティナは気がついた。……そうだ。黄金の騎士は、救世の魔女にめろめろだって食堂のおばさんに聞いたことがある。無表情で嫉妬しているのかと思うと、笑いそうになったので気を引き締める。


「第四騎士隊の宿舎。いつも人手がないっていうから」

 魔女がくすりと笑った。


「お前、それは……」

 苦笑した隊長の腕が魔女の腰に回ると、魔女がぺちりと隊長の腕を叩き落として身をかわす。魔女は意外と手厳しい。


「一つだけ条件を付けるわね。王宮では少年のふりをすること。若い女性はいろいろと危ないの」

 いつも身に着けている物に魔法をかけると魔女が言うので、マルティナは形見のペンダントに掛けてもらうことにした。


「もしもの時は、このペンダントに手をあてて、私を呼んで。必ず助けに行くから」

 マルティナには、そういって微笑む魔女の顔が、母と重なる気がしていた。


      ◆


「ううー。どうせ、布巻かなくても、真っ平らですよーだ」

 隊長室から、第三騎士隊の居室に行く途中、マルティナは、壁に向かって毒づいた。魔女の胸は、それはもう同性からみても見事なものだった。胸に顔を埋めたら、絶対に気持ちがいいに違いない。


「そんなこと気にしてんのかー。お前も大人になったんだなー」

 しみじみと呟くトーマスの足にマルティナは蹴りを入れた。


「いてててて! お前! 恩人に何するんだ!」

 トーマスが大げさに片足を抱えて痛みを訴えながら飛び跳ねる。


「恩人は救世の魔女リディアさんなの!」

 マルティナはそう叫びながら、魔女リディアと会えた奇跡に感謝していた。リディアと会えなければ、絶対にあの隊長は仕事を紹介してくれなかったに違いない。


「へいへい。で、準備に救護院に戻るのか?」

 あっさりと足を離して、肩をすくめたトーマスが言った。


「リディアさんが、仕立て部屋にお願いして古着を用意してくれるって言ってたから、あとで離宮に行く」

 親切を受けても何か裏があるんじゃないかと疑ってしまうのは、マルティナの悲しいクセだった。


「あれ? 帰らないのか?」

 トーマスが意外という顔をした。別れの挨拶をすると思っていたのだろう。

「荷物はまとめてきたの。絶対に帰らない」

 マルティナは肩に掛けた鞄を腕に抱きしめた。自分でも荷物は少ないと思う。数着の着替えと下着。靴は今履いている一足だけ。他の物は全部救護院の皆に分けてきた。


「無理すんなよ? 何かあったら俺に言え」

 マルティナの強張った顔を見て、トーマスは溜息を吐いた。


      ◆


 王宮の使用人用の食堂で食事をした後、トーマスに案内されて、離宮へとやってきた。

 離宮というので、マルティナは豪華な物を想像していたが、こぢんまりとした白い三階建ての可愛らしい建物だった。庭はよく手入れされていて、花が咲き乱れている。


 正面玄関に堂々と向かうトーマスに驚いて、マルティナは腕にぶら下がった。

「ここ! 正面玄関でしょ!」

 一般国民が貴族の屋敷の正面玄関から入ることは考えられない。マルティナは必死で止めた。

「あー、いいんだよ」

 マルティナを腕にぶら下げたまま、苦笑したトーマスが扉の叩き金ノッカーを叩く。


 少しして、ゆっくりと扉を開けたのは、白い巨大な狼だった。

「きゃぁぁぁぁあああああ!」

 マルティナは悲鳴をあげて、トーマスの腕にしがみつく。


『ほう。元気な子じゃのぅ』

 そう言って、白い狼が笑う。マルティナは完全に混乱していた。

「しゃべったぁぁぁああああ!」


「あー、ヴァイナモさん、リディアさんに呼ばれてきたんですけど、いらっしゃいますか?」

 トーマスの口から出た名前を聞いてマルティナは目を丸くした。ヴァイナモとは、〝神獣ヴァイナモ〟なのか。

「神獣ヴァイナモ?」

マルティナは、恐る恐る聞いた。


『そう呼ばれておるな』

 ヴァイナモが答えた。神獣ヴァイナモとは、悪いことをする子供を夜に食べに来るという伝説の獣だ。マルティナも、母の言うことを聞かなかった時には、必ず言われていたものだ。


「いやぁああああ! 悪いことはしてません! あ、さっきトーマスさん蹴りました! あああああ、リディアさんの胸が羨ましーとか、隊長さん絶対、毎日揉んでるよねー、とか妄想してました! すいません! 食べないでー!」

 完全に取り乱したマルティナが、トーマスの腕にしがみついて叫ぶ。


『……こちらの姿の方がよさそうだのぅ』

 そう呟いたヴァイナモが、白い大きな耳と白い大きなしっぽを生やした十六、七の少年の姿に変身した。

「え?」

 マルティナの混乱が収束した。耳やしっぽに違和感はあるが、人だと思えば怖くはなくなった。


『ほれ、突っ立っておらずに、中に入れ』

 人の姿のヴァイナモに案内されて、サロンで待つようにと指示をされる。

「あー、ほら、落ち着いて座れって」

 トーマスは椅子に座っていたが、マルティナは見たこともないような豪華な椅子に座るなんて、無理だと拒んだ。


「お待たせー」

 そう言って、リディアが両手に荷物を持ってサロンに入ってきた。

 侍女や従僕はどうしたのかと、マルティナは驚いた。貴婦人が自分で荷物を持つなんて、考えたこともなかった。そういえば、離宮の中で侍女と従僕の姿を見ていない。


「仕立て部屋から三着譲ってもらったのと、私が作ってた服が二着。それから、ちょっと古いけど、靴を三足貰って来たの。どうかしら?」

 リディアが楽しげに笑いながらソファに服を並べる。シャツにズボン。町でもよくある意匠デザインではあっても、マルティナが見たこともないような上質の服ばかりだった。

「こ、こんな高そうな服! いただけません!」

 マルティナは叫んだ。


「んー、でもね、最低限でもこのくらいの服を着ないと、王宮では歩けないのよ?」

 リディアが苦笑した。そういわれればそうかとマルティナは思った。今日、マルティナが着ているのは焦げ茶色の膝下丈のワンピース。持っている服で一番良い物を選んだ筈なのに、目の前に並べられた服に比べれば完全に見劣りする。


「厳しい職場で、しっかり働いてもらわないといけないんだし、このくらいは用意させてちょうだい? 仕事用の上着は、今仕立て部屋にお願いしてるから、来週にはできると思うわ」

 マルティナは、まずはこの贅沢な環境に慣れなければならないのかと、目まいがする思いがした。


      ◆


 別室で用意された服を着た。

 悲しいことに、胸には用意されていた布を巻くまでもなかった。リディアはズボンの下でも目立たないドロワーズとキャミソールも用意してくれていた。


 新しい下着なんて、何年ぶりだろうとマルティナは思う。母が遺したお金は、救護院に全て寄付した。父が渡したお金はどうしても自分一人では使いたくなかった。自分でもやせ我慢だと思っていても、それくらいの意地は張りたい。


 シャツとズボンにベスト。今までにないくらいに動きやすい服だと思う。適度にゆとりがあって、適度に締めつけがある。シャツには、袖を折り曲げて留めるボタンが付いている。見たこともない工夫がされている服は、リディアが縫った物らしい。

「寸法が合ってよかった。知り合いの魔術師の弟子が大きくなったらと思って縫った服なのだけれど、なかなか大きくならないのよ。はい、鏡はこっちね」


 見たこともなかった全身が映る大きな鏡の前に、少年のようなマルティナが立っていた。リディアに言われたように、背すじを伸ばして立つと、マルティナの気持ちが引き締まる。


 靴は少し大きいと思ったが、夕方になったらきつくなるからとリディアがいい、実際にそうなった。


「さて。名前はどうしましょうか」

 リディアが微笑む。母に全然似ていないのに、母のように思えて、マルティナは顔を赤くした。


「ルティがいいです」

 マルティナは咄嗟に答えた。なるべく本名に似ている名前がいい。


「ルティね。わかったわ」

 リディアが優しく微笑んだ。


      ◆


 リディアが紹介してくれるという、第四騎士隊の宿舎は、離宮から馬車で十五分の場所にあった。

 マルティナは歩いて行くと主張したが、リディアが許してはくれなかった。ヴァイナモの背に乗って飛ぶか、馬車の二択を迫られて、マルティナは馬車を選ぶしかなかった。


 用意された箱状の馬車は、貴族にしては地味だとマルティナは思ったが、手に触れた手すりや、窓枠、クッションが上質な物であることがわかった。しかも、全く揺れない。

 馬車での席次をリディアに教えられ、乗り降りの際の補助の方法も教えられた。


 しばらくして明るい王宮から、突然鬱蒼とした林の中の道を走る馬車にマルティナは驚いた。暗い木々の中で馬車が止まる。


「え? あ、あの? ……お化け屋敷?」

 馬車から降りたマルティナは、思わず呟いた。背筋が寒くなる。

「……そうよね。私も最初はそう思ったわ」

 リディアが苦笑した。その腕には大きな籠が下げられている。


 鬱蒼とした林の中に立つ建物は三階建て。黒っぽい石と灰色の石で作られている。

 建物自体が崩れたり荒れているわけではなく、建物の周囲に割れた石が散乱しているので、廃墟のような印象がある。


 リディアはさっさと正面玄関に向かうと、自ら扉を叩いた。マルティナは自分が叩くべきだったと後悔したが、すぐに扉が開いた。


 現れたのは、四十代後半の灰色の髪、緑の目、顔色の悪い男性だった。昔は美形だったんだろうなとマルティナは呑気に考えていた。


「ああ、リディか。まぁ、入れ。ルードは勤務中だぞ?」

 顔色の悪い男はリディアに話しかけて、サロンに案内した。この宿舎にも使用人の姿がない。


「どうしても王宮で働きたいって子がいるから、紹介しに来たのよ」

 リディアが手慣れた手つきでサロンのテーブルにあった籠に茶菓子を補充した。


「ルティです。よ、よろしくお願いしますっ!」

 マルティナは緊張しながら、頭を下げた。


「ふーん。俺はモーリッツ」

 モーリッツがリディアに手渡された焼き菓子をそのまま口に入れた。マルティナはその気安さに驚いた。


「あら、今日は本人なのね?」

 リディアが笑いながら、お茶を用意し始めた。マルティナはその手順を習う。

「あの? 本人って何ですか?」

 マルティナはリディアに質問した。


「ああ、モーリッツは死人使いネクロマンサーなのよ。たまに死人にんぎょうと入れ替わっててわからないから、こうして最初に渡したお菓子を食べるかどうかで判断するの」

 死人使いと聞いて、マルティナは子供の頃に聞いた恐ろしい物語を思い出して血の気が引いた。死んだ人を油や塩に漬けたり、薬を使って人形にしてしまう恐ろしい男の話。あれは本当の話だったのか。


 にっこりと笑うリディアを前にして、マルティナは気を失った。

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