イデアの眼差し

「人の目を見て話す。昔から言われて来たものですが、近年、若者たちの中でそのマナーが急速に薄れつつあることが社会問題となっております」

 いかにも社会派、というような生真面目なスーツに身を固めた記者が、すらすらと言葉を連ねる。対するこちらが草臥れた白衣と言うのは本来褒められたものではないだろうが、まあ、演出と言う奴である。彼らはおしなべて「らしさ」を欲しがる。雑誌の小さなコラムにどれ程が求められるのかは定かではないが。

「背景にはインターネット依存があると一部研究者の間では言われています。常にインターネットに接続し情報を獲得しようとする為に常時検索フォームを視界端に用意、ネット検索を絶えず行うが故に視線はほぼフォームに釘付けになり当然目の前の人間にその眼差しは向かないと、そういう因果関係なのではと」

 もっともらしく頷く。まあ、全くの出鱈目ではない。

「この件について、情報脳科学の権威たるサリヴァン教授に今回はお話を伺いたいのです」

「成る程」

 相槌。どう話すべきか、記者はどんな意見を欲しがっているのか――考えを巡らそうとして、止める。どうせ、そう大きくない記事と聞いている。多少好きにしたところで文句は出まい。

「まあ、概ねその通りだとは思いますよ。人の目を見るという慣例が廃れた理由としては妥当でしょう。電脳核を埋め込めば我々は端末なしで常にネットワークに接続されていますからね。情報収集のハードルは今や無に等しい。その分、人々は常に情報を欲しがるようになってしまった。人と話している時でさえ、その言葉の端々に未知があれば迷いなく視界端に設置した検索窓に入力し、その意味を詳らかにする。極めて高度な情報社会故の所作と言えるでしょう」

 ふんふんと真剣な顔で話を聞く記者。概ね想定通り、と言った反応だ。だが、それでは少々味気ない。

「ただ、それが何の問題なんでしょうね?」

「はい?」

「人の目を見て話しなさい。成る程、ずっと周知されてきたマナーです。ですがね、それを何時までも正しいと捉えることを、私は敢えて問題視したいと思うのですよ」

 意図的に目を覗き込む。

「貴方は先程、若者たちと言いましたね」

「え、ええ」

「それはつまり、アンケートなどを取った結果、そういう声が若者からは上がらず上の世代からは多く出てきたと、そういう認識でよろしかったですか?」

「そうですね、はい、うちの調べで」

「ありがとうございます。であれば、私の推論も全くの出鱈目と誹られることはなさそうだ。私はね、この習慣は若者の中には――電脳核を使いこなす者たちの間には最早何の意味もなくなっているのではないかと、そう推測しています」

 すい、と恐らくはアンケート結果を見ているのだろう横に逸れた記者の視線を眺めながら言う。

「電脳核が普遍的なものになりつつある昨今、我々はインターネットと密接な関わりを持つようになりました。常に接続されているものに依存呼ばわりするのは、そもそもがナンセンスではないかと思う訳です。同時に外界から与えられる情報を検索し意味を明らかにするという行為は、ともすれば今の人類には呼吸にも等しい行為であると考えてもいます」

 視界の隅に検索窓を展開する。インターネットに接続し、公使する為の本人にしか見えない仮想レイヤー。そこに旧来のデバイスを模した無機質なボックスが表示され、カーソルが点滅する。意味もなく記者の所属する出版社の名前を検索してみた。一瞬で検索結果が視界の外周を埋め尽くした。

「とは言え、我々の目はそこまで器用ではありません。現実世界の情報を得る為には、どうしたってネットの為の仮想レイヤーは主たる視界を妨げないように配置するしかない。まあ、人体の限界と言う奴ですね」

 これでもぎりぎりまで現実の視界を切り詰めている。狭くなった視界の中で、記者が頷く。

「となれば、我々は常にネットと現実世界の視界を並べて生きていかなくてはなりません。日常的にね。何しろ電脳核が普遍的なものになったことで、我々は急速に扱う情報量が増えてしまったのですから。そうなれば、間に合わないんですよね、常に二つの視界を見ていなければ現代の溢れるような情報は捌ききれない。これを当たり前にしてしまった若者なら尚更です」

 大学での講義を思い出す。誰も彼もがこちらを向かない風景。個人的には何も思うことはない。そう言えば、年配の教授などは嘆いていたなと、ふと思い出した。

「今の世の中では、そのマナーは足枷なのですよ、彼らには。そもそもそんなマナーを意識の片隅にさえ置いていない。かつての、情報のまだ疎らであった時代を生きた人間たちだけが、未だそんな慣例に囚われている。私個人としては、無駄な慣例などさっさと刷新するべきだと思いますよ」

 失礼、と胸元から煙草を取り出し火を点ける。きょとんと記者は完全に固まっている。

「まあ」

 流石にこんなものはまとめ難いだろう。少し可哀想になって言葉を継ぐ。

「要するに、技術の進化に伴ってそうした慣例も変わっていった方が良いのではないか、と、そういう話です。せっかく進化しているものに枷を付けるのは勿体ないですからね」

「成る程」

 ほっとしたように記者は頷く。内容が変わらずとも、棘を廃せばそれなりに扱い易いだろう。対外的な印象も含めて。こちらも、何も気難しく取っ付き難い人間を過度に演じる趣味はないのだ。

「ありがとうございます。実に参考になりました」

「いえ、こちらこそ面白いお話でしたよ」

 社交辞令。教授とは言え、こうした仕事も欠かすことは出来ない。真剣に話を聞く姿勢もあった。妙な記事に仕立て上げられることもあるまい。にこりと微笑んで、求められた握手に応じた。

「あ、最後に一つ、よろしいですか?」

「ええ。何でしょう」

「先程、人間の視界には限界があると仰られてましたが、人間がそれを克服することは出来るのでしょうか?」

 少し、考える。

「……現行の我々では、無理かと。どうしたって視界の変容に耐えられないと、今の所は考えています」

「成る程。中々難しいものなのですね。ありがとうございます」



   ・・・・・



「嘘吐き、じゃあないんですか、これ」

「嘘は言ってない」

「えー」

 不満だ、と口を尖らせる少女に肩を竦める。ひょんなことで研究室に迎え入れた少女——標準的には中学生だろう——は以前のインタビューが載った雑誌をぺらぺらと無意味に捲りながらこれ見よがしに見せびらかして来る。

「今世代では無理と言ったが、お前ら次世代については言及してねえだろ」

「まあ、そう、でしょうけども」

「第一」

 尚も不服そうな彼女の顔を見る。雑誌に対する興味を失ったのだろう彼女の瞳は真っ直ぐこちらに向けられている。

「お前さんを基準に物を話すと色々と厄介なんだよ」

「良いじゃないですか。有望なサンプルですよ」

「そういうことを」

「『言っているんじゃなくて、下手な話をして無茶な——規定年齢に満たない電脳核処置を増やしたくないんだよ』ですよね」

 一言一句、脳内にあった言葉が彼女の口から放たれる。目を逸らさないまま、彼女の目が細められた。

「教授は結構倫理的な人ですよね。嫌いじゃないです。社会的でもあり、人格者。だからこんな小さな記事にだって鷹揚に応じてあげている。ここ、かなり小さな会社じゃないですか。バックナンバー見てますけど直近のインタビュー、いかにも予算内で頑張って集めましたって感じですよ」

「気が向いたんでな」

「それで良いですよ。私、そう言う所が好きで此処にいる節があるので。でもまあ、幾分、慎重に過ぎるのはいかがなものかと、ちょっぴり思うわけですよ」

 思わず眉を顰めてしまった。にこにことそれでも彼女は上機嫌そうだった。

「……分かってて言ってんだろ」

「分かっちゃいます?」

「そりゃな。お前さんの脳機能をお前さん以外で一等知っているのは俺だ」

「確かに。分かってますよ、教授の危惧も」

 研究室のテーブルに置かれていた紙パックのドリンクを手に取り彼女は笑う。

「一足跳びの進化なんて、碌なものじゃない」

「そう言うことだ」

 日常の一動作としてドリンクを飲む彼女の視界を想像しようとして、くらりと目眩。

 彼女にはお見通しなのだ。ごく幼少期から電脳核を身に付け、長くインターネットに触れてきた彼女は、ありとあらゆる情報をいとも容易く手に入れる。インターネットに繋がれた人間の思考も、同等に。

「こんなの、下手な人間は発狂もの、ですもんね」

 思考を読まれ、強引に共有された視界。

 現実世界も仮想世界もぐちゃぐちゃに重ねられた視界の中で、進化の極値たる彼女は悪戯っぽく笑った。

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イデア 夏鴉 @natsucrow_820

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