限界
母は仕事に出かけていたため、家に帰ってもひとりだった。
美姫は狂乱していながらも、そのことにほっとしていた。美奈子に心配をかけたくないという思いもあったが、それ以上にいまは誰とも関わりたくなかったのだ。母とも。彼女とも。
だからこそ、美姫は押し入れから寝具を乱暴に部屋に投げ出すと、彼女へ会うこともせずに、すぐに布団の中へと潜り込んだ。
そして泣いた。声をあげてわんわんと。
全部嘘だったとしても美姫の恋心だけは本物だった。でも、この恋が実らなくたってべつにいいと思っていた。大河と自分が釣り合うと思ってなんかいなかったから。
ただ、悲しくてしょうがないのは、この一週間が生まれてきて一番楽しかったということだ。毎日、学校や電話で大河の話を聞くことが幸せだった。それなのに、大河はこの一週間を苦痛だと思っていたわけで。自分だけ浮かれていたということが、あまりにも惨めだった。
もうなにも考えたくない。目も当てられない現実と向き合うくらいなら、ずっとこうして泣き続けていたい。
そんな風に思っていたが、心身共によっぽど疲弊していたのだろう。涙が枯れた頃に美姫は泣き疲れて眠ってしまった。そして、当然のことながら時間は無慈悲に流れる。
――翌朝、自分の酷い口臭で目が覚めた。
嘔吐してから口すらゆすいでいなかったのだ。臭いのも当然である。
それでも、起きてうがいをする気にはならない。もう一生この布団の中で過ごしたいとすら思っていた。
「美姫ー。早く起きないと遅刻しちゃうわよ」
しかし、現実はそれを許してはくれない。
学校に行く時間が近づいても起きてこない娘を心配して母が部屋へとやってきたのだ。昨日、美姫に起こった最悪の出来事を知らない美奈子は、容赦なく掛け布団を引っ剥がした。
「――って、あなた、着替えないで寝ちゃったの?」
美奈子は美姫が私服姿のまま就寝していたことに目を丸くする。
「そんな格好のまま寝たら服がよれよれになっちゃうじゃないの」
「べつに……」
「本当になにやってるのよ……。とにかく、もう登校時間になっちゃうから早く起きなさい。とりあえず、ちゃっちゃと朝ご飯を食べちゃって」
そう言うと美奈子は美姫を無理矢理起こし、食卓へと引きずる。
どうして、あんな場所に行かなきゃいけないのだろうか。どうせ行ったところで樹理亜達に昨日のことをバカにされるだけだろう。嫌だ。嫌だ。嫌だ。本当に嫌だ。
「嫌だ」
考えていたことが言葉になり漏れてしまう。
本当にぽつりとつぶやいただけであったが、美奈子の耳には届いたようで突然の娘の反抗に驚きを隠せないようであった。
「美姫。嫌だってなにが?」
「学校」
「どうしてよ。最近のあなた変よ。急に万引きしたり、学校に行きたくないなんて言ったり……。なにか不満がるならちゃんと言いなさい!」
もう限界だった。美姫は涙をこぼしながら声を張り上げる。
「わたし、いじめられているの!」
「え……」
美奈子は美姫の告白に言葉を失っていた。
「中学生になってから一年近く、ずっとずっといじめられてるの! お弁当はいっつもぐしゃぐしゃにされるし、休み時間はいつだって嫌がらせをされるの! なのに、どうして、そんな学校に行かなくちゃいけないの?」
こんなこと言ってもしょうがない。母に迷惑をかけるだけだ。だが、いったん打ち明けてしまった思いは、堰を切ったように言葉になって吐き出される。
咲良を助けたことでいじめが始まったこと。万引きも樹理亜に命じられておこなったということ。そして、昨日自分の恋心すらもてあそばれたこと。すべて母にぶつけていた。
美奈子は娘の口から語られるいじめの内容に愕然としているようである。
――これで完全に母に嫌われた。
そう思った美姫は自室へと逃げ込んでいた。
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