王子様
さすがに連日転校生がやってくるなんて奇跡が起こるはずもなく、昨日とは打って変わって今日は樹理亜達に朝からちょっかいを出され続けていた。
ああ、また最悪な日常に戻るんだ。そんなあきらめを感じていたのだが、昼休みに美姫にとって運命を変える出来事が起こった。
「あ、ごめーん。手がすべってブスイのお弁当落としちゃったー」
今日は昼休み直後のスタートダッシュを決められず樹理亜達と昼食をともにすることになったのだが、早速千恵里がいつものにやけ面で美姫の弁当箱をひったくると、わざとらしく逆さにした。美奈子が今朝作ってくれたおかずがすべて床にぶちまけられ、美姫の胸は強く痛んだ。
それとは反対に樹理亜と千恵里は昨日美姫をいじめられなかった反動からか、楽しくてしょうがないといった様子だ。そんなふたりの会話はピンポン球のように弾む。
「あーあ、チェリーったらおっちょこちょいなんだからー。こんなにしたらふつうの人はもう食べられないじゃん」
「ごめんってば。ま、でも、あれでしょ。ブスイはふつうじゃないから大丈夫。この前みたいに食べればいいんだけだしさ」
「きゃははは。チェリーったらひどーい。でも、犯罪者には臭い飯だって相場が決まってるから丁度いいっていえば丁度いいのかな」
「そういうこと」
「でも、ブスイちゃんにはこれくらいは余裕だと思うけどさ、それを手伝う咲良が大変じゃん」
「大丈夫、大丈夫。こいつだってブスイの親友なんだから、ね?」
千恵里にそう問われた咲良は黙ってうなずくと、以前と同じように美姫を床にすっ転ばせて、その上に馬乗りになる。そして、美姫の顔を床へと押しつけた。
ぐちゃり。
必死の抵抗もむなしく、あっという間に美姫の顔面は汚された。
ふと今朝の美奈子の言葉を思い出していた。
――今日学校が終わったら話し合おう。
うれしかった。母はまだ自分のことを見捨てていなかったとわかったのだから。
しかし、母はああ言ってくれたが、そんなことできるわけがなかった。こんな最悪な真実を話したところで、また心配と負担をかけてしまうだけ。これ以上無理を言ったら本当に嫌われてしまうかもしれないじゃないか。
どうしたら母に真実を知られずにすむだろう。話し合いを回避する方法は――
――殺すんだよ。
今度は彼女のアドバイスが脳裏にこだまする。
そうだ。母に迷惑をかけないためには殺すしかない。
誰を?
樹理亜――じゃない。自分自身をだ。それが母に迷惑をかけずに問題を解決できる唯一の方法じゃないか。
死ぬのは怖い。自殺なんかしたくない。でも、それしか選択肢は残ってないんだ。世界を壊すにはやっぱり自分を殺すしかないんだ。
美姫の心がポッキリと折れかけた、その時だった。
「お前らなにやってんだよ! こんなことするなんて最低だぞ!」
不意に大きな声が響く。あまりにも怒りに満ちた声色に教室の時間が一瞬止まった。
声の主は転校生の猪野瀬大河だった。眉をつり上げて怒りを
「とにかく、もうやめろよ。見ていて気分悪いんだって」
最初、なにが起こったのか美姫にはわからなかった。いまさら自分を助けてくれる人が現れるなんて思ってもいなかったからだ。しかし、大河が真っ直ぐこちらを見つめていることから、ようやくその言葉が樹理亜達に向けられているのだと理解した。
樹理亜も自分達が非難されるなんて思っていなかったのだろう。にらみつける大河に対しておどおどとした様子で目をそらせていた。
「いや、ちょっと遊んでただけなんだけど……」
「遊んでる風に見えないから、やめろって言ってんの」
「で、でも、大河くんには関係ないじゃん……」
「だから見ていて気分悪いって言ってんじゃんか。ふつうに関係あるだろうがよ」
樹理亜の弱々しい反論に怯む様子もない大河。このクラスで、リーダーともいえる樹理亜にここまで言える人なんておそらくいないだろう。ある意味、なんの予備知識のない転校生だからこそできる行動なのかもしれない。
ともかく樹理亜は完璧に大河に言いくるめられる形となったわけである。悔しそうに眉間にしわを寄せると、自分のお弁当を持って教室から出ていってしまった。
「ちょっと待ってよ、樹理亜!」
千恵里と咲良もこの状況下で教室に残れるほどの太い神経は持ち合わせていないのだろう。慌てた素振りで樹理亜の後を追った。
世界が壊れた。美姫はそう思った。
あんなに悩み、苦しんだ一年間だったというのに、たったひとりの助けで簡単に壊れたのだ。あまりにも拍子抜けではあるが、すうっと心が軽くなるのが自分でもわかった。
とはいえ、現状は顔にはべったりとグラタンがへばりつき、弁当の中身も見るも無惨な状態になっている。
美姫がとりあえずこの場を片づけなきゃと立ち上がると、大河がこちらへと近寄ってきた。そしてポケットティッシュを取り出すと美姫へと差し出す。
「ほら、これ使えよ」
「あ、ありがと……」
戸惑いながらも、美姫はそこから数枚ティッシュを引っ張り出し汚れた顔を拭いた。
大河はどうして助けてくれたのだろうか。転校二日目でこんなクラスのごたごたなんか関わるだけ損だというのに。
美姫が不思議に思っている中、当の大河はそそくさと掃除ロッカーからモップを取り出すと、その場を片づけ始めた。
「い、いいよ。わたしがやるから」
「いいって、いいって。ええっと、きみ、名前――臼井さんだったっけ?」
「うん……」
「ここはおれが片づけておくから臼井さんは顔でも洗ってきなよ」
そう言って大河はにこりと笑う。
――王子様。
大河はまさに美姫が夢焦がれていた王子様そのものだった。容姿端麗なだけではなく、こうして世界を壊してくれたのだから。
美姫の胸がドクンと大きく鳴った。
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