転校生


 時間というものは誰に対しても平等であり、そして残酷である。

 明日なんかこなくていい。美姫がどんなにそう思ったところで、時間は瀑布ばくふのごとく流れ続け、夜が明ければ当然のように太陽が東から昇る。


 美姫は目覚めると重い足取りで自室を出た。

 いつも挨拶をしてくれる美奈子も昨日のことがあって気まずいのだろう。美姫が食卓に腰をおろしても「おはよう」と声をかけてはくれなかった。


 ――完全に嫌われてしまった。


 一番大切なはずの母との絆が、より一層細いものになっていく気がする。断ち切れてしまう前に、謝るなり、言い訳するなりしなければ。

 そう考えているはずなのに、美奈子の背中に声をかけることができない。いままで本音で話す機会がほとんどなかったため、こんなときにどんな言葉を投げかければいいのかわからなかったのだ。美姫は自分のことながら情けなく思っていた。

 とはいえ、謝ることもできない娘に対しても朝食や弁当を準備してくれているのだから、やはり母親という存在はありがたいものである。美姫は心の中だけで謝罪をすると、それを黙って食し、やはり黙って学校へと向かった。


 教室へは朝のHRにぎりぎり間に合う時間に入った。それは少しでも樹理亜達にちょっかい出されないための最後のあがきである。


「あれー、ブスイちゃん学校に来れたんだ? わたし、てっきり今日はお休みするもんだと思ってたよ。ブスイちゃんって、なんというか、顔の皮が厚いよね」


 席につくなり、樹理亜達が近づき開口一番で皮肉を並べた。


 なんの反応もしないほうがいいことはわかっている。しかし、内ポケットのカッターナイフを握りしめても感情を押し殺すことは不可能だった。美姫は樹理亜を悔しそうに睨んでいた。


 その顔が樹理亜にとっては最高の喜びなのだろう。快感を味わうかのように身悶えすると、愉悦の表情を浮かべていた。


「やだー。わたし犯罪者のブスイちゃんに睨まれちゃった。メッチャ怖いんだけど。チェリー助けてよ」


「いやいや無理無理。ウチだって犯罪者とか怖いし。下手したら殺されちゃうかもしんないじゃん」


 ゲラゲラと下品な声をあげて笑い合う樹理亜と千恵里。


 本当に最悪だ。樹理亜に命じられたとはいえ、万引きをしてしまったのは事実。それをネタに、これからいじめがさらにエスカレートするのは火を見るより明らかだった。

 でも自分ではこの世界を壊すことが出来ない。

 それなら、突然王子様でも現れて、この最悪な世界を壊してくれないだろうか。そんな童話みたいなこと起こるわけがないのはわかっているのに、美姫はそう願わずにはいられなかった。


「ほら、席につけー」


 美姫のあがきが功をそうし、すぐに担任教師が教室へとやってきた。とりあえず、これで休み時間までは樹理亜達と関わらなくてすむ。

 美姫がほっとしていると、担任教師の後ろに見知らぬ男子がついて歩いていることに気づいた。他のクラスメイト達もそれに気づいたようで教室中がにわかにざわめきたつ。

 それも当然のことといえた。一学期も中盤に入ったこの時点で珍しいことではあるが、朝のHRに先生が見慣れぬ生徒を引き連れてやってくるなんて転校生以外に考えられない。転校生なんて、中学生にとっては文化祭と同レベルの一大イベントなのだ。


「もうみんな察してるとは思うが、今日からこのクラスに新しい仲間が増えることになった。ほら、挨拶」


 担任教師に促され、男子生徒は軽く頭をさげる。


猪野瀬いのせ大河たいがっす。よろしく」


 簡潔な自己紹介だった。それでもクラスからは割れんばかりの大きな拍手が起こる。

 というのも、転校生の大河がアイドル並のルックスの持ち主だったからだ。髪の毛を金色に染めていて少し取っつきにくい印象を与えるものの、女の子のように白い肌と二重で丸い瞳はそれを相殺させた。


 かくいう美姫も大河のその見た目にドキリとしてしまう。


 でも、自分にはなにも関係ないことだと美姫はその感情を心の内側に閉じこめた。どうせクラスメイトがひとり増えたところで、美姫にとってはいじめの傍観者が増えたにすぎないのだから。

 とはいえ、その日は大河のおかげで樹理亜達と関わらなくてすんだ。樹理亜を含めたクラスの女子達はイケメン転校生を囲んで話すことに夢中で、美姫のことなんて眼中になかったからだ。

 壊すまではいかないまでも、一時的に最悪な世界を停止させたくれた大河に美姫は心の中で感謝し、これから毎日転校生がやって来てくれないかなと無茶苦茶なことを思っていた。

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