お菓子パーティー


 母の結婚。

 どうでもいいと思っているつもりだった。しかし、自分で意識していない真相心理の部分では動揺していたのかもしれない。

 いつもなら学校が終わればいの一番に帰路に就くのに、今日に限っては放課後になってもしばらく自分の席でぼーっとしてしまっていた。


「ブッスイちゃーん」


 隙があることに気づいていたのか、帰りの会が終わるや否や樹理亜はすぐさま美姫の元に駆けつけた。さらには、無理矢理逃げられないようにするために肩をがっちりと抱いてくるのだから本当に抜け目ない。


「ブスイちゃんって、いつもすぐに帰っちゃうんだもん。友達なんだしさ、たまには一緒に遊ぼうよ」


 友達という部分だけいやに強調している。自分はあくまでもいじめなんかしていないというアピールをしているのだろう。腹立たしさを感じながらも、美姫はぎゅうっと内ポケットにあるカッターナイフを制服越しにつかんだ。


 心が落ち着く。


 そして少しだけ勇気がわく。


 これなら樹理亜にも立ち向かえるような気がした。美姫は思い切って声を出してみる。


「ごめん。その……今日はちょっと……」


「ふーん、なんか用事あるんだ。なに?」


「それは……その……」


 なにか適当なことを言わなくてはと思っても口からはなんの言葉も出てこない。実際にはなんの用事もないのだから仕方ないのだが、こういうときに自分の生真面目な性格が恨めしくなる。

 樹理亜も美姫が苦し紛れの嘘をついていることは百も承知なのだろう。その顔には嫌味っぽい笑みが浮かんでいた。


「ねえ、なんの用事なの? ……もしかして男とデートとか!」


「ぷはははっ! 絶対ない。それだけは絶対ないわ!」


 いつの間にか側にやってきていた千恵里が樹理亜の言葉を聞いて大笑いをする。


「ふつうに考えてブスイとデートする奴なんかいないっしょ」


「チェリーったらひどーい。世界にはいろんな趣向の人がいるんだから。ね? ブスイちゃんもそういう人を見つけてデートするんでしょ? でも、デートなら遊べないのも仕方ないよね。女の子にとってデートは一大イベントだもん。ブスイちゃんのデートわたしにも応援させてよ」


 樹理亜が大声でデートと連呼することで周囲の興味深げな目が美姫の方に一斉に注がれた。普段はどんなにいじめを目撃したところでなにも見て見ぬ振りをするくせに、こういうときだけ関心を寄せるのだからこのクラスメイト共も身勝手なものである。

 感情を表に出すものかと思っていたが、さすがにこういった形で周囲に注目されるとは予想しておらず、美姫の顔はかあっと熱くなった。


「ち、違うよ! デートなんかじゃないって」


「じゃあ、なに? わたし達と遊ぶのを断るほどの用事って」


 卑怯なやり口だ。こうして辱めを与え、自ら予定がないと否定させることが目的だったのだろう。やはりこの悪魔から逃れるのは一筋縄ではいかない。美姫はあきらめて首を横に振っていた。


「……用事なんかないよ」


「あれ、そうなんだ。じゃあ、わたし達と遊べるってことだよね。よかったぁ」


 樹理亜は安心した様子でため息をつくと、少し離れたところに突っ立っていた咲良に目配せをした。それを受けた咲良は、こくりとうなずくと自分のカバンを手にし、つかつかとこちらに向かってくる。


 いったいなにをされるというのか。樹理亜の考えは時折予想を越えるから心配ではある。……でも大丈夫。このカッターナイフがあればどんな困難だって乗り越えられるはずだ。

 そう思っているはずなのに、山のように体躯のいい咲良が一歩ずつこちらに歩み寄るたびに強烈な不安が美姫を襲っていた。


「さあ咲良。あれを出してあげて」


「わかった」


 咲良は樹理亜の言葉に一言だけ返すと、おもむろに自分のカバンに手を突っ込んでなにかを取り出し、それを美姫の机の上へと置く。

 目の前に並べられたのは――お菓子だった。クッキーやチョコレートなどの定番のものから、十円ガムやかりんとうなんかの懐かしい駄菓子なんかもある。


「え、なにこれ?」


 あまりにも想定外の代物が出てきたため、美姫は目を丸くして尋ねていた。


「なにってお菓子じゃん。ブスイは頭だけじゃなくて目も腐ってんの?」


「ちょっとチェリー、それは言い過ぎ」


 樹理亜は千恵里をたしなめると美姫に向かって笑顔をみせる。それはいじめを受けているはずの美姫ですらも見惚れてしまうほど美しい微笑みだった。


「今日はね、ブスイちゃんと一緒にここでお菓子パーティーしようと思ってたんだ」


 ふつうに考えて樹理亜達がそんなことをするわけがない。では、なにをたくらんでいるというのだろうか。しばらく考えてみたが美姫には悪魔の思考回路など到底見当がつかなかった。


「ブスイ、まさかお菓子になんか仕込んであるとか思ってんじゃないでしょうね。悪いけどウチらはそんなゲスいことしないから」


「そんな心配しなくても大丈夫だからね、ブスイちゃん。わたし達もちゃんと食べるんだから。ほら、咲良もいっぱい食べな」


 言葉通り樹理亜達は机に広げたお菓子を各々が食べ始めた。そうなると、千恵里が言っていたようにお菓子になにか仕込んでいる可能性はないのであろう。そもそもここに並んでいるお菓子はすべて既製品なので、そんなことを疑う必要なんかないのだが。


「ブスイちゃんも好きなもの食べなよ。それともお腹でも痛いの?」


 プレッツェルをくわえながら樹理亜が尋ねた。その顔は本当に心配しているかのようにみえるから役者である。

 絶対になにかあるとわかっていても、ここまでされてなにも食べないわけにはいかなかった。美姫は少し迷いながらも好物であるチョコビスケットを口にする。当たり前だがふつうに美味しく食べることができた。


「あー、それ美味しいよねぇ。わたしはそれのイチゴ味が好き。チェリーは何味派?」


「ウチは断然抹茶味。日本人ですから」


「おー、シブいね。けどトミマルじゃイチゴも抹茶も売ってないんだよね」


「そうそう。あの店、あり得ないくらい品揃え悪いから。よくあんなのでつぶれないなって思うわ」


「本当だよねー。最近、そばに大型のショッピングモールもできたし、そろそろヤバいような気がするけどね」


 異様な空間だった。もっぱらしゃべっているのは樹理亜と千恵里のふたりだけだが、いじめる側といじめられる側がこうして放課後に机を囲ってお菓子を一緒に食べているのだ。水と油が溶け合うくらいあり得ない話といえるだろう。

 美姫にとっては単にいやがらせをされるよりも居心地の悪い時間といえた。いつお菓子を床に落とし「食べろ」と命令してくるのかとビクビクしていたのだ。

 しかし、そんな心配とは裏腹にお菓子は順調に減っていき、樹理亜達も美姫になにかをしてくる様子はなかった。


「はー、食べた食べた」


 机の上にお菓子の空箱ばかりになると樹理亜が満腹そうに腹をさする。


「ブスイちゃんもちゃんと食べた?」


「う、うん」


 結局なにも起こらなかった。

 もしかしたら本当に樹理亜達はお菓子パーティーをしたかっただけなのかもしれない。いままでの行動を後悔し、そして改心したのかもしれない。美姫はそんな風に思っていた。

 しかし、すぐにそれが間違いであることに気づく。


 樹理亜の口元がニィッとつり上がって三日月のような形になっていたのだ。


「ねえ、そういえばこのお菓子はわたし達が用意したものだけど、ブスイちゃんはなにも持ってきてないよね。これって友達としてフェアじゃないんじゃないかな。チェリーはどう思う?」


「あー、確かに。ブスイは食べるだけ食べて、なにも用意しないとか意地汚いわー」


 悲しいことにいじめられ慣れたというべきなのか。美姫はこのやりとりだけですぐに樹理亜達の魂胆がわかった。

 金銭の要求。用はかつあげである。

 正直、裕福ではない家庭で生まれ育った美姫にとってはつらい仕打ちではある。とはいえ、毎月人並みのお小遣いを美奈子からもらってはいたし、なによりお菓子を食べてしまったという事実があったので、美姫は樹理亜達に要求される前に行動していた。


「わかったよ。お金払うよ……いくら?」


「ちょっとやめてよ。別にお金を払ってほしいってわけじゃないんだって」


 美姫が財布を取り出したのを見て樹理亜は慌てて制止した。


「お菓子にはお菓子で返してほしいって思ってるだけ」


「……お菓子を買えってこと?」


「違う違う。お菓子の調達手段もわたし達と合わせてほしいってこと。そうじゃなきゃフェアじゃないでしょ?」


「調達手段ってどういうこと?」


 買う以外の方法でお菓子を調達するとはいったいどういう意味だろう。困惑する美姫の耳元で樹理亜はなまめかしい声でこう囁いた。


「ま・ん・び・き」

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