美奈子の過去


 父親が近所で有名な地主であったため、お屋敷と呼べるほどの豪邸が美奈子の実家であった。

 一人っ子だったからか、美奈子は両親から溺愛され過保護に育てられた。いわゆる箱入り娘というやつで、外泊はもってのほかで、門限は17時という徹底振りだ。

 幼い頃はそれが当たり前と受け入れていたが、思春期を迎える頃にはそうした親の干渉を煩わしく感じ始めた。とはいえ、美奈子はいままで両親に反発したことなんてほとんどなかったので、そんな思いを胸に秘めたまま高校まであがることになる。しかし、そこで人生を変える出来事が起こったのだ。


 ――隆信との出会いである。


 隆信は高校の同級生だったのだが、田舎で真面目な生徒が多い中、彼だけが髪の毛を茶色に染めて教師へと悪態をついていた。両親へ不満を持っていた美奈子にとって、大人に対して臆することなく立ち向かう隆信の姿はとてもまぶしく映ったのだ。

 そして、それが恋心に変わるまで時間はかからなかった。


 美奈子の方からアプローチしてふたりは付き合うこととなった。周囲はお嬢様と不良の不釣り合いのカップルだと揶揄していたが、美奈子にはそんなこと関係なかった。他人の目など気にならないくらいに初めてできた彼氏に夢中になっていたのだ。

 隆信は美奈子が知らなかったことを色々と教えてくれた。カラオケにボウリングといったふつうの高校生が楽しむような場所、それから男女の営みも。

 そうなってくると必然的に門限も守れなくなり、遊び歩く娘に両親は激昂した。

 それでも美奈子は聞く耳持たずで、これが本当の青春なのだと隆信との関係をどんどん深めていった。そして高校卒業を目前についに妊娠をしてしまう。

 当然、両親は美奈子を叱責し堕胎を促した。

 しかし、いままで束縛された鬱憤から、美奈子が両親の言うことを聞くことはなかった。隆信も一緒に育てようと言ってくれたので尚更だ。


 こうして美奈子は卒業と同時に両親と決別する形で隆信と共に田舎を離れて上京した。

 美奈子の思い描く未来は希望に満ちあふれていた。もちろん初めて赴く土地で不安や戸惑いがなかったわけじゃない。それでも、一番大好きな人とその人との子供と一緒ならどんな困難だって乗り越えられると思っていた。

 ふたりで小さなアパートを借り、そこで同居生活をスタートさせた。実家のお屋敷と比べると反動が大きかったが、住めば都という言葉通り、トイレと風呂場が一緒の空間もすぐに慣れて、逆に掃除がしやすくて便利と思うようになってしまうのだから不思議なものである。

 籍はまだ入れていなかった。結婚は生活が安定してからにしようとふたりで決めていたからだ。そして、その時が来たら盛大な結婚式をあげようと約束もした。

 その夢を実現すべく隆信は工事現場で働き始め「おれが美奈子とお腹の子のふたりを養っていくから」と決意を語ってくれた。それを聞いた美奈子はうれし涙を流したし、隆信自身も本気でそう言ってくれていたと思う。そのときは、まだ。


 順調に思えた新生活にほころびが出始めたのは数ヶ月が経った頃。美奈子のお腹が日に日に大きくなる中、隆信の帰りが遅くなっていったのだ。


 なにが悪かったのだろう。


 東京という欲望渦巻く都市のせいか。


 まだ遊びたい盛りの隆信には家庭というしばりが窮屈すぎたのか。


 それとも隆信を引き留めておくだけの魅力がない自分の責任なのか。


 どれが答えなのかはわからない。ただ、美奈子が出産したときも隆信が駆けつけてくれることはなかった。

 悲しかった。初めて人を好きになり、初めて身を捧げ、ずっとこの人と一緒に生きていくんだと思っていたのに、こんな形で裏切られるのはあんまりである。美奈子はこの世界になんの希望も持てなくなっていた。

 そんな絶望から美奈子を救ってくれたのは生まれたばかりの我が子だった。腕の中で必死で泣いている娘を見て猛烈な母性本能がわき上がる。そして、自分はこれから自分のためではなく、隆信のためでもなく、この子のために生きていくんだと決意していた。

 その決意を揺るぎない物にするには隆信との関係を精算する必要があった。恋人としてどころか、父親としての自覚がない隆信とこれ以上一緒にいても子供に対して悪影響だと思ったのだ。

 その考えを隆信に告げると、彼は深刻な顔をしながらもどこか肩の荷が降りた様子で「わかった」と答えた。こうして美奈子の初めての恋は枯れ果ててしまったのだ。


 でも娘がいたから不安や後悔はなかった。

 この子は自分のすべてなのだから。

 そして、美奈子は自分にとってお姫様のようにかけがいのない存在である娘を美姫と名付けたのだった。

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