世界を壊す方法


「ねえ」


 美姫は暗闇に呼びかける。

 いつもだったら、その言葉に返事はない。でも今日からは違う。


「なんだい?」


 彼女がいるのだ。


 今までは、自分のことを気にかけてくれる人なんて世界でひとりたりともいないと思っていた。そんな孤独は日々の生活の苦しさを倍増させていたのだ。でも、いまは自分の発する言葉に反応がある。ただそれだけのことが美姫には嬉しくてしょうがなかった。


「どうしてこんなことになっちゃったんだろう。わたしはなにもしていないのに、樹理亜達から突き飛ばされたり、物を隠されたりするんだよ。わたしは前世で殺人鬼かなにかだったのかな?」


「違うな」


 美姫の問いかけに彼女はぴしゃりと否定する。

 自分の発言を完全に打ち消すような物言いをされたら、ふつうは頭にくるものかもしれない。だが、美姫はそれすらも心地よく感じていた。それほどまでに、人とのまっとうな関わりに飢えていたのだ。

 そんな美姫の考えを汲み取っているかのように、彼女は否定の言葉を続けて口にする。


「前世だとかあるわけないだろ、バカバカしい。例えそんなものがあったとしても、いまの美姫になんの関係もない。ていうか、そもそもの考え方が間違ってるんだよ」


「どういうこと?」


 美姫が尋ねると、彼女はそんなこともわからないのかといった感じで深いため息をつく。


「あんたは、いじめられている原因を自分を起点にして考えているだろ? ブスだとか、根暗だとか、貧乏だとか、咲良と友達だったからとか」


「うん」


「でもさ、そもそもいじめを起こしているのは誰だ? 美姫か? 美姫がいじめてくださいとでも頼んだのか?」


「そんな……! 違うよ。あいつらが勝手にわたしを……いじめるだけ」


「だろ? つまり、いじめの原因はあんたじゃない。樹理亜共ってことだ。だから、このとを語る上で大前提として、自分に原因があると思うのをやめるんだ」


 目から鱗が落ちた気分だ。


 美姫はこれまで、樹理亜達がいじめを行うのには自分にも――というより、自分こそ原因そのものだと思っていた。ブスで根暗で貧乏。そんなマイナス要素がいじめ行為を誘発させたのだ、と。

 でも、実際は違う。樹理亜達が理不尽にこちらをターゲットにしただけ。どんなマイナス要素があったとしたって、そんなものいじめていい理由になんかなりはしないのだ。自分が前世で何十人を殺した殺人鬼だったとしても、いま現在いじめを行っているのは樹理亜なのだ。


「……そっか。じゃあ、わたしはなにも悪くないんだね? あんなに酷い目に合うのは、わたしの責任じゃないんだね?」


「もちろんさ。悪いのは美姫じゃない。樹理亜、千恵里、咲良の三人がいじめの根源であることを絶対に忘れちゃダメだ。これが世界を壊す第一歩になるんだからさ」


「うん……」


 美姫は心が軽くなったような気がした。

 口調は辛辣なところもあるが、彼女のアドバイスは的確だったし、言葉にはすんなりと心に受け入れられる言霊のような力を感じたのだ。ただ、美姫にはひとつ気になることがあった。


「あのさ、ひとつ訊いていい?」


「ああ。ひとつとは言わずになんでも訊けばいい。わたしはそのためにいるのだから」


「うん。それじゃあお言葉に甘えて訊かせてもらうけど……さっきからあなたは度々『世界を壊す』って言っているよね? それってどういう意味なの?」


「なんだ、そんなことか。そりゃ言葉のままの意味さ。今が最低でくだらない世界なら、それを壊せばいい。簡単な解決方法だろ?」


「簡単って……。世界を壊すなんて、できるわけないじゃない。わたしは神様じゃないんだからさ、そんな力も知恵もなんにもないんだよ? それとも、なに? あなたがこの世界を壊してくれるとでもいうの?」


 美姫がそう尋ねると、彼女は「クククッ」と意地の悪い笑い声をあげた。


「そいつは無理だ。わたしはあんたと話をするだけの存在だぞ? そりゃ、実在しないという意味では神様に近いモノなのかもしれないけどね」


「じゃあ――」


「殺すんだよ」


 彼女が耳元で囁く。本当にわずかな声量だったのだが、その言葉は美姫の体の芯に突き刺さるほどの衝撃を与えた。


「え? ……いま、なんて言ったの?」


 美姫は問い返す。はっきり聞こえていたが、聞き違いであってほしいと思っていた。

 だが、そんな美姫の思いもむなしく、彼女はゆっくりと丁寧な口調で先ほどの言葉を繰り返す。


「殺すんだよ」


「誰が、誰を?」


「そんなの決まっている。あんたが、樹理亜共を、さ。世界を壊すにはそれしか方法がないだろ?」


 心臓がどきどきと早鐘を打つ。


 頭の中がきゅうきゅうと痛む。


 背中がなんだかむず痒い。


 まったく予想もしていなかった助言に体がおかしな反応を示していた。


 樹理亜達はもちろん憎い。だけど、あいつらを殺すなんて考えたこともなかった。だって人を殺すなんて許されない犯罪行為だ。そんなこと絶対にできるわけがない。

 でも――彼女がそれ以外の方法はないと言っているのだ。自分の唯一の味方の彼女の言葉なんだ。それは信じるべきなんじゃないだろうか。


 美姫にはどちらが正しいのかすぐには判断しかねた。

 ただ、周囲の闇が一段と深く、そして濃くなっているような気がしていた。

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