ことの発端


 いじめの原因はなんだっただろうか。


 美姫は考える。


 まず、臼井美姫という名前がよくなかった。美しい姫だなんて不細工な自分には分不相応すぎる。だからこそ、樹理亜達だってブスイというあだ名で呼ぶようになったのだ。


 それから、性格も原因のひとつだろう。根暗で内向的。小学生のときからあまり人とうまく接することができなかった。こんなんだから隣でいじめられていても誰も助けてくれないのだ。


 あとは、スマホを持っていなかったのも、からかわれることになった一因といえるかもしれない。母親との約束でスマホは高校生になってからと言われていたが、クラスでスマホを持っていないのは美姫くらいであった。


 そして、一番の要因は――咲良と友達だったことだろう。


 美姫と咲良とは小学校の頃からの友人だった。前に述べた通り、美姫は元々内気で人付き合いが得意ではない。咲良もどちらかというとそういうタイプの人間だった。なので、グループに所属できないあぶれ者同士、美姫達は自然と一緒にいることが多くなったのだ。

 咲良と過ごした日々は、いままでの美姫の学生生活の中で一番楽しいものだった。お互い口数は少ないが、好きなアイドルの話だとか、テレビ番組の話とかで盛り上がったものだ。時間を忘れて友人と語り合うなんていままで一度もなかった。

 初めて親友と呼べる存在を得た。……少なくとも美姫はそう思っていた。


 それが中学に入学したことで一変した。


 入学して間もなく咲良がいじめにあったのだ。

 相手は樹理亜と千恵里。違う学区だったため小学校は別だったのだが、樹理亜は入学後すぐに学級委員長に着任し、すでにクラスの中心的な存在となっていた。さらには、腰まで伸びたさらさらな黒髪に、ぱっちり二重の大きな目、ぷるんと艶やかな唇、中学生とは思えない色っぽさも兼ね備えた樹理亜はクラスのマドンナそのものだった。


 そんな樹理亜が咲良のことを「デブ」だの「豚」だ罵り始めたのだ。誰もが見て見ぬ振りをするのも当然といえた。

 かく言う美姫も、樹理亜達に刃向かうことができなかった。咲良がバカにされ、小突かれているのをただ傍観していることしかできなかったのだ。


 ――苦しかった。親友を救うことのできない自分が情けなかった。


 一ヶ月くらいそんな生活を送り、ついに美姫は決心をしたのだ。咲良を助けよう、と。

 その日、いつものように「キモデブ」と言いながら咲良の頭をはたいている樹理亜達の前に美姫は割って入っていた。


「咲良をいじめるのはやめて」


 色んなセリフを準備して前線に出たものの、言葉にできたのはそのたった一言だけ。足はガクガクに震えていたし、語気だって弱々しいものであった。

 だが、そんな一言に樹理亜と千恵里のふたりは面食らった表情をみせた。きっと、美姫のような地味なタイプの人間が、自分達を非難する言葉を吐くなんて思ってもみなかったのだろう。

 予期していなかったところからの反逆ということもあってか、その日は樹理亜達もすごすごと引き下がってくれた。


 だが、次の日から始まってしまったのだ。地獄の日々が。

 手始めに下駄箱に入っていた上履きがびしょびしょに濡らされていた。美姫は、すぐに自分が次のターゲットにされたのだと察した。

 それでも、美姫は気にすることなく水浸しになった上履きで教室へと向かう。だが、そこで待っていたのはクラスメイトからの冷たい視線だった。


 元々、クラスに仲のいい人なんか咲良くらいしかいない。それでも、こんな冷めた目で見られたことなんか一度もなかった。

 居心地の悪さを感じながらも自分の席に向かうと、そこはひどい有様だった。机には『ブスイ』だとか『死ね』だとか落書きされて、中に入っていた物も全部床にぶちまけられていたのだ。

 美姫がその惨状に放心していると樹理亜と千恵里のふたりが近づいてきた。


「あー、大変じゃん。いったい誰がこんなことしたんだろう。本当にひどいわー」


「でも、よかったよね。机の落書き、シャーペンで書いてあるみたい。消しゴムかければすぐ消えるよ。ほら、親切なわたしがブスイちゃんに消しゴムあげるよ」


 そう言うと樹理亜は美姫に向かって消しゴムを投げつけた。その消しゴムは一直線で美姫のおでこにぶつかり、床に転がった。

 机に落書きしたのは樹理亜達なのは間違いないだろう。だが、美姫にはふたりを糾弾する力などなかった。樹理亜の人望は美姫との比ではないのだから。

 そのため、美姫は黙って散らばった教科書なんかを拾い始める。それが終わると、机の落書きも丁寧に全部消した。投げつけられた消しゴムは使わず、自分の消しゴムを使ったのは最後の意地だった。


 その後も事あるごとに樹理亜と千恵里のふたりにちょっかいを出された。授業中に消しゴムのカスを投げつけられたり、上履きの中に画鋲を仕込まれたり、ひどい日には裏庭で暴力を振るわれたりもした。

 この暴力というのも、ただ殴る蹴るといったものではないのが陰湿であった。基本は突き飛ばしである。美姫を突き飛ばして転ばせ、起きあがろうとしたところをまたしても突き飛ばす。それを延々と繰り返すのだ。

 そうすることで、直接的な傷がつかず、怪我をしても転んだことに済ますつもりだったのだろう。さらに樹理亜の卑怯なところは、突き飛ばすのをほとんど千恵里にやらせていたことだ。これは、いざという時に自分はなにもやっていないと弁護するためだと思う。


 美姫はそんな卑怯者に屈したくないがため、必死に耐えた。

 正直なところ、咲良がいじめられているのをただ黙って見ているだけの時のほうが苦しかった。自分が我慢すれば咲良が助かるというのなら、いくらだっていじめの標的になったって構わなかった。


 それに、ここで下手にリアクションをとってしまうと、このふたりが調子に乗るとわかっていたのだ。だから、努めて感情を表に出さないように心がけた。そうすることで、樹理亜達も飽きて自分に構わなくなると思っていた。

 現に美姫が淡泊な反応ばかりするので、日を重ねるごとに樹理亜の顔はつまらなそうになっていた。


 でも、そのときの美姫は知らなかった。この樹理亜という天使のような見た目の悪魔が、人の嫌がることを熟知していることを。


 いじめを受け始めてから二週間ほど経ったある日のことだった。美姫は、放課後に樹理亜達に捕まり、裏庭に連れて行かれていた。

 また、千恵里に突き飛ばされ続けるのかと思っていた。だが、そこには思わぬ先客がいた。


 ――咲良だ。


「え?」


 美姫は思わず声をあげていた。

 どうして咲良がここに? まさか、樹理亜は咲良も同時にいじめるつもりなのだろうか。

 だが、そんな美姫の予想よりも樹理亜の仕打ちはひどかった。


「なんかねー、咲良にブスイちゃんとの遊びを教えてあげたら、自分も仲間にいれてほしいって言うんだよね」


 樹理亜がそう言い終わらない内に、咲良が美姫の体を突き飛ばした。普段千恵里に押されるよりも、ずっと強い衝撃が体に伝わり、美姫はひっくり返るように尻餅をつく。


「さ、咲良……」


「ごめん」


 咲良はぽつりとつぶやくと、美姫の髪の毛を引っ張り無理矢理立ち上がらせる。そして、再び美姫を力一杯に突き飛ばした。


「きゃ!」


 短い悲鳴とともに美姫の体が地面を転がった。打ち付けられた右腕がジンジンと痛む。ただ、その痛みよりも咲良に突き飛ばされたことのほうがショックだった。


 だけど仕方ない。仕方ないんだ。


 美姫は自分に言い聞かせる。


 咲良は樹理亜に命令されてこんなことをしているだけなんだ。きっと、言うことをきかないと再びいじめるとでも脅されたのだろう。そうでなきゃ親友を突き飛ばしたりするわけないじゃないか。


 そう思っていたが――


 ――見上げた咲良の顔は無表情だった。罪悪感や、申し訳なさも、そこにはない。ただただ冷たい視線を美姫に向けているだけだ。普段からそんなに感情を表に出すほうではなかったが、能面のようなその顔に美姫は寒気を覚えた。


 美姫にはもうわからなくなっていた。咲良が樹理亜の命令を聞いているだけなのか、それとも先ほど樹理亜が言っていたように自ら志願したものなのか。

 どちらにしても、咲良がいじめに荷担し始めたのは事実。こちらは咲良のために、勇気を振り絞って樹理亜に立ち向かったというのに。いじめられても、咲良がいじめられるよりマシだと思って耐えていたのに。それなのに、こんな仕打ちはあんまりじゃないか。


 美姫の目から自然と涙がこぼれる。いじめられてからずっと我慢していたものが、親友の裏切りによって吹き出してしまったのだ。


「あーあ、泣いちゃった。ブスイちゃんかわいそー」


 樹理亜は美姫の顔をのぞき込むと「きゃはは」と笑う。咲良とは対照的に心の底から嬉しそうな顔だった。

 そんな樹理亜を見て美姫は悟った。もう、この悪魔から逃れることなんてできないだろう、と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る