美奈子のプライド


 美奈子みなこはひとり娘の様子がおかしいことに気づいていた。


 元々、娘の美姫はあまり活発なタイプの子ではなかったのだが、最近は休みの日ですら出かけている様子もない。小学生の頃は、頻繁ではないにせよ、外へ遊びに行っていたりもしていたのだが、中学に入ってからはそういうこともめっきりなくなっていた。


 親子の仲はそれなりにいいほうだという自負はある。美姫は素直でわがままを言って困らせるような子ではなかったし、若くして産んだ子のため、ふたりの関係性は友達に近いものだといえた。

 しかし、このところは美姫の美奈子に対する態度が素っ気ないものになってきたのだ。それは美奈子が少し気まずさを覚えるほどだった。


 とはいえ、一緒に住んでいるのだから毎日顔を合わせなければならない。

 今朝も美奈子がお弁当を作っている最中に美姫は食卓へとやってきた。


「おはよ。パンが焼けてるから、トースターから取ってね」


「……」


 美姫は無言のまま自分の席につく。以前なら挨拶は必ず返してくれたし、機嫌がよければ朝から笑顔だってみせてくれたはずだ。

 それを踏まえるとやはり最近の美姫は少し変である。どこか上の空というか、心ここにあらずという感じだ。


 それでも美奈子は努めて明るい口調で声をかける。


「そうそう、そのマーマレードなんだけどね、石渡いしわたりさんのところの手作りらしいのよ。どう? おいしい?」


「……普通」


「……そう。ああ、そういえば美姫に石渡さんのこと話したことなかったっけ。石渡さんってお母さんの仕事先のスーパーの人でね、すごいおしゃべりが好きなおばちゃんなのよ。で、その人のお兄さんだかが農園をやっているらしくって、時々こうしてお裾分けしてくれるの」


「ふーん」


 まるで会話を拒むような愛想のない返答だ。


 胸をナイフでえぐられたような気分だった。

 決して自分のこれまでの人生の選択がすべて正しかったとは思っていないし、自身を模範的な母親だとも思っていない。とはいえ、なるべく美姫のことを優先してあげてきたつもりだ。自分の趣味や交友関係を後回しにして、いままで娘を頑張って育ててきたのに、こんな突き放すような態度をとられるなんて思ってもみなかった。


 だけど――


 と、美奈子は考え直す。


 もしかしたら、この時期の子供はみんなこんなものなのかもしれない。なにもかもが面倒くさく思え、親の存在も鬱陶しく感じる。そういった心情は思春期の子なら誰にでも経験があることのようにも思えた。


 自分が美姫と同じ歳の頃を思い返してみる。


 親――特に父親――が目に入るだけで理不尽な苛立ちを感じたものだ。同じ食卓を囲うのも、お風呂に先に入られるのも、洗濯物を一緒にされることも、すべてが嫌だった。

 そのことを考えれば美姫の態度はまだいいほうではないか。淡泊とはいえ言葉を返してくれるし、あからさまな拒絶もないのだから。

 別に教育評論家でもないが、きっと親を疎ましく感じることは成長するために必要な過程なのではないかと思う。その経験をしてこそ、人は一人前の大人になれるのだ。

 つまり、美姫も大人の階段を上り始めたということ。それならば母親として素直に喜ばなくては。


 そこまで考えて、美奈子は思わずふふっと笑ってしまいそうになった。


 もし、本当に親を疎ましく感じることが大人になる過程だというのなら、自分は未だに子供ということになってしまうと気づいたからだ。なにせ、美奈子は美姫を産んでから一度たりとも両親に会っていないのだから。

 ただ、子供だと言われたとしても、今更両親と顔を合わせるつもりはなかった。それは美奈子にとって絶対に曲げることのできないプライドといえた。

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