第59話 知らなかったんだ、大魔王からは逃げられないの

「……今年の分、これで終わりかぁ……」

 結局よくわからない圧倒的な蹂躙劇は、所長の勝利に終わった。

 というかこれ、勝利と言っていいのだろうか。ただ立っているだけで、その辺の人がバタバタ膝をついて倒れてしまったのだ。

 そこから立ち上がる人はおらず、そもそも所長は剣すら抜いていない。

 どうぞご自由にかかっておいでください、と言うだけ言った。その言葉に乗せられた青年達が、剣を抜きはした。

 が、踏み込んだ瞬間に動かなくなった。ゴキコロリならぬケンコロリでもされたのか、というくらい、ぱったりとだ。

 そういう、何かが狂った惨状である。


「……何があったんだろ?」

「達人技、的なやつっすかね……?」

 一方の僕達はといえば――片隅でがたがた震えていた者同士、それなりに打ち解けてはいた。


 なんとなく嫌な方の予感が的中したが、このお寺は実戦派の剣術道場だ。今の師範代が廃寺を買い叩いて改装したものらしい。

 僕の耳には全く聞き覚えのない流派だったけど、まぁ田舎住まいではそういうこともある。都会流とか、そういうことだと思うようにした。

 実戦派といってもちゃんと法は守っているので、そこは安心するべき……なのだろうか。普通にお稽古する分には、ちょっと厳しいくらいで済むだろう。

 最も、法を全力でぶっちぎった所長が来た瞬間に、それが一変してしまったわけである。

 ……実戦派だからって本気で人を殺して上手くなれ、という教えはどこにもないだろうから、ある意味当然っちゃあ当然だった。


「咲良くん」

「ひえっ」

 亡骸の如く積み重なる人間を、いつの間にすり抜けてきたのか。

 真っ黒い影が、ぬっと僕達の目の前に現れた。所長である。

「すんませんっした! 俺その、あの、失礼します!」

 傍の少年は、ドン引きとも恐怖とも取れる、短い悲鳴を上げながら逃げだしてしまった。気持ちはわかるし、できれば僕もそうしたい。

 悔やむべくは、一ヶ月前の僕の浅はかさである。

「……あのぉ。僕も『ああ』されるんでしょうか?」

 すっと指さす先は、言うまでもなく生ける亡骸群。

 言わんとする意味は……まぁ、察してほしい。

「二日だったら、あそこまでにはならないよ?」

 違う、そうじゃない。僕が聞きたいのは相手の強さじゃない。

 というか、今しれーっと端的に否定されたな……体格とか筋力とかも全然違うから、当然と言えば当然なんだけど。

 めちゃくちゃポジティブに解釈すると、一応かなり強い人達みたいだ。困ったことに、全く腕前がわからないということさえ除けば。

「いやその……なんか、倒れてますよね?」

「あぁ、あれかぁ……」

 指さした方へ軽く目をやると、ようやく自分のやらかした事に自覚したのか。

 それとも、戦果を品定めしていたのか。

「大丈夫、咲良くんはとっても強い子だからねぇ」

 大体ダメな時の答えが返ってきた。


「ちなみに、拒否権ってあったり?」

「しないよ?」

 しな、くらいまでを聞くやいなや、自分史上最高のスタートダッシュを決めたのだけど――どこからそんな瞬発力が出てくるのか、ものすごい速さで襟を掴まれて。

「逃げちゃ駄目だよ? ここ一回迷うとすぐ遭難しちゃうんだから……ほら、大人しく強くなろうねぇ」

 そのまま、あえなく御用になってしまった。

 こういう時に限って、笑顔で抱き上げられてとんとんあやされても、全く安心できない事がわかってしまったのは……ちょっとした収穫だろうか。


 かくして、命の保証が全くない修行をさせられる事になってしまったわけである。

 ご愁傷様、という視線がぴりぴり刺さるような気がするのは、たぶん気のせいじゃないと思いたい。


「むぐぅ……」

 いや。

 よくよく考えれば、渡りに船ではある。

 誰かを守るための力……には絶対になり得ないが、危険に晒さないための力にはなる。

 要は、穴ぼこを埋めて多少なりとも平らな道に近づけようという理屈だ。

 残念ながら僕の場合、こと物理的な力はとてつもなく低い方向に突出した駄目な方の個性なので、これはまぁいい事に変わりない。

 異能抜きで普通に殴られたり刺されたりしたら死ぬわけだし、それが未然に防げるのならばとてもいい事だ。

 いい事には、変わりないんだけど。

「ふふっ」

 問題は、所長がいつになく上機嫌なことと。

「……あのぉ」

「どうしたの?」

「僕は一体何をさせられるんですか?」

 何故か道場があるお堂を離れて、林の方へとまっすぐに突っ込んだ事である。

 幸いにして刀を引っ提げているわけじゃないので、いきなり殺されたりはしないだろうという希望的観測はできる。

 ……それを希望と言っていいのかは、まぁさておきとしても。

「ちょっとした精神統一だよ?」

「……本当に?」

「大丈夫だよ、死にはしないから」

 嘘だ、絶対嘘だ。

 でも逃げると遭難するのは分かっているし……というか、普通に逃げたところで所長から逃げられる気がしないし。

 そう考えてしまうと、結局唯々諾々と従うのが一番安全なんだよなぁ。

 ……それで少しでも強くなれるのなら、よしとしよう。

「そんな顔しなくても……ちょっと自然と一体になるだけだよ」

 そんな思惑も、しっかり顔に出ていたみたいだ。強くなったら、多少はこの癖も治ったりするだろうか?

 どうせなので、精一杯の嫌味を吐いておく。

「……ミンチになって、とかじゃないですよね?」

「しないよぉ。私はサイコパスの類じゃないもの」

 昨日までなら、まだその言葉を信じられた。

 ただ、今日は今日。残念ながら、人としてかなりヤバい方だった所長を知ってしまっている。

 結局、利害とか命惜しさとか、そういうちょっと汚い欲望込みで強くなる事にしたのであった。


 ――見渡す限り一面の緑の中に、ぼんやりと陽が射し込んでいる。

 青々とした新緑が、少しだけ遅い芽吹きを伝え――それに群がるように、小さな虫が葉を食んでいる。

 みずみずしく軽い空気を、たくさん肺へと吸い込んだ。

 かなりの山奥らしく、沢の水もまだどこかでちょろちょろ流れているだけだ。相当上の方まで登ってきているのだろう。見晴らしのいい高台でもあれば、きっと都会の街が、ごちゃごちゃした塊に見えるに違いない。


「……」

 故郷とは、だいぶ違う。

 ど田舎呼ばわりに甘んじる事はあれ、まがいなりにも人の営みをする為の里山だ。

 鬱屈とした中で、無理やり爽やかさを見出すような環境ではない。

 一見すれば同じだろう。山があって、そこに土があって、木々が生えている。ついでに、ちょろちょろ川未満の水が流れていて、控えめに草花が生えていて――うん、要素だけなら同じだ。

 けど。これは違う、と声を大にして言いたい。

 心は全く休まらないし、むしろぴりりと引き締まる。

 隣に立つ、たった一人のせいというわけでもない。なんだか、この森そのものに拒まれているような。

「ここはね。ふつうの人は、絶対に来ない」

 無理もない。

 老人風に言えば、祟られているか、神様を祀っているか。或いはどっちも、と言いそうな雰囲気が漂っている。僕ですらそう思えるのだから、信心深い人はもっと大変だろう。

 そういったもののほとんどは、獣や毒草なんかがくそみそに邪魔をしているからですよ――と、お母さんは言っていたけど。同時に、本気のやつもあるのでとりあえずそういうことにしておいた方がいいですよ、とも言っていた。

 これの場合、間違いなく後者である。

「なんとなく、近寄りがたいんだろうね」

 そこを、何の躊躇もなく、するすると足を踏み入れて行く。その方が異質である。

「……なんでこんなところに?」

「このくらい人気がない方がいいよ。私は気配消せるしね」

 いいよいいよチャリ持ってるし、と同じくらいの気楽さで言うことではないと思うのだけど……まぁ、この人が何気なくおかしいのは今に始まった話じゃあない。

 確かに、言われてみれば、精神統一にはいい場所なのかもしれない。

 その昔、名前も何もないような僧侶がここで禅を組むとすごい神様からのお告げが……うん、なんだか行けるような気がしてきたぞ。

「……とりあえず、やってみます!」

「うんうん。その意気やよし」

 土の中から、軽く岩を探して座る。


 かくして、何の役に立つのかはまだよく分からない修行が始まったのである。

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