第58話 拝啓お母さん、僕はもう駄目そうです
「あれはねぇ、ちょっとだけ私のせいだったんだよ」
夕飯に出されたおじやをもぐもぐ食べていると、所長は唐突にそう言った。
「そんなことないですよ!」
「まぁまぁ……一応は、部下と上司なわけだからねぇ。そういう失態は、ちゃんと抑えなくちゃいけないもの」
まるで、聖人のようである。
そういった責任を負おうとしたのは、まりえさんくらいのものだったし。あと二人に関しては、自由と無責任の元生きているような印象がある……というか、とつぐさんに関しては責任感の一欠片もなさそうだ。
だからといって、爪の垢を煎じて飲んでください、とは口が裂けても言えない。
真っ当な責任感の代わりに、溢れんばかりの性欲まで獲得したら……という想像が、容易にできてしまうのだ。
ただ。
ここに来て、急に風向きが変わるとは、思っていなかった。
「それにねぇ、戦いをふっかけさせろって言ったのは私なんだよ」
「えっ?」
何を言っているんだこの人。
いや。半ば、予想はできていた。
まりえさんが健全な方向に精神を捻じ曲げることは、あんまりない。
急に全裸になってみたり、聞くに耐えない卑猥な言葉を叫びながらしょっぴかれるようになる、そういう洗脳はちょこちょこやっているが……どうも、健全に洗脳するのは緊急回避手段としているようだった。あまり、洗脳自体は好きじゃないのかもしれない。
……あと、明らかに玲奈さんが全部予想しきった上で行動していた。
予想外の事が起こればちゃんと動揺はするのが分かった以上、どこかで予想がつく話だったんだろう。
言い方からして、とつぐさんが喧嘩をふっかけたのは本人に理由があるっぽいけど……。
「まさかあそこまでネチャネチャしてるとは思わなかったけど……なんで闇討ちに来なかったのかなぁ」
「……あの、一般的に闇討ちは犯罪だと思うんですが?」
あと、素面であそこまで動ける相手に闇討ちを仕掛ける覚悟はない。
僕が仮にとっても強い大人だったとしても、勝てそうな気がしない。ふしぎな力で銃弾を吹っ飛ばしていたし、肉弾戦を仕掛けたところで刃物に勝てるわけじゃない。そもそも刃物に勝てる肉体ってなると、とつぐさん並みに極まってくる必要があるらしい。
じゃあ刀同士なら……と思うけど、まぁ無理だろう。
僕は沖田総司という名前ではないし、宮本武蔵という名前でもない。ただの無力な人である。
「まぁ、今回は『生死は問わないよ』って言われたもの」
確信した。
この人、まりえさんより酷い。
「……たぶんそれは、最悪死んでも文句は言わない、という意味では?」
「あはは。でも向こうはこっちに敵意を持っていたから、正当防衛じゃないかな?」
どこの世界に行ったらその辺の人を刀でズンバラリしてもいい正当防衛があるんだろうか。僕には見当もつかない。
というかそれは普通、襲われたら対抗してもいいですよ、という意味では?
「僕の知っている『正当防衛』とは違うみたいですけど」
「咲良くんを守るため、だからね」
「皆殺しにする必要ありましたか……?」
……なんでこんな人を『優しい』と思ってしまったんだろう。
いや、少なくとも人当たりはいい。むしろ良すぎて問題だった。けど。
こう、生命に対する姿勢がだいぶお侍さん寄りというか……限りなく辻斬りに近い。よくもまぁ、今まで犯罪を起こさずに生きていられたものである。
「殺せる人数は、多い方が楽しいよ?」
まるで罪悪感の欠片もない。むしろ純粋な笑顔なので、直視するのも辛い。
実は今まで知らなかっただけで、かなり精神的な作りがまずい人とお話しているんじゃないか?
「……ちなみに話は変わるんですけど、今までに前科とかあったりします?」
「裁かれたことはないよ」
やったことはあるんかい。
まぁ、それを言い出すとほぼ全員アウトというか……一番信用できるのが、一応は芸能人の玲奈さんということになってしまう。まぁ、とんでもなく口が悪くて後先考えずに金を注ぎ込むきらいがあるだけで、わかっている限りでは犯罪者の類じゃない。でも身内には絶対いて欲しくないタイプである。
――なんだこの事務所は。
僕はとんでもないところに連れ込まれたみたいだ。契約書は今度からちゃんと読もう。
最も、読まずに何故か拇印を捺されていたから、もうどうしようもない気がするけど。
「警察の人を皆殺しにすると、ごめんなさいやめてください、って謝られるんだよねぇ。あれ、軍の人もちょっと殺しちゃったのかなぁ?」
この世で一番酷い理由で裁かれてないだけじゃないか。
バレなきゃ無罪、とかそういう次元じゃない。バレても裁く人を皆殺しにすれば無罪、である。
警察の人が悪態をつく理由も、なんとなくわかってしまった。これは文句の一つも言いたい。ちょっと怒るとモリモリ人が死ぬのである。
……というか、怒らなくてもモリモリ人が死んでいる。
僕はダシに使われただけな気がしなくもなかった。
「……その、なんでここに来たんですか?」
これ以上生命倫理をほじくり返しかねない質問をすると、どんどん会話があらぬ方向へ行く気がする。
なので、まともな話を振った。
「強化合宿だよ?」
「はい?」
信じてほしい。まともな話を振ったつもりだった。
もちろん、これが高校の部活とかならまだわかる。
が、今の勤め先は探偵事務所。年齢的には高校生だけど、一応は社会人だ。そんな語彙がぱぱっと出てくることはない。
何を強化させられるんだろうか、というのは……まぁ、
確実に頭脳とかじゃないことはわかる。精神力でもないだろう。
「あれだけ殺すと刀が駄目になっちゃうから、ちょっと直してもらうついでにね?」
まぁ、血でぬっとりした感じにはなっていた。血だって水分だし、あのままだと駄目になるのは、知識としてはわかる。
わかるけど、この時代にはあんまり聞きたくない理由だった。
「あの……具体的には何を強化するんですか?」
「うん? ここの門下生の子を、ちょっとね……見込みある子、いるかなぁ」
よかった、僕じゃなかった。
そんな人じゃないとは信じたいけど、真剣で稽古をつけて来かねないし……あと、僕の腕力だと刀に体を振り回される。正直、竹刀や薙刀ですらかなり怪しかった。
重さはさておき、長さが問題なのだろう。ああいうのは、構えて持つと余計に重い。
「どうせすぐ終わっちゃうから、咲良くんもちょっと強くしてあげるね」
前言撤回。僕もだった。
「……あの、見ての通り武器とかは使えませんよ?」
「大丈夫。自衛のための強さだよ」
案外まともな事を言ってはいるけど、それは本当に自衛に使えるんだろうか。
襲ってくる前に殺せば問題ない、とかそういう強さじゃない事を、祈るしかない。
門下生と言っているあたり、どこかの道場なんだろう。流石にその辺は、法に則ってやってくれると思いたい。
ここが探偵事務所という名の犯罪者集団なのはもうどうしようもないけど、僕まで犯罪者の仲間入りをしたらおしまいである。
たぶん天国にいるお母さんの為にも、自分の為にも、せめて胸を張って生きられる人生を歩まなくちゃ。
そんな決意は、一晩寝て起きて、ついでに朝ごはんまでご馳走になったところで、粉々に吹っ飛ばされた。
それもそのはず。
「それじゃあ、今から私とたくさん殺し合おうねぇ」
たくさん遊んで、たくさん食べて、いっぱい元気になろうねぇ――と言うような調子で、道場のど真ん中に構えていた。
その周りには、亡骸群がぱったりと倒れている。
正確には普通に生きているが、心はたぶん普通に死ぬより酷い状況だろう。
何をされたかは、よくわからない。というか、まだ剣すら抜いていない状況でこの惨状だ。
「何が起きたんすか……」
「わかんない……」
意味がわからないまま、僕は同い年くらいの男の子と抱き合いながら、がたがた震えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます