第37話 神滅の矢の降りかかる

天空をも穿つ光芒が、閑散とした商店街を焼き払う。

無人の牢獄を焼き払い、地を薙ぎ、空を覆い尽くす。

それは神威か、はたまた滅亡の光か。

降り注ぐ光と炎が、懐かしき原風景を塵芥へと還す。黄昏の空を、太陽を、地を、破壊する。

色をも喰らい尽くすそれは、しかして人を焼き払うことはなかった。


「な、にが……」

「分かったら苦労はしない。人体には無害だと思いたいが、何事だ?」

見るも無惨に破壊された商店街は、しかしどうにか自己修復の兆しを見せていた。

元より幻覚の類だったのだろう、建物の切れ端からにょきにょきと接合部が生えている。空も地もじわりじわりと浸透して、どうにか元の状態を保とうとしていた。

だがしかし、光源は失われたままである。

それでも空は、明るさを保っていた。現実の光景ではない。

――間違いなく、何らかの術中に嵌められた。

まりえには、その術に心当たりがあった。その心当たりもまた国家機密故に、一度頭からは抜いていたのだが……しかし、機密は漏れるものである。

ことさら、機密保持を意識すればするほどだ。最早、ある程度の反政府的組織などには情報が渡っている可能性を加味した方がいい。

これは、あまりにも、厄介だ。

情報は新鮮である事に価値がある。既に一線を退いたまりえでは、ちょっとした基礎知識程度しか役に立たない。

その上、異能と違い、対抗策らしい対抗策がない。相手の頭がクソバカのイカレポンチである事を祈るという、およそ戦術的ではない方法を取らざるを得ないのである。


「……む」

眼前に堂々と開陳された超絶大爆乳から、咲良が懸命に目を逸らしていると、まりえが何かに気がついたような声を上げた。

「な、なんでしょう?」

「……誰かが、いる。ここまで感づかれなかったということは、転移か」

まりえが立ち上がったことで、咲良は解放される。

そこで改めて、拘束していた相手をまじまじと見つめ。

「……ななななな、なんて格好してるんですかぁー!?」

悲鳴を上げた。

「どうした。局部を晒しただけだろう」

ブラジャーと靴こそ着けているが、そのほかはほぼ全裸である。幸いにして上下ともに布地はあるという状況だが、生憎咲良の視界に入らないのであまり意味はない。

むしろ、下腹部から股間が丸見えという、かなり人としてまずい状況になっていた。とても往来でしていい姿ではない。ただの痴女である。

「それは隠すものだと思います!」

「安心しろ。常識を変えれば問題ない」

だが、まりえはただの痴女ではない。

ことさら精神の奥深くにまで影響を及ぼせる、強力な洗脳を施す痴女である。格安催眠ドスケベCGFA〇ZAもかくやと言わんばかりのとんでもない常識改変など、朝飯前であった。

「ぼ、僕の常識は変わらないんですけど」

「何、まんこも見慣れればただの肉だ。行くぞ」

「その理論は何かおかしいと思います……」

さっさと歩いて行く、バキバキに鍛え上げられた生尻を、不本意ながら追いかけた。


「これでよし、っと……うわやっば。電車代渡すんで、今日中に帰っておいてください」

「え」

一方のとつぐは、数千円を持って立ち往生していた。

「私は今からスタジオに向かいますから。駅なら向こう方面へ徒歩十分、そこから運賃は二千円弱ですね。三番線ホームの東京方面に行く電車で一本です。おつりは返してくださいね、それじゃ」

「あっ」

待ちなさいよ、と言う間もなく――ぱちんと指を鳴らし、玲奈が消え去った。

手のひらに握りしめたお札と、駅の方角を交互に見た。

「待ちなさいよ、本当……」

とつぐには、電車の乗り方が分からない。

幼い頃には専属の運転手がついていたし、今は歩いたり走ったりすれば大概のところに行ける。あんまりにも遠方の時は、まりえが運転してくれるので全く問題はない。そもそも電車に乗ったことさえ一度きりで、それも近くの人間が操作しているのをガン見しながらどうにかという惨状である。

「……どうしろって言うのよ」

そして、タクシーの呼び方も分からない。

何度か乗ったことはあったが、それも随分昔のこと。自分で手配した経験なんて、ない。そもそも、住宅街に通りすがりのタクシーなんてものはそう存在しない。

かと言って、これ以上走るのも問題だ。

脚は、既にかなり熱を持っている。そもそも長距離走でやる走法ではないし、力のかけ方も普段とは違う。わざわざ玲奈が走るなと指定したあたり、かなり限界に近いのだろう。かろうじて取っておいたスニーカーを履いてきたが、それも既に摩擦熱で溶けている。

「……まりえちゃん。ねぇ、電車ってどうやって……」

超絶横暴な箱入り娘は、たった一人では何もできない。

そういったことを身につけようという謙虚さが、およそ皆無なのだ。

集団を無理やりに振り回すという能力の代わりに、自活能力を全て捨てている。花桐とつぐはそういう人間である。

まりえはまりえで、車もバイクも有り余るほどに保有しているからわざわざ電車には乗らないのだが、そんなことを知るよしはなかった。

「……なんでよぉ。もう怒ってないわよぉ……」

誰かをこき使わなければ、何もできない。

だが、喜んでこき使われてくれる人間が誰もいない。既に生まれ持った外見が奇抜淫乱ピンクヘアなとつぐが、いくらおろおろ困っていたからと言って、誰かが助けてくれるわけでもなかった。

……最も、そんな人間がいたとしても途中で嫌気が差すだろうが。

「……ぐす。もういいもん、車乗せてもらえばいいもん……」

まるでアラサーとは思えない、幼女じみた捨て台詞を虚空に吐き捨てる。

そうして、捨てられた子犬のような目をしながら、とぼとぼ現場に向かっていった。


「……あら」

そうして、ものの見事に大破した車を発見した。

黒いナンバープレート事業用の軽自動車。一応、ぼんやり覚えていたナンバーと合致する。

まりえ専用に近いとは言え、社用車だ。

トランクがこじ開けられ、車体はべこべこにへこんでしまい、あまり原形をとどめてはいないが……一応、走り出すんじゃないかという気配はあった。

「じゃあ、このお家かしら。その割には、随分静かよね」

車内は無人。屋内からも音は聞こえない。

荷物は残されているから、ここに入ったのは間違いないのだ。

すん、と軽く匂いを嗅ぐ。確かに獣臭い。

山羊頭と言っていたから、現場も含めて間違いないだろう。そう判断した。

堂々と正門から入り、玄関前へと立つ。扉をがちゃがちゃしても開く気配はない。流石に鍵はかかっているようだ。

「……まぁ、あんまり意味はないんだけど」

なので、蝶番ごと力任せに引き抜いた。

バキン、と調子のいい音が響く。チェーンロックまでしっかりかかっているが、とつぐの腕力の前にはただの紐である。

「誰かいるわね?」

むしろ、余計な証拠を与えるだけであった。

手が透けたり溶けたりしない限り、外部からチェーンは掛けられない。なので、こういうものがかかっていれば九割がた居留守。闇金取り立ての大常識である。

「安心なさい、サツじゃないから。罪は見逃してあげるわよ」

耳を澄ませようと、鼓動一つも聞こえない。

「……逃げたか。チッ」

いると分かれば、即座に脅しを掛けている。

人間と獣の残り香はあるが、どちらもあまり鮮明ではない。ロックを掛けた主やら家主やらも、一日は経っているだろう、と推察した。


普通であれば、とつぐはここで帰る。

主に勘と振る舞いの粗に揚げ足を取って、犯人を断定する……それが、とつぐの推理法だ。それ故に、とつぐの推理は、圧倒的に他人の存在に依る。

即ち、こういった失踪事件には弱い。

犯人の失われがちな犯罪というのは、ことさら玲奈の得意分野である。強固な理論と圧倒的な頭脳により、トリックを解体。あらゆる矛盾と空白を理詰めで殺す知的拷問推理ショーは、ある意味ではごく一般的な探偵と言い換えてもいい。

唯一にして最大の欠点と言えば、特に春先と年の暮れの週末は使い物にならないことくらいである。


だが――未だ、まりえの強固な姿勢には納得が行っていなかった。

「……ちゃんとしたお姉ちゃんだって、見返してやるわよ」

金銭面から生活面まで妹にはおんぶに抱っこだったが、しかし推理では別。

どうやらピンチのようだから、そういう頼れるところを見せてやろう。

そういう欲が出たので、根気よく手がかりとやらを探してみることにした。

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