第36話 鬼脚、炸裂
この日、園原探偵事務所にはクレーターができていた。
言うまでもなく人為的なものである。
「さて、運命をちょっち変えますよ。キリキリ働けー」
「人使いが荒いのよ。そりゃ数分ありゃあ着くけど!」
とつぐ式ファストトラベル、もとい鬼脚による大跳び走。一歩一歩踏み込む度に、その速度は跳ね上がっていく。音さえ置き去りにするその走りは、まさしく閃光と呼ぶにふさわしいだろう。
本気を出せば、共に乗る人間が風圧で消し飛ぶその速度を――しかし、玲奈は引き出せた。
前方へと、空気抵抗を加味した障壁を張る。障害物は、これであらかたはじけてしまう。なおかつ玲奈自身は風の抵抗を一切受けない。ビルも道路も障害物も、大概のものはとつぐが目の前から突っこめば壊れてしまう。
雷鳴の如き轟音が、東京に響き渡る。
「大体何よ、忘れ物を連れていくだなんて」
「打破にはなり得ますよ。なれはて共はセックスに夢中ですから」
「でしょうね!」
常識的な交通手段は、軒並みまりえしか運転できない。
唯一常識的な軽のワゴン車は、今時珍しいを通り越して化石と化したMT。バイクは小型中型大型と五台取りそろえているが、初心者向けの原付スクーターという選択肢は存在しない。どころか、スクーター自体がない。
更にまりえの私有車は数台存在するが、そちらはそちらで超の付く高級外車かスポーツカーである。
最早、他人に車を触らせる気がはなからない。そういう、色々と振り切ったセレブコレクションである。
「あぁもう、帰ってきたらお説教してやらなくちゃ。お姉ちゃんを苦労させるなんて」
「でもどうせヤったら許すんでしょ? 足ガタガタズッタンするのに。ちょろーい」
「振り落とすわよ」
事実。この速度で走れば、いくらとつぐの足でも負担はかかる。
華狼家の悪しき遺伝なのか、それとも母親の呪いなのか。とつぐ兄妹は、全力を出し続ければ選手生命即剥奪、という
最もそれは、出せるポテンシャルが異常に高いということの裏返しでもあるが。
「最低限
「あぁ、そう」
「……あんた、咲良のこと好きでしょ」
「ファッ!?」
だが。
いつになくめちゃくちゃなお節介焼きになった玲奈を、とつぐは軽く怪しんでいた。いわば、恋敵として。
どう言いつくろっても『図星です』という解釈しかできない驚愕の声からして、概ね事実であろう。
「んっんん。根拠のない言いがかりは人類の特権」
「やっぱ好きなんだ。あーあ……わたし達、おしまいね」
「おしまわないでください。仮に私が負けヒロインみたいな片想いをしていたとしてもいいでしょ別に、とつぐさんに何か関係があるんですか」
――関係大ありよ。
そう吐き捨てて振り落としたい気持ちを、ぐっと抑える。
「……だって。恋って、一対一でやるものじゃない?」
「
「うるさいわね。ヤるのと付き合うのは別なのよ、とにかく!」
確かに、まりえの貞操観念にはかなり問題がある。
それを一度叱ろうと乗り込んだら、しっかりしっぽり骨抜きにされたので目立ったアクションを起こしていないだけだ。最も、仮に何もしなかろうがしっぽりするので、これ何言っても無駄だと学んだというのもある。
だが、いくら自称双子の姉妹とて、相違点くらいはあるものだ。
それが美点ならまだしも、汚点まで好んで似たくはない。
「落ち着いてください、別にそうと決まったわけじゃない。とつぐさんってたまに異常な視野狭窄を起こしますよね」
「……何よ。ごく一般的な恋愛観だと思うわよ、自分で言うのもなんだけど」
「まぁまぁ、歴史と世界を見ましょうよ。名前は違えどハーレム制を採用する地域もあるんです。我々に都合のいい多様性を否定しないことは大切ですよ」
確かに、事実としてはそうだ。
何ならとつぐの実家、もとい華狼家もそうである。
まりえの母親は、とつぐの父親の愛人。兄は『どこの馬の骨とも知れない男』の息子らしいので、こちらは種違い。とつぐの知る限りで、
とはいえ、父母ともに家を空けがちだったから、きっと外で勝手に知らない兄弟姉妹を作っているだろう――というのは、想像に難くない。そして、かなりの確率で事実である。
……そして、あまりそれが、いい結果を及ぼさないのも理解していた。
まりえの件然り、真の後継者を名乗る不審者然り、である。
「だとしても、仲良しこよしはできないわよ」
「それは権力と異能が複雑に絡み合った結果の話。その辺のかっぺに権力なんてありませんし、咲良さんはその点実に都合のいい異能をお持ちじゃないですか」
「それはそうだけど」
だが。
折角好きになった相手は、できる限り独占したい。
むしろ、妹だからこそだ。下手に会わせればさっさと性的に食い散らかしてしまうだろう、というのが想像に難くないからこそ、できれば二人きりにさせたくなかった。
「まぁ、考えてみたらどうです。状況は刻一刻と変わるものですから」
「あら、そう。そうするわ」
「そろそろ減速してください。一時的に風防を切ります」
ぱちん、と指が鳴る。
さて、果たしてどうするべきか。慣れた足取りで歩を緩めながら、そんなことを考え始めた。
くるくると上で数式を編む玲奈になど、気付く余地もなかった。
「む」
――空気が、変わった。
長閑なものが、消える。鬼気迫る物が、来る。
閃光を伴って。
「な、なんでしょう……むぐっ!?」
「少し黙って伏せろ」
咲良を谷間に埋め、ホルスターから拳銃を抜く。気配の元へ、銃口を向ける。
デザートイーグル。流石に戦闘に特化した相手には心許ないが、そうでなければひとまず脅しにはなる威力だ。
――だが、まだだ。まだ遠い。
音も姿も見えないが、しかし射程はよく知っている。
どう近く見積もったところで、数百メートルは離れている状況だ。ライフルならばあり得るが、たかだか拳銃の弾などは届かない。
――もっと、引きつけろ。
ゆらりと閃光のきらめきが鈍る。感づかれたか。だが、それで構わない。
殺すためではなく、守るための銃口だ。敵対せずに済むのであれば、それが最良。
――もっと、もっと。
減速。否、これは停止か。明らかに、遅い。
ふと緩まった気配から探るに、数キロは遠く離れている。世界に一握りといないような非凡な才の持ち主でもない限り、その射程を持つ異能は存在しない。
「……止まった、か」
ふぅ、とため息を吐き出す。
軽く上体を起こし、咲良を解放した。ぜぇはぁ、と肩で息をしている。赤く染まった頬が、りんごのようで愛らしい。
「……な、何するんですかぁ」
「少しばかり、危機を察知したのでな。無事か」
「まぁ……はい」
もぞもぞと起き上がる咲良を、注視した。
くりくりと大きな瞳が、軽く涙に濡れていた。窒息しかけて、反射的に涙が出ていたのだろう。愛らしいものだ。
ふと手が伸びる。
股間ではなく、頭に。
「な、何するんですか急に。僕は子どもじゃありませんよ」
「愛らしいと思ってな。私からすれば、大概全ての人間は子ども同然だがね」
「それはまぁ、そうでしょうけど……」
ぽふぽふと撫でるごとに、口角がにへらと上がる。
なんとも実に、愛らしい。
――だから、だろう。
空の異変に、気付かなかったのは。
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