第21話 鬼人侵食

「え、えぇっとぉ……」

 完全に周囲の雰囲気に流された咲良は、隅っこの方で、ちょこんと座っていた。

 そもそもほとんどの相手と面識がなく、多少明るい雰囲気になったとはいえお通夜じみた雰囲気はある。既に出来上がった内輪のノリについていけるほど、咲良は器用な部類ではない。

 これを口先だけでどうにかできたら、僕は今頃詐欺師になれていると思います――そう、とつぐに念を送りつけた。最も届ける術はなかったが。

「おォ、なんだなんだ坊主。そんな端っこでうじうじと」

 そこに目をつけたのが、早川である。

「そんなところにいるガキは、カビになっちまうぞォ……ほら、オレんとこ来いって。なァ」

 酒が入って上機嫌なのだろう、少しばかり頬が赤い。

 先の件もあって、あまり早川とは関わり合いになりたくなかった。体で拒絶の意を示す。

 近くにいた強面に張り付いた。やや恥ずかしいものはあったが、しかし早川と話すよりはマシだ。

「……酔っ払ってませんか?」

「おォ、酔っ払い上等。医者からはやめろと言われているんだが、ねェ」

 やめろって言われてやめれるんなら苦労しねェよな、小田原の坊もそう思わねェか、と金髪の男に絡んでいった。

「ちょっと、そういう事は先に……」

「お前まで言うのかよ、つれねェなァ。昔はヤンチャしてたくせによォ」

「昔の話でしょう……」

 すんすん、と鼻を利かせてみると、どうも全体的に酒臭かった。宴会でも開いていたのだろう。

 現に、壁代わりに張り付いた男も若干挙動がおかしいのだ。咲良も地味に頭を撫でくりまわされていた。みーちゃん、と呟いているところから見て、どうやら猫と間違えられているようだった。

 するりと手元から抜け出し、話を繋げていく。

「昔?」

「おーおー、坊主が食いついたぞォ。ほれ、話してみろってェ」

 このチャンスを逃すべきではない――そう、直感した。

 自らの力で話題を振るのは、ほぼ不可能に近い。だが、幸いにもその話題で絡む人間がいた。

 正確には違うが、昔の事を聞き出せればあとはどうにかなるだろう。見たところ偉い人のようだから、色々と聞き出せるかもしれない。

「はぁ……いいっすよ。武勇伝ってほど、大したもんじゃないですが」

 未だ正気を保てていたヤクザから、おぉー、と感嘆の声が上がる。

 そうして、粛々と話を始めた。


「助け舟にゃァ充分だろ、お嬢」

 ぼそりと吐き捨てられた言葉は、酒に紛れて溶けていった。


「相変わらず、食えないわね」

 宴会場の様子を耳に入れながら、改めて現場を見回っていた。

 これ以上の背信はないだろうが――億が一、何か他に企てていては困る。極道の内乱ならばまだいいが、下手にカタギを巻き込まれるとよりまずい。探偵として、無関係でいられなくなる。

 何より、人前で堂々と死体漁りをするのは気が引けた。流石にその程度の良識は備えている。最もそれは、他人から非難されない為に身につけたものでしかない。

 うかうかしている間にも、やや腐り始めたような香りが鼻孔をくすぐる。

「……」

 血は概ね出し尽くされたのだろう。最早、これ以上カーペットを汚す事はなかった。

 苦悶の表情を見せたまま、死体は放置されている。本格的に腐る前に、ソファへと寝かせてやった。

 一方的に金をたかることの方が多かったが、それでも知り合いだ。無様にのたれ死ぬ姿を見るのはやや忍びない。

 目と口を閉じさせて、せめて顔だけでも安らかに――そう手を伸ばした瞬間に、崩れ落ちた。


「……あ、駄目かも」

 ――だって、美味しそうなんだもの。


 死ぬ前に再生が間に合ってしまったとはいえ、とつぐもまた同じような傷を負っていた。

 万力じみた力で抑えたとはいえ、内臓を貫かれている。人間離れした力さえなければ即死だ。胃が限界を超え、血を吐き戻す程度の致命傷なのだから。

 ――それをなんとかしてしまうだけの無法は、けして無から生まれているわけではない。

 膨大に摂取したカロリーを、おぞましい勢いで消費して治療に回しているのだ。

 確かに人並外れた力と五感を持つ。再生能力も他人の比ではない。それもそのはず、とつぐ本人からして純粋に人間と言えるわけではない。

 俗に『変化系』と呼ばれる異能群のうち、最上級の力を示す黄金の瞳の持ち主。

 その異能の名を、『鬼人侵食オウガトランス』。

 古来より忌子として扱われるという、神の力の生き写しである。


 忌まれる理由を、とつぐは既に心得ている。

 本来、人を食って生を繋ぐ種なのだ。それも、大量に。子どもであればまだしも――とつぐほど成熟してしまえば、一日に十人は食べないと保たない。

 だから、まず真っ先に殺される。放っておけば、血を分けた子に食い殺される。

 それだけならまだ幸運な部類で、最悪、我が子に村や街や国を滅ぼしかねないのだから。

「……つまみ食いなら、いいわよね?」

 答えるものは、どこにもいない。

 ぐず、と胸を抉る。たったの一時間前まで、どくどくと脈打っていた心臓を、ひょいとつまみ上げる。

 べたべたと手に血が付いた。ぽたぽたと垂れていく。服が汚れる。

 だがそれでも、この飢えに、耐えられない。

「いただきます」

 ぱくり。

 歯応えが良い。ぷりぷりと、いい抵抗感がある。それも噛みちぎってしまえばおしまいだが、しかし口で転がしていて楽しい。

 どくどくと流れ落ちた血は、甘露のように、上品な甘さだ。もっと若ければ、はっきりと甘いのだろうが……しかし、こういうのも嫌いではない。飢えていれば、なんでも美味しい……そんな魔法もかかっているかもしれないが。

「……どうしましょうね」

 ひと口、ふた口、ぺろりと食べてしまった。

 しかし、まだ足りない。

 目の前の死体は、既に腸が腐敗している。いくら知り合いとはいえ、大便がついているかもしれない肉は嫌だ。誰かが腑分けしてくれるのなら別だが。

「あ」

 ――おかしい。

 何か、やらなくちゃいけないことがあったはずなのに、思い出せない。頭がふわふわしている。

 そうだ、食べなくちゃ。どこで狩ればいいかしら。

 ぴんと耳をそばだてる。

 何か、わいわいがやがやと、近くでうるさくしている獲物がいた。人間がたくさんいる。何人かはわからない。

 ――ここか?

 いや、駄目だ。多すぎる。囲まれたら狩られる。酒の匂いもひどい。

 もっと、集中する。

 かちゃかちゃと、何か音を立てている。少しぼやくような声がする。

 人数は……三人くらいだろう。三人ならば、囲えはしない。背後を取られたところで、どうにかできる。

 ――ここだ。

「はあぁ……」

 力を入れる。

 バキバキと音を立て、肉が盛り上がる。骨が隆起し、視線が一つ高くなる。めきめきと角が生えてくる。

 重苦しい体が、軽い。

 これだ。これなら、いける。

 そうと決まれば、目的地まで一直線だ。めいいっぱいに踏み込んで、跳んだ。


「――あれ、今の音は?」

「音ォ?」

 いつの間にか絡み酒に来てしまった早川から逃げながら――しかし、その耳は、一つの音を聞いた。

 爆発音にも似た、轟音。どこかで聞き覚えのあるような、ないような、遠い音。

「気のせいだろ、こんな真っ昼間から。それよりなァ、あのお嬢とはどんな関係なんだ?」

「どんな、って言われましても。先輩ですよ?」

 まだ出会って二日目である。関係性など、客観的に見ればこの程度しかない。

 なんとなく笑っている姿にドキドキする、ということは言わないでおいた。

「ん、そりゃ残念だなァ……で、今どこにいるんだ?」

「たぶん、応接間に戻ったと思いますけど……」

 特に何も言っていなかったが、最後にちらりと見た時にはぱたりと扉をしめていた。

 何より、実地の調査をするのなら、やはり現場からだろう。

「……応接間、ねェ。獅子原の爺さんは、まァだそこで寝てんのか」

「寝て……あ、はい」

 流石に人前だからぼかしたのだろうと判断し、そう答える。

 もしかしたら、誰かが気を利かせて移動させたかもしれないが……しかし、それらしい人影は見かけなかったのでそのままだろう。

「よし坊主、よォく聞きつけた」

「はい?」

 ぽん、と頭を撫でられた。その拍子に目を瞑ってしまったので、顔を見ることは叶わなかった。

 紫の瞳が、ぽうと輝き――今にも、その異能を使わんという様を、確認することは。


「よくやったついでに、ちょっくら死んでこいや」

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