第20話 調査、開始

「それじゃあ、そろそろ真面目に調査しましょうか」

 ヤクザ二人の背を見送るや否や、とつぐが切り出した。


「……今まで真面目じゃなかったんですか!?」

「色々余計な事が出てきちゃったもの」

 事実、それどころではない状況だった。

 現在、獅子原の死から一時間程度しか経過していない。

 その間、成り行きとはいえ隠し金庫を見つけてみたり、陰謀の匂いを嗅ぎつけてしまったり、早川なる老人が駆けつけたり――てんてこ舞いのあれやこれやで、本題を見失いつつある。

「まぁ、それは確かにそうなんですけどぉ……」

 探偵の常道、聞き込みや手掛かり探しなどには、まったくと言っていいほど着手できていない。

 手口は派手だが、仕組み自体は単なる化学反応。本当に、誰でもできてしまう。

 誰か一人を選んで殺す、などというまどろっこしいことすらしていない。とつぐが何故か耐えてしまっただけで、本来は全員を殺す予定だった――というのは、いかに疎い咲良であっても見ればわかる。

「……誰が犯人なんでしょう?」

「それが簡単に分かったらいいんだけど」

「そうですね、確かに」

 誰かが犯人。それは間違いない。

 不幸な事故ではすまない死に様だった。犯人が誰かはさておき、並々ならぬ殺意を抱いているのだろう。

 それこそ、どう考えても無関係の咲良を巻き込むくらいには――そう、そこが問題だ。

「……あの、とつぐさん」

 くるくると頭を働かせる。

 今までの違和感を、繋ぎあわせ――一つ、凶器を、思い出す。

「なぁに」

「……なんであの時、『僕の分がこぼれた』って言ったんですか?」

「あぁ、それ?」

 本来であれば、恐らく獅子原あたりが何か言い出しそうだ。しかしその前に、ぽろりとそうこぼした。

 だから、何ら不自然なく咲良の分だけが運ばれていないのだ。

 それで命拾いしているのだから、文句は言えないのだが。

「わざとよ。あんたカタギ一般人じゃないの」

「えっ」


 そうなんですか、と意外そうな顔をした咲良を、じっと見据える。

 ――人の苦悩も知らないでぼんやりしていたのか、このチビ助。

「親御さんに怒られてもいやだし……あとが面倒だもの、あとが」

 咲良は知らないであろう指令に、とつぐは縛られている。

 所長と呼ぶ男に関しては、ことさら咲良を気に入っているようだった。

 元から子ども好きだと言っていたし、それが高じて大人を子ども扱いする人間だ。外見が幼児そのものである咲良のことは、特に庇護対象として見ているだろう。どう見ても戦いには精通していない部類だし、生物学的にも精通はしていない部類だ。流石に口に出すことは躊躇われるが。

 さて。

 そんな子が、極道に毒殺されました、などとほざいてみよう。

 間違いなく怒るし、泣く。それだけならいい。

 一通りの感情が収まれば、確実に実力行使に出るだろう。

 獅子原組、ひいては華狼会を丸ごと敵に回して、己が命が尽きるまで、目についた人間を殺し尽くす――そこまでは、概ね想像できた。

 そして非常に残念ながら、それができてしまう地盤も実力もある。

 そういう男だから下についている、という部分もあるのだが――今回に限っては、それが全てを面倒にしていた。

「そ、それだけですか?」

「当然じゃないの。毒の目利きくらい、自力でできるようになりなさい」

「そんな無茶な……」

 本人の泣き事とは裏腹だが、数回ほど死にかければ問題はないだろう――と、とつぐは見ている。

 そもそも五体大満足。かつ、子どもというのは色々と敏感にできているのだ。妙にぎらつく水面で、妙だと気づいている可能性とてある。

 事実、とつぐも大体そのくらいで見分けられるようになった。どうやら自宅の飯で毒殺されかかるというのは珍しいことのようなので、わざわざ他人に言いふらすことはないだけだ。

 ただそれでも、今回に関しては咲良の分だけ飲ませないようにしていた。それこそ、万が一を防ぐためだ。

「その調子じゃ、命がいくつあっても足りないわよ」

「物騒すぎませんか!?」

「事実だもの」

 咲良はぱちくりと目を見開かせ、豆鉄砲で撃たれたような顔をしている。流石に間抜け極まりないので、口は閉じさせた。


 現状、知るべきことは二つ。

 一つ、誰が獅子原を憎んでいるのか。

 一つ、誰があのアイスティーを仕込んだのか。

 手口、トリック、アリバイ、そういったものは何一つとして当てにならない。遠隔殺人など、並以上の戦闘経験を積めば誰にでもできる。

 最早、ハジキ短刀ドスだけが極道の武器じゃあない。最上の武器は、天に恵まれた、己自身の異能ちからだ。

 ――だが、感情おもいはどうだ。

 己自身の感情など、そう簡単に制御はできないものだ。

「さっきの説明で分かったわよね? この件、理屈責めはできないわ」

「はい」

 ましてやそれが、煮詰まった憎悪であればあるほど――なお、制御の効かないものとなる。

 泥の如く煮詰まった憎悪で頭は冴え渡り、完全犯罪を構築した。

「それにあたって、一つ頼みたい事があるのだけど……よくって?」

「はいっ。なんでもどうぞ!」

 故に、見誤った。

 そんなものが通じるほどお利口で頭のいい奴は、現在テレビに出演中。

 そんなものを真正面から解いてくれる真面目ちゃんは、今頃は警視庁でのんべんだらりとくだらない会議に出席している事だろう。

 残ったのは、心の機微をよく理解している人間が一人。

 そして、幼き頃より繰り広げられた権力闘争を勝ち上がった人間が、ここにいる。

「ちょっと、あそこで獅子原さんの思い出話に花を咲かせてきてくれる?」

 恐らく宴会場だろう。より多く人の気配がする部屋を、すっと指さした。

「はいっ……そ、それだけでいいんですか?」

「随分長いこと勤めてらしたから、みんな語りたいことの一つ二つはあるんじゃないかしら」

 ぽかんとしたような顔で見上げてきたが、そんなことはどうでもいい。

 とりあえずは前者。この組の、人間関係を探るところからだ。

 いくら上辺を取り繕ったところで、言動の端々から本音は漏れ出る。完全に感情を隠し通せるなどというのは、およそ人ならざる警戒心の持ち主による戯言。いわば神か化け物の言葉なので、あまり真に受けていいものではない。

 その該当者バケモノは、ここにいる中では早川のみ。そもそも彼は獅子原を殺す理由がないので、今回に関しては完全な味方である。

 ……仲間にしては胡散臭い顔をしているのは、この際さておくものとして。

「そうなんですか? わかりました!」

「じゃあ、楽しんでらっしゃいね」

 ぱたぱたと駆け出した背中を見送って、とつぐは一人現場に戻った。


「――その、お邪魔しますっ」

 とつぐが指さした先、ひときわ目立つ扉を押し開ける。

 ただ一室だけの和室は、通夜の如き沈痛な空気に包まれていた。まるで和気藹々としていない。

 ――どこに楽しいところがあるのかな、これ?

 とつぐが丸投げした頼み事の難しさに、本人へ文句をつけたくなった。

 最も、ここでとつぐ本人が出てきたところでさらに空気が重くなるだろう、というのはなんとなく理解できた。

 今なら間に合う。間違えましたとでも言って、踵を返してしまおうか。いやでも、とつぐさんからの頼み事だ。何より、たぶんこれも大事な調査の一環だし――小さな小さな身体で、逡巡する。

 だから、気づかなかった。

 最優先警戒対象と化した、油断ならない老紳士の存在に。

「おぉ、坊主じゃねェか。来い来い、酒でもやろうじゃねぇの」

「ふえっ?」

 声の方を向けば……ちょいちょい、と手招きをされていた。

 それも酒を勧めながら、である。確かに同年代の男子が憧れるものではあるが、見た目は幼児。大丈夫なのかこの人、と首を傾げる。

「早川さん、相手は子どもですよ……流石にまずいですって」

「固いこと言うなよォ、社会経験だっつうの」

 同じことを同じように疑ってくれたのだろう、金髪の男がそれを諌めた。

 確か、小田原の坊、と言われていただろうか。良識のある人がいてよかった、と少し胸を撫で下ろした。

カタギ一般人なんですって……サツ警察が動きます」

「んじゃ甘酒だ甘酒、アレならしょっぴかれねェだろ」

「……誰か買ってこい」

 恐らくは逆らえないのだろう。わざとらしくこめかみを抑えている。色々と振り回される身分のようだから、だいぶ大変そうだ。

「んじゃ、オレが行くっすよ!」

「お。甘酒忘れんなよー?」

「ちょっ、今それイジるのナシっすってー!」

 見れば、アイスティーの給仕で走り回っていた若い男が立候補している。

 やはりそそっかしいところがあるのか、周囲から囃し立てられていた。この調子なら、大丈夫だろうか。

 それでもなんとなく不安なので、彼の近くへちょこんと座った。

 なんとなく他の相手はそれなりに歳を重ねていそうなので、臆したというのもある。


 しれっと外堀を埋められていることには、気づかなかった。

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