第15話 極道、密談

「ふわぁー……」

 乱暴に開けられた扉をくぐると、そこは豪邸であった。

 より正確に言えば、極道の事務所の一角。一応の応接間と呼ばれる部類の部屋である。舐められたら殺してしまえホトトギスという理念の元に作られたその一室は、およそ絢爛豪華と言わざるを得ないものである。

 赤いカーペットに、ガラス張りのテーブル。その中央には、ガラスの灰皿がきれいに鎮座している。

 傷みひとつない、新品同様の革張りソファ。部屋の規模に合わせた、小さな小さな、しかし見事なシャンデリア。そして、その光を受けて輝く硝子ガラス細工の美しい花瓶。花こそ生けられていないが、しかしそれ単体でも十分に成立する美しさだ。

 何より、入ったその瞬間に分かる――金色の、大きな額縁に飾られた、見事な絵画。

「すごいですねっ!」

「そうかしら」

 まさしくお金持ちの豪邸。そんなイメージそのままの部屋に、咲良のテンションは跳ね上がった。

 何しろ、今の今までオンボロビルの一室しか見ていないのである。如何にもな高級感を前にすれば、否応なしに目がキラキラしてしまう。


「……まぁ、ずいぶん血気盛んだとは思うけど」

「ほぇ?」

 一方のとつぐはと言えば、凶器を物色していた。

 灰皿は空。花瓶も空。一般的な使途で用いられたことは、恐らく一度もない。こと花瓶に関しては、内側の痛みが少なすぎる。水を入れれば多少は付着するであろう、水垢の一つさえ見当たらない。

 なるほど、外見には如何にもな高級品だ。素人目ならば確実に誤魔化せる。多少知識があれど、なるほどバカラか、これは文化的極道だ……と切って捨てるだろう。

 だが――実際に高級なのか、その程度は見ればわかる。

 単なる模造品だ。値段も大したことはない。数千円すればいい方で、下手したら闇市で百円ぽっちで買い叩く代物である。

 それもそのはず。この手のちょうど握りやすい物は、咄嗟の際の鈍器によく使える。

 だから、普通は置かない。

 こと沸点が低い方の部類は、こういうものがあればまず使う。

 いわゆる切込隊長だとか、鉄砲玉だとか、そういう手合いにとっては定番の得物である。最も、とつぐの腕力では当の得物が自壊するので、流石に使ったことはないが。

「なんでもないわ。座っちゃいましょう」

「はいっ」

 ――まぁ、そんなことは気にしなくていい。

 取るに足らない極道トリビアの一つであって、恐らく実用されることはないだろう。何より、返り討ちにして墓の下に送ってやればそれで終わりだ。

 わざわざ脅すことでもないな、と判断した。


 そんなふうに、他愛もない話を数分ほど続けていると。

「……あぁ、申し訳ありません。お待たせしました」

 一人の老人が、入ってきた。

 覇気らしい覇気のない、しょぼくれた雰囲気さえ漂わせる冴えない老体だ。偉そうなサングラスを外し、皺が深く刻まれた目元が見えるせいで、余計にそう見える。淡く赤色に染まった瞳も手伝って、実年齢からは何歳もかけ離れているように見えた。

 最も、こんなところに来た以上はただの冴えないお爺さんではないのだろう――と、咲良は理解した。

「安心なさい、こっちも楽しくやってるから」

「あぁ……事情はあいつから聞いています」

 とつぐに軽く手で促されると、老人はそれを見計らったように下座へ着く。軽く、向かい合った相手を一瞥すると。

「そちらのお嬢さんは、初めてですな」

「えっ? あっ――」

「新入りなのよ」

 盛大な誤解と共に、和やかな密談が始まった。

「そうでしたか、お嬢様が……カタギで?」

「嫌でも関わるわよ。職場の後輩」

「では、園原さんのところの……」

 苦労人ですなぁ、と笑いかけられたので、まぁと軽く頷いた。

 それなりに親しい間柄なのだろうか、恐る恐るながらも話は弾んでいる。それでもどこか張り詰めたような空気の中で、咲良は声を出すことに罪悪感があった。

 話が途切れたタイミングを見計らい、とつぐに、こそこそと耳打ちする。

「……あの、このおじさんは?」

「あぁ」

 一種意外そうな、順当そうな、どちらともつかない返事をする。

 当然知る機会などないのはとつぐも分かっていたが、そこはそれ。最低限、目下だろうが相対した相手に恥をかかせない、という気配りくらいは持ち合わせている。

 とつぐが軽く目で合図をする。その意図にに気づいたのか、老人は軽く頷いて話し始めた。

華狼ファオラン直参じきさん獅子原ししのばら組の獅子原ししのばら冬樹とうきと申します。以後、お見知りおきを……」

「はいっ」

 ――華狼会とは関東一帯の極道の総本山であり、当然ながら日本最大級の極道組織である。

 中華マフィアを大元のルーツとする彼らは、数十年前に日本へと拠点を築き、その地位を瞬く間に確立。政治面にもかなり食い込んでいるほか、経済的にもそれなりな事業を成功させている。こと、政略結婚で『家族』の関係を結んだ家を辿れば、現在の日本総理や財閥の主がいるという有様だ。誰も無視できない程度に勢力を広げているが、今更どうしようもない程度にその影響は強くなりすぎている。

 唯一の救いはといえば、仁義や礼節というものを特に重んじ、大っぴらにカタギ俗世間との繋がりは持たない、比較的綺麗な組織であるということだけだった。

 三年前に代替わりが起こり、華狼かろうつるぎを会長としてからは、その勢力はさらに強くなっている。即ち、現時点で最も波に乗っている極道組織。当然、その直参ともなれば、並の極道よりもよっぽど勢力が大きいということになる。

 また、日本極道としてはかなり異色なことに、実子が代々会長の地位を受け継ぐという、超大規模な家族経営でもあった。


 最も。

 そんな裏事情を知るよしもない咲良からして見れば、『よく分からないけど、なんだか凄そう』程度の、素朴な感想を抱くのみにとどまった。

「あら、いい度胸じゃない。ねぇ組長さん」

「今や単なる老いぼれですよ。そう遠くないうちに、あいつに組は任せようかと……」

 へりくだって力のない笑みを浮かべている老人からは、そういった雰囲気を微塵も感じさせない。むしろ、若干の親しみやすさすらあった。

 それは概ね、とつぐに振り回されるもの同士という奇縁もあってのものだが。

「ふぅん、継がせるんだ?」

「先代にも今代にも、随分良くしてもらいましたのでなぁ」

「そぉ」

 とつぐの口角が、にまりと上がった。

 本来であれば、こんな話は表に出ない。少しでも噂があれば、それだけで荒れる。親しい仲であろうと、聞き出すのは不可能と言ってもいい。

 とつぐ自身の立場がかなり特殊なのもあるが、その辺りの目処も上手く立ったのだろう。

 新生獅子原組の船出は近い。果たしてどうなるか、その航路は未だ読めず――だが、それ故に面白い。

「どうなるのかしら、ね」

「はは。くれぐれも、礼儀は忘れぬように言い含めておきましょう」

 静かな笑い声が、応接間にこだまする。


「すいやせん、お待たせしました」

 その笑いも途切れたところで、ギィと扉が開かれた。

「机に置いといてくれや。歳取るとすぐに喉が渇くんだ」

「了解っす」

 どこかぎこちない言葉遣い。新品のスーツ。だが、それもなんとなく着られているような、まだ初々しい若者だ。そろりそろりと盆を置く動作も、なんとなく硬い。

 もしかしたら僕と同い年なのかもしれない。それならまだ仲良くなれるかな、あんまり同年代のお友達なんていなかったから――そう、少し期待した。

「あら。気が効くわねぇ、あなたが?」

「い、いやいやいやっ……オレはただ、運んでくれって言われただけっす」

 だが、話しかけられた瞬間にぼっと頬を赤らめた様子を見て、やっぱりそれはないなと思い直す。

 咲良は無意識に頬を膨らませ、口をとんがらせていた。向かいで人知れず笑いを堪える獅子原の存在も忘れ、完全に嫉妬をむき出しにしている。

 悲しいかな、外見が外見なので、どう頑張っても可愛らしいやきもち止まりにしか見られないのだが。


「……あら」

 そんな状況を知ってか知らずか、とつぐが手を滑らせた。ぱしゃん、と虚しい水音が響く。

 細長いグラスは、結露で滑りやすくなっていた。するりとトレーを抜け、一人分のアイスティーが、哀れにもカーペットに飲まれていく。

「大変だわ、咲良ちゃんの分が……」

「さーせんッすぐに貰ってきますんで!」

 若い男は、血相を変えて走り去った。

「おい、それより先に掃除を――」

 獅子原がそう言った頃には、もうとっくに影も形もない。

「活きのいい子じゃない」

「若いのがすいませんなぁ。どうもまだ、落ち着きが足らんようで」

「このくらいは気にしないわよ」

 もちろん、とつぐの服が無傷で済んでいて、奇跡的にとてつもなく上機嫌だったから――という、確率の大海原を乗り越えているが故の余裕だが。

 彼がそれを知ることは、なかった。


「……あの、こぼしたやつ、しれっと僕の分にしませんでしたか?」

「わたしも喉が渇いてたんだもの」

 そして、咲良は完全にお預けを食らっていた。

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