第13話 空へと、飛び出した

「行くわよ!」

「ふひゃあああああああああああ!?」


 さて。

 こんな悲鳴が上がってしまったのには、理由があった。

 屈辱的お漏らしにより、すっかり下半身の衣服を駄目にしてしまった咲良だったのだが――着替えが、なかったのである。

 それもそのはず。

 そもそも、子供服など昨日の今日で不自由なく用意できるものではない。元々着ていたものを、そのまま着ていただけである。

 だが、それに気づかなかった。咲良とて、当たり前のように服を着ていたからである。

 わざわざ意識しなければ、『服がない』ことなど忘れてしまうのだ。全裸で警察に追われている、という状況でもないので、なおさらである。


「うるさいわね」

「い、今はダメですってばぁー!」

 咲良も年頃の男子に変わりはないので、とつぐの前でフルチンを披露するという開き直りはできなかった。

 何せ、文字通りの子どもおちんちんである。笑われることもしばしばあるサイズ感。咲良の小さな手にも収まってしまうくらいの、かわいらしい主張しかできないおちんちんである。

 ただでさえお漏らしという大失態をやらかしているところにこのようなものを見せてしまえば、九割九分笑われてしまう。そうなればもう立ち直れない。一寸のおちんちんにも五分のプライドはあるのだ。

「だ、大体っ……な、なんで急にお部屋に入ってくるんですかぁ!?」

「善を急ぐからよ」

「理由になってませんよぉ!?」

 急いで服の裾をひっつかみ、伸ばして隠そうとした。だが、ぴったりサイズのブラウスである。伸びるわけがない。咲良は初めて、己のファッションセンスが中身相応であることを恨んだ。

「立派な理由じゃないの。うちは探偵事務所でわたしは探偵よ、フルチンの一つ二つでピーピー泣かないで」

「ぜ、善より優先されるべきものがあると思います! プライバシーとか!」

「そんなものはないわ」

 理不尽であった。

「大体、服がないんなら貸すわよ。無駄に余ってるんだし」

「本当ですかっ!」

 だが、この時初めて、咲良はとつぐの優しさを知った。正直めんどくさいしさっさと黙らせたい、という本心までは知らなかったが。

「持ってくるから、そこで待ってなさい」


 そして。

 大人サイズのズボンなど、まともに履けるわけがないということを失念し。

 とつぐはズボンが死ぬほど嫌いということを知らず。

 下着にしたって、そもそも貸すわけないという理屈をど忘れして――このときばかりは、気まぐれな善意に感謝した。


「高校の制服持ってきたわ、着替えなさい」

 その一言と、セーラー服が来るまでは。


「……あのぉ」

「何よ。一番小さいのがそれなのよ」

 私立サンタマリエール女学院、と小さく刺繍がなされたセーラー服だ。サスペンダーのついたスカートと白のセーラー服。その上からボレロを羽織る、制服としては非常に上品な部類である。

 現に、この高校は私立校の中でもとりわけ金のかかる、いわばお嬢様学校だ。制服一つとっても、かなり気品のあるものに仕上がっている。女子の憧れの一つである。

 しかし。

「僕は、男なんですが」

 性別の壁が存在した。

 ズボンならばさておき、スカートである。制服それそのものも、かなりお嬢様然としたもの。どう足掻いても言い訳は効かない、完全に女装である。

「男物なんてないわよ。嫌なら全裸で連れ回すわ」

 そして、最低最悪の二択がここに爆誕した。

「……着替えます」

 最も、それなりに羞恥心や常識のある人間にとっては、実質上の一択であった。


 やや古びた埃の匂いがする制服へ、袖を通す。

 セーラー服それそのものはかなりゆるめに作られていて、動きを阻害することはない。ボレロも然りだ。当然スポーツには向いていないだろうが、多少の日常動作ならば阻まれることはない。咲良としては悔しいことに、とても快適な作りである。

 当然、ここまでは問題なく着替えられた。

「……その、これってどうやって履くんですか?」

 だが、サスペンダーやスカートには馴染みがなかった。

 むしろ、なくて当然の知識とも言えた。咲良に女装癖は存在しない。少なくとも、今この瞬間においては。

「普通に履くのよ」

「『普通』が分かりません……」

 そもそも咲良にスカートの着用経験はない。誰かが履いていたのは見たことがある、そういうぼんやりした記憶くらいのものだ。

「そのくらい常識でしょうが」

「お、怒られなきゃいけないんですか……?」

 一方のとつぐとしては、三年間付き合ってきた制服である。

 ましてや女所帯の探偵事務所。とりあえず、誰でもスカートくらいは履けるという無意識下での前提はあるのだ。

「ほら、履かせてやるから。次はないわよ」

「次なんてなくていいですよぉ!」

 サスペンダーを短くし、肩に引っ掛ける。それでもだぼだぼだが、肩で吊っている分、なんとかずり落ちることはなさそうだ。

 とつぐはそう見込み、とりあえずは大丈夫か、と呟く。

「じゃ、足突っ込んで」

「……」

 咲良は、嫌々ながら、そろそろとスカートの穴へ足を入れる。

 股間のあれやこれやが見えてしまわないか……とも思ったが、幸いにして長い長いセーラー服の裾が覆い隠してくれた。


「はい、オッケー。結構行けるじゃないの」

 申し訳程度のホックを留めて、着替えは概ね終わった。

 未だ精通どころか声変わりも来ない、それどころか成長期のせの字さえ早すぎる身体には些か大きすぎたが――それでも、違和感らしい違和感はない。

 少しだけ流行りに乗った、マッシュルームカット風の髪型も相まって、ちょっぴりおしゃまなお嬢様くらいで済ませられるだろう。フリルやピンク一辺倒というわけでもない、だけどもお姫様とかお嬢様にはなってみたい、そういうよくある時期の女の子として。

 だが、それは見た目での話だ。

 着用者本人には、違和感だらけの箇所がある。

「……あの、その、パンツは?」

「貸すわけないでしょ」

 そう、咲良は今の今まで、パンツに足を通していない。即ちノーパンである。

「そ、そこをどうにか……すーすーして、変な感じがしてぇ……」

 そういうこともあって、足をもじもじさせ続けていた。多少長いとはいえ、かなり心許ない布であることに変わりはない。うっかり風が吹いて、いたずらな裾がちらりとでもすれば、その瞬間にバレてしまう。

「ないわよ、そんな都合良く。昨日洗濯したばっかだし」

「あうぅ……」

 即ち、ノーパン女装としか言いようのない状態であった。

 ほんの少し動くだけで、少しざらついた布地が容赦なく責め立てる。つつぅ、ざらり、と引っかかるような感触は、咲良には刺激が強すぎた。

 そうとは意識しなくとも、勝手にいやらしい気分になってしまう。刺激から逃げようと、腰が勝手に引ける。


「じゃ、気を取り直して。行くわよ」

 その快楽を知ってか知らずか、とつぐは咲良を背負い上げた。足まわりのストレッチを軽く行う。

「……どこに、ですか?」

 一体何をしているんだろう、と首を傾げながら、咲良はそう尋ねた。

 どこかに行くことは分かっていても、そのどこかは告げられていない。目的が何かも、よく分かっていないという惨状である。

 とつぐは、あぁそうねぇ、と軽く応えた。

「強いて言うのなら――善行に、かしらね」

「はぁ」

 咲良は、未だ腑に落ちていないような顔をしたが――やがてそれは、目を見開いた、恐怖に変わった。

 窓を強引に開け、すっと足をかけたからである。

「あの、ここ窓ですよ。落ちたら死んじゃ――」

「これが一番早いのよ。しっかり掴まってなさいね」

 咲良の制止が、聞き入れられることはない。低い姿勢のまま、ぐっ、と足で強く握り込む。その力に耐えきれず、サッシがギチギチと音を立てて歪んだ。

「はッ!」

 ダァンッ。

 爆発的なエネルギーが足に込められ――弾丸の如く、その肉体を射出する。


 この時、咲良は、生まれて初めて空を跳んだ。

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