第11話 ヤクザ、フルボッコにされた

 かくして、玲奈からの電話を切り上げた咲良であったが――。


「お客さん、来ませんね?」

「そんなに物騒なのは嫌よ、純粋に」

「まぁ、働けるような人はみんな働きに出ているからねぇ」


 閑古鳥が力一杯に喉を枯らすまで鳴いている、そういう探偵事務所であった。

 一体どうやって採算を取っているのだろうか。咲良は首を傾げる。

「……あの、宣伝とかはしないんですか?」

「私が死なない程度にやってもらっているよ」

 忙しくて死んじゃったら、それこそ元も子もないし――と、男が続ける。まだ顔色が戻りきっていないせいもあって、妙に説得力のある言葉として耳に残った。

「……それに、知名度ばっかり上がってもねぇ」

「月夜ばかりと思わないで、って言うじゃない」

 はて、探偵という仕事はそんなに物騒なのだろうか、と咲良は首を傾げた。

 閑古鳥が鳴いているのはさておき、『ふつうの探偵』はそんなに危ない目に遭うはずがない。浮気調査とか泥棒対策とかが精々じゃないのかな、フィクションじゃあるまいし――と、そう思っていた。

「まぁ、じきに分かるわよ。そろそろ頃合いよね」

「そうだねぇ。そこにいるからねぇ」

 はてな。

 どうにも自分には理解できない、とても高次元の話をしているようだ。そこまでは理解して、咲良は理解をやめた。

 事実、男は既に扉向こうからの気配を捉え、悟られない程度の臨戦態勢に入っていた。とつぐは事務所の外で話す声を捉えている。玲奈がいたとしても、概ね同じような理由で察知しているだろう。

 どうせ鹿威ししおどしのようなものだし、退屈はしないからいい。運次第では臨時収入になる。

 それらが彼らの、否、この事務所における共通見解となっているだけである。


「オラアアアアァーッショバ代寄越せやーッ!」

 ドアがひしゃげ、蹴破られる。それを合図に、わらわらと人相の悪い男が数人、なだれかかる。

「稼いでんのは分かってんだぞーッ! テメェらこの前サツと組んでやがったなぁあああ!?」

「そーだそーだァテメェらだけ特別が通ると思うなよおおおおおォ!?」

 果たして一体どこから情報が入っているのか、的確な怒号である。


 圧倒的な威圧感に、咲良の身はすくみ上がった。へぅ、ふぇ、と意味のない言葉を口走るだけである。

 当然ながら、このような荒事に慣れていないので、無理なからぬ事である。


「あぁ、修理代とか結構高いのに……」

「そろそろ大家にキレられそうよね。身内だからいいけど」

 一方の大人二人はといえば、物的被害を心配していた。

 ご友人特別価格でこの手の修理に預かっていたが、月に一度はこのようにして破壊されるのである。いい加減扉にジュラルミンとダイヤモンドを仕込むぞ、と凄まれる頻度だ。

 何より、特別価格だろうがそんな頻度で修理をすれば普通に赤字である。文句の一つも言いたくなるものである。


「ああァ!? おいなにぺちゃくちゃやってんだテメエらはよおおおぉ!」

 だが、その余裕は、挑発と取られた。

「金だよ金ェ! 誠意ってもんはねぇのかテメエらにはよぉおおおおお!?」

「あらあら。なにに対する誠意なのかしらねぇ」

 半ば呆れたような、ため息まじりの反論。

 とつぐはここで、ようやく相手を視界に入れた。

 なるほど、いかにも小物である。鉄砲玉未満の木端、玲奈風に言えばイキりヤクザ太郎。

 大方、どこかで焚き付けられたのだろう。見た目から強い人間が不在の今、ある意味ではここがチャンスとも取れる。

 最も、外見が強ければ強い、とは言い切れないこの世界では、単に己の低脳クソバカっぷりを露呈しているだけだ。

「そりゃあお前、こうしてオレらのおかげで繁盛しちまったんだからよぉおおおおお!」

「あら、業務妨害の間違いじゃなくて?」

 よって、非常にどうでもいい人間である。

 わざわざ強い人間の手を煩わせるまでもない、そう判断した。手をすっと振り、制止する。

 こういう人間が何に怒るかは、よく理解できている。

 正論と、弱そうなヤツがいっちょ前に口を出すこと。

 チンピラ、半グレ、ヤクザの木っ端構成員というのは、得てして義務教育完遂すら怪しい低脳である為――こうして、仲間の前で恥をかく行為にキレる。

「うるせぇなぁ!? 行き遅れ女アラサーのくせにィ、いっちょ前に口だけデカくしやがってよぉ!」

 まさしく、このように。

 最も、流石に歳を真っ向から侮蔑されては、とつぐとてカチンとは来る。玲奈のように常温突沸は起こさないというだけで、わりあい堪忍袋の緒は切れやすいのだ。

「行き遅れは余計よ、行き遅れは。わたし以上の奴がいるんだし」

 そして、この場合は全く無関係の男に流れ弾が飛んでいった。

「ギャーッハッハハッハァ! 図星なんだろ、大人しく謝るんならオレのメスにしてやってもいいんだぜぇ!?」

「そーだそーだァ、数で負けてんだからなああああぁ!」


 ぷちん、と堪忍袋の緒が切れた。


 べきゃり。

 骨の破砕こわれる音が、蹂躙の端緒である。

 目の前にあった無防備な腕を、ただ握り潰す。べきぼきと骨が折れ、ただそれだけで簡単にぐにゃりと曲がった。

「ひ……」

 息を呑むような、声にさえならぬそれ。

 あまりにも突然のことで、悲鳴を上げる猶予さえない。数瞬前までは確かに己の意思で動いていたものが、あちらこちらへ、何一つの秩序もなく折れ曲がる。

「……あぁ、弱いわね」

 諦観を呟く。

 最早、腕の原型がなくなったところで解放した。これ以上の苦痛は慣れてしまうから、面白くない。ヒィヒィと呼吸を整え、恐怖に目を見開いた顔を、捉える。

「……あ、あぁ……いやだ、たすけて……」

「あら、心外ね。腕が一本使えなくなっただけじゃない」

 ただそれだけ。

 少し前髪を切ったのと同じくらいの事。

 わたしとの戦いにおいて、五体満足など有り得ないのに――どうして、その程度で命乞いをするのだろう。

「ば、ばけもの……」

「悪かったわね、まだ人間なのよ」

 痛みに立ち上がることすらできない、哀れな男。先ほどまでとんだ大口を叩いていたにも関わらず、この有様だ。

 生かす価値もない。そう判断した。


 頭を狙い、踏み潰す。

 べきべきべきべき。

 軽快な音を立てて、肉体からだが潰れた。血肉があちこちに飛び散る。

 人間たべものを粗末にするなんて、少しもったいない。だが、これは持つ者の特権でもある。ぴくぴくと痙攣する肉塊を、じっと見つめた。

 まぁきれい、と口走るのを。血と脳漿に加えて、己の唾液が飛び散るのを――流石にそれは、と抑えた。

 淑女レディーとして、人前で食欲を顕わにするのは、避けるべき事なのだから。


「あぁ、そうだ。そこのゴミ虫ども」

 どろりとした瞳が、哀れな男どもを捉えた。

 殺意こそないが、冷酷な色をしている。

 彼女は、何一つ本気を出さずして人間を破壊した。返り血に塗れたワンピースは、蛍光灯の光を受けて、てらてらとぬめり輝いている。

 怪物に魅入られた、哀れな犠牲者。逃げることすらできないのが、彼らにとっての不幸だ。すでに虐殺の意欲を満たしたとつぐにとって、ただの人間など木偶の坊に過ぎない。

 だから、おもむろに、哀れな男達へと歩み寄った。

「この肉を持ち帰って――あなたの知る、一番偉い人間に伝えなさい」

 べきり。

 壁がひび割れた。むちむちと程よく女らしさのある肢体を、惜しげもなく見せつける。

、って」

 そう軽く囁いて、脚をどけた。


 言うまでもない事だが――男達は、逃げるように帰っていった。


「ふえぇ……」

 その一部始終を見ていたのは、咲良とて同じである。

 まるで現実離れした、しかしむせかえるような鉄臭さにまみれた現実を、理解しきれていなかった。おぞましい地獄絵図に粗相してしまうほどである。ソファーには黄金の大海が描かれた。

 何しろ、物騒な出来事とはあまりにも無縁だったのだ。そんなものに直面して、未だ正気を保っているだけでも奇跡である。泣きじゃくる程の余裕さえ、失われていたのだから。


 されど。

 とつぐが何かを我慢していたのは、かろうじて理解できていた。

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