第7話 自己紹介、してなかった
「それじゃあ」
ひととおりの食事が終わり、酒も全て底をついた頃合いを見計らって、男が声を上げた。
それぞれの瞳が、じろりと一点を向く。
「……今から咲良くんに紹介するから、好きなことしてていいよ」
自己紹介を、という段取りは一瞬にして瓦解した。
気が乗っていればこの上なくノリノリでやり始めるところだが、一番の楽しみを早々に奪ってしまっている。だからと言って殺気の乗った視線を向けられるのは、それなりに堪えるものがあった。
最も、明日か明後日になれば別の
「えぇっとね。まず、あの桜色の髪の女の子だね」
女の子とは口が裂けても言えない
「あの子は、
「はい……えぇっと、花桐さん」
咲良は、改めて向き直る。
「とつぐ、でいいわよ。妹いるし」
一方のとつぐも、声の主を捉えた。顔を向けることはなかったが、その視界にはばっちり愛くるしい姿が映っている。
「そうなんですか?」
「今は……なんかいないのよ」
酒暴力性欲を極めた
「なんでだっけ」
「咲良さんの件で、警察と交渉中です」
……もしかしたら、ものすごくかわいそうな人かもしれない、と考えを改めた。
姉のやりたい放題に手を焼き、各方面へ謝罪行脚に行かされた可能性だってある。むしろそちらの方が説得力があった。だとすれば、気が合いそうだ――そう、考える。
「……その人、いつ頃帰ってくるんですか?」
「来週だって」
あぁ良かった、とため息が漏れる。
目覚めてこの方、真人間が一人しかいないという惨状に置かれているのだ。咲良は既に、まともであることに飢えていた。水を飲んだと思ったら海水だった、そういう状況なのだ。あまりにも強すぎる個性のアクを真正面から受け止めた弊害である。
「……」
その様を、真意を、とつぐはしっかりと目に焼き付けていた。
当然、『その時』が来たら全力で笑い飛ばすためである。
「それで、こっちが……」
「
怠くなるような声から一転、目が回るほどの早口が飛んできた。
そして、奇しくも咲良と同い年である。それでも、見上げてようやく顔が見えるような状況だ。都会の女子は恐ろしい、そう思った。しかしそれ以前に、引っ掛かるところがあった。
「あの、クリスタルプロダクションって?」
「おっきな芸能事務所だよ。テレビに出るようなアイドルとか、役者さんとかの……元締め?」
千代野原はテレビもラジオもないような集落故、芸能については恐ろしく疎かった……が、それでもなんとなく、凄そうということは理解できた。
即ち、都会っぽいからである。都会とは万能であった。
「……すごい人なんですね!」
「はい」
照れや謙遜の一つも入ることのない、迅速にして純粋な肯定で応える。
都会の高校生はとても凄い、という妙な偏見を抱くことになったが、そんなことはつゆ知らず。むしろ目の前の玲奈が例外である、という考えに及ぶことはなかった。
「国立飛鳥大学を首席卒業、そのまま大学院まで出ておりますからね。頭も冴える美少女アイドルです」
そして、特大の矛盾をぶちかました。
「だ、大学院も! ……あれ?」
咲良も、流石にこれには違和感を覚えた。
いくら都会が万能とはいえ、時空が歪むことはない筈である。即ち。
「あの、実際はおいくつなんですか……?」
「うーん聞き取れませんね。そのコメントには都合が悪い単語しか含まれておりません」
このアイドルは、盛大にサバを読んでいた。
日本において飛び級が認められた特例はあるのだが、玲奈は性根が最悪の側である。どうせ同じ学校に在籍するなら、同学年に対して圧倒的知能でイキり、自分以下の人間を理解らせるのが正義であった。即ちストレート卒業であり、どう頑張っても二十歳は超えていることになる。
「わたしの知る限り、十年前から十七歳院卒なのよね」
そして、背後からも撃たれた。
とつぐは芸能的な意味では一般人なので、必死こいてサバを読むその心理は理解できない。玲奈は上背こそ恵まれた部類だが、充分に小学校高学年で通せる童顔だった。多少アラフォーだと白状したところで、別にそう問題はないと思っているのだ。むしろ箔が付いていい事ずくめ。何故舐められるような真似をしているのか、理解できない。
普段であれば、十七歳としておかないと問答無用で昇竜拳により気絶させられるのだが……この場合は別であった。
最もそれは、いたいけな少年が騙されているのを見過ごせない……という殊勝な理由ではなく、発端である咲良を生贄にして玲奈を弄り倒せるからである。
何も性根が最悪なのは玲奈だけではなかった。
「……最低でもとつぐくんと同い年かそれ以上だけど、まぁねぇ……」
そして、全方面への焦土作戦が執り行われた。そもそも社会的に命を握っている立場なので、当然ながら一応の実年齢は把握しているのだ。
ちなみにとつぐは現在アラサーであることもしっかり把握していた。
「無粋な方々ですねぇ。雅の一つも解さないんですか? 特にそこの淫乱ピンク」
玲奈、キレた。完全に自爆からの逆ギレであった。流れるように勝てそうな相手に喧嘩を売るのは最早日常である。
「言ったわね、表に出なさいこの年増。二度と産めない体にするわ」
そしてとつぐも手が早い部類であった。舐められたらその瞬間に
「辞世の句を用意なさるとは、生意気に知能を進化しくさってからに。いいですよ、ご希望通りに
指の骨を鳴らす音が響き渡る。最早こうなれば向かうところ敵なしである。
「まぁまぁ……一回落ち着いて。いきなり暴力で解決するのはいけないよ」
何かを諦めきったような常識的な静止だろうが。
「そうです! 痛いのはだめですよ!」
涙を浮かべた情への訴えかけだろうが。
「うるせぇですね、外野はお黙りくださいまし。あなた方から殺りますよ」
「まったくよね。義務教育で習ってないのかしら、決闘を邪魔しちゃいけないことくらい」
斜め上からの怒号と気迫で、全て黙らせて捻じ伏せたのであった。
「……いつもあんなだから、あんまり気にしないでね?」
そうして、親子ほどの歳の差がある男二人が残された。
「そ、そうなんですか……」
咲良は困惑するばかりであった。
そもそも女子は殴り合いで雌雄を決するような野生的生命体ではない、と思っていた。多少お転婆だとかそういう気質はあるにしても、日常的にキレてはその度に暴力で渡り合っていては身が持たない。そういう認識であった。
「喧嘩するほど仲がいいんだよ、たぶん」
「えぇ……」
どう考えても仲が悪くなる暴言が飛び出していたのに、と言いかけてやめた。眼前の男も、決してまともな部類ではない気がしてきたからである。
「もう夜も遅いから、一緒におねんねしようか」
にこり、と微笑みながらの提案を、しかしどうにか拒む。
「ちゃ、ちゃんと一人で寝れますから!」
「そう?」
というか五歳の男の子もあんまり親と一緒に寝ないと思います、という言葉は飲み込んだ。忘れられがちだが十七歳である。
「はいっ、大人ですから!」
「そっかぁ」
ほんの少し、悲しげな顔をするものの――咲良は、それに気づくことはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます