第4話 この男児、高校生だった

 そうして、和やかな昼食が終わった後のこと。

 早々にとつぐに首根っこを掴まれて、子猫のように咲良が連れられた先は、こじんまりとした事務所であった。整然と並べられた調度品は、見るからにぼろけている。

「あんまりいい気分じゃないと思うんだけども、適当に座っていいからね」

「はいっ」

 ソファのあんまり綿の見えないところを見繕い、よいしょとよじ登る。見た目通り、なかなかの年季ものだ。見た目に反して、随分と硬い。何より、縫い目が裂けてしまっている。

「これもお仕事だからね。ぼくのお名前、教えてくれる?」

「えぇっと、風吹咲良っていいます!」

 そっかぁ、と言いながら、彼はさらさらとペンを走らせていく。その横では、どういうわけかついてきていた玲奈が、真新しいノートパソコンのキーボードを叩いていた。

「男の子なのかな、珍しいお名前だね。いくつになったのかな?」

「はいっ、十七歳です!」

 またしても、さらさらとペンを――走らせる手が、止まった。

「えっ……えっ?」

 続いて、困惑の声が上がる。

 咲良は、こてん、と首を傾げた。

 ぱっちりと開いた目は、疑い一つなく玲奈達の方を見つめている。何故止まったのか、その理由もわからない。

 しかし、対面する大人達にとってはそうもいかなかった。

「……じゅ、十七歳?」

「はいっ」

 それもそのはず。

 目の前の少年、風吹咲良は――わずかに五歳を迎えたばかりの幼児、そのものの姿をしているのだから。


 そこから始まったのは、地獄のごとき知能テストであった。

 いちたすいちに始まって、簡単な四則演算ができると判断されるや否や、フーリエ解析やら微分積分やら挙げ句の果てにはリーマン予想まで出題される。どう考えても十七歳の人間は高校生レベルの頭脳しか持っていないであろう、ということは出題者の脳にはない。

 それもそのはず、明らかに難易度を跳ね上げはじめた出題者クソバカは玲奈だった。温情という言葉は、彼女の辞書には存在しない。

「では次の問題です。シェルピンスキー数のうち最小の」

「も、もう分かりません!」

「現在未解明です。ギアを一つ上げていきますよッ」

 こうなった玲奈を止める術は、物理で黙らせる以外には存在しない。

 そして当の咲良にしろ男にしろ、見た目通りに非力であった。まずもって上背ですら勝てない。子どもは大人に勝てないし、大人も病人である。健康の差で子どもに勝てるかすら怪しい。

 男女の筋肉差という真っ当な理屈は、この建物内には存在しない。デカい方が強いしメシを食う方がもっと強い、非常にシンプルな野生だけが通用するのである。

 その為、無意味だと分かっていても言葉での説得を試みるしかない。のだが。

「……ねぇ玲奈くん、もうその辺でいいと思うのだけど」

理解わからせます」

 この一点張りであった。

「次は古典、源氏物語は雲隠より」

「存在しない本じゃないですかぁ!」

 なお、咲良は軽く涙目になっていた。

 最早知能テストの体すらなしていない、どころか恐らく真っ当な大人の九割以上が解けないであろう問題を矢継ぎ早に繰り出されるのだ。これはもう単なる理不尽、知識への暴虐である。

「よく見破りましたね、では次――」

「も、もう降参ですからぁーっ!」


 約一名の仕業により過熱する場を諫めたのは、ほんの少しだけその場を離れていた桜髪である。

 うるさい、という至極真っ当な叱咤とともに飛んできた膝蹴りが喉に入ったことにより玲奈は一撃でダウン。ぐるりと白目を剥いて気絶した。

「で、ネタは上がったわけ?」

 ソファでのびている身体を椅子がわりに座り、ウイスキーの香りを漂わせながら質問する。

「一通り、記憶に問題はないみたい。受け答えもしっかりしているよ」

 そう答えた男は、どういうわけか咲良を抱きかかえてあやしている様子だった。あやされている本人は、瞳に大粒の涙を溜めている。もう少しつつけば、今にも泣き出してしまいそうな顔だ。嗜虐欲がくすぐられるが、そこをぐっと堪える。

 とつぐとて話の内容まで詮索するつもりはなかったが、概ね何が起こったかは自明であった。

「ふぅん」

「あとは、どういう経緯でああなったか……なんだけどもね」

 途中からは玲奈のマウントに利用されていたが、そもそもこれはれっきとした仕事である。

 誘拐されたとおぼわしき少年の身元を明かし、できれば親元に返す。無理ならば、何か別の手を考える。

 本来警察の領分である仕事だが、とつぐの癇癪によってそこまで手が回らなくなってしまった。そこで無茶を通した、という形になる。もちろん形式上の話だし、本来ならば有無を言わさず施設送りにされるのだが。

「この様子じゃあ、ねぇ……」

「まぁそうね。警察からはなんて?」

「それがねぇ。気づいたのはそっちだから分からない、って」

 ――嘘じゃない、か。

 そも、あの大捕物で全員完膚なきまでにのされているのだが……とつぐ達が追い回して撲殺一歩手前にしていたのは、元々銀行強盗グループだったものだ。誘拐というまだるっこしい手を使うくらいなら、そのまま銀行で大金をかっぱらった方が早い。そういう素晴らしいバカである。

 そして、昨今のチンピラと呼ばれる部類の人間は概ねこういう手合いであった。

「使えないわねぇ」

「まぁ、無理もないかもしれないね。脱獄の捕縛に行っていたんだから」

 そう。

 そもそも、アレは脱獄犯だ。どう考えても途中で子どもが生えてくる道理はない。仮につくしの如くにょきにょき生えてきたとしても、精々ガムテ巻きにされるくらいであろう。毛布で厳重に包み込む時間も意味もない。

 じゃあなんでそこにいたんだ、と問われれば、知らないわよそんなのと言う他ないのだ。そもそも見つけた張本人は今しがた気絶させてしまった。そして現在はものの見事にとつぐ専用肉クッションの役目を果たしている。若干細身すぎるので、クッションとしては最悪だが。


「じゃあ、改めて尋問しましょうか」

 よって、これしか打つ手はない――そう、とつぐは判断した。

「じんもん!?」

 咲良の体がびくりと跳ねた。明らかに物々しい言葉に反応したのだろう。一体どこのおぼっちゃんなのかしら、という言葉が喉まで出かかっていたが、すんでのところで飲み込んだ。

「そんなに物騒なものじゃないよ。咲良くんのお話を聞くだけだからね」

 素直に話さないようならば間髪入れずに拷問する予定だけど――と口に馴染んだ脅し文句を紡ごうとしたが、男の視線に牽制される。切れ長の眼に孕んだ殺意は、ただそれだけでとつぐの身を脅かすものだ。なんともおっかない母性本能である。こうなれば病弱パワーで常に手負いの母熊、いやそれよりも強いだろう。

 仕方ないので、かわりに軽く肩をすくめておいた。

 ――あぁまったく、たかだか数時間で随分懐いたんだから。

 そんな言葉もついでに毒づこうとしたが、面倒臭いことになるのは火を見るよりも明らかだった。

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