第3話 そして、異能を理解した
もりもりと消えていく唐揚げを傍目に、少女は満足げな顔でキッチンへと戻っていった。
女はそれに目もくれず、鬼気迫る勢いで肉を食い尽くし、米を平らげる。酒は最初の数秒で既にすっからかんになってしまっていた。先の気品はどこへやら、飢えた獣のようにがつがつと食べていく。それでいて、けして食い散らかすということはなく、全てしっかりと胃に収まっていた。
「昼食、整いました。各々方、食べられるだけよそってくださいまし」
そうして、本来の昼食が出る頃には、元の皿は綺麗さっぱり空になっていた。
「あ、あのぉ……」
咲良は、困惑していた。
眼前での暴食もさることながら、さも日常のように流されるあり得ない風景の数々。まるで魔法のような奇跡に、圧倒されるばかりであった。
「なんですか。唐揚げはさっき食べたでしょ」
「まったくよね、食い意地張っちゃって」
「一つとして食べれてないですけど、そうじゃなくて!」
現に、今も宙に浮いた皿とお玉が勝手に配膳をしている。トーストはひとりでに皿の上へ乗り、その皿も文字通り足が生えて元気よくテーブルまで飛び跳ねていった。まるで映画のようだ。この光景だけでも卒倒しそうなものだが、既にめちゃくちゃな光景ばかり見せられていたせいで、咲良は麻痺しつつあった。
「なんで色々勝手に動いているんですか!? さっきもどこからかご飯が出てきたし!」
最早、悲痛な叫びであった。都会だからそういうもの、で済ませるには、常識の遥か彼方、いっそ白昼夢か何かで済ませたい事ばかりだった。
「あ、そっち?」
一方の女二人は、虚を突かれていた。
「……玲奈ちゃん、この子って石器時代産の原始人だったりしない?」
「ありうるオブザイヤー殿堂入りですね」
彼女にとっては、それが連綿と続く常識だ。どうして虹は七色で、空や海は青い色をしているのか、と聞かれるようなものだった。
そして、それら二つのように確固たる答えがあった。
「まさか、今どき『異能』をご存知でないとか……ないですよね?」
その解答とは、即ち異能。
物理法則や化学法則と並列して存在し、人類種が例外なく保有する能力を――この世界では『異質能力』、略して異能と呼ぶ。
「まぁ、当然個人差はあるんですけど――大体、どんな方でも一つか二つは持っていますよ」
玲奈がパチンと指を弾くや否や、どこからかピキリと音がする。
「例えばこんなふうに、超高性能エアコンを作ってみたりとか」
次の瞬間、咲良の頭の上に雪が積もり始めた。小さな雪雲がふよふよと頭上を漂う。手で払っても、どこかに消え去る気配はなかった。
「雪じゃないですかっ!」
「天然ですよ。それとも、夏の方がお好みでしたか?」
パチン、という音とともに雪が止む。それとともに、熱風が頭を刺した。
咲良が恐る恐る見上げると、そこにはさんさんと輝く太陽があった。
「……太陽!?」
「人体に無害な濃度でクリーンエネルギーを放出する擬似太陽です、非常にエコロジーですね。理論は割愛します」
少女は非常に事務的な微笑みを浮かべ、太陽を自らの手元へと転移させる。赤く変色したそれを突っつき回しながら、話へと戻った。
「一般的な太陽の寿命としては一分もありません。熱源としては、白色矮星にした方が効率的ですからね」
その言葉の通り、程なくして白変する。
「体感していただいた通り、この程度のことでしたら人類の範疇で可能です。前提として、人為的に核融合を起こす知識は必要ですが……」
きゅっと握り込むと、先までの太陽は手品のように消えてなくなってしまった。ひらひらと開いて見せた手には、どこにも太陽を創り出した痕跡はない。
「ご理解いただけましたか?」
「……はい!」
そして当の咲良はと言えば、説明のスケールが大きすぎて途中で思考停止していた。
「で、なにか分かった?」
「凄いことはわかりました!」
長話になると見た瞬間に寸胴鍋ごとかっ食らっていたとつぐに至っては、宇宙にも異能にも人類の可能性にも興味がなかった。
「実験においては超絶高コストですからね。予算削減的な意味では凄いですよ」
「もうちょっと派手なのになさいよ」
すっかり空になった寸胴鍋を丁寧に置き、優雅に口元を拭く。そこに凶悪な暴食魔の面影はなく、所業さえ鑑みなければ優雅な令嬢そのものであった。呆れたようなため息をつき、口を開く。
「大体、普通の奴に核がどうこうなんてできるわけないでしょ」
「そうなんですか?」
とつぐの発言は事実であった。
確かに、人間の手で近いことを行うのは不可能ではない。過去にも例は残っている。
しかしそれは、一般人と言い切れるかも怪しいような高度な教養を身につけ、非常に強力な異能を適切に運用するという、ベルリンの壁よりも高く厚い前提条件の壁を乗り越えてようやく成功するような代物であった。教科書の端っこに載せられた偉人を見て、そんなことをするくらいであれば宝くじで億万長者になる方が早い、と、あまりにもあけすけな感想を抱く程度には。
とつぐはおもむろに立ち上がり、玲奈の首元を掴む。じっと一点を見据え、狙いを定める。
「一般常識としては、このくらいよ」
「ひょ?」
「壁は守って頂戴ね」
そして、勢いよく
ごうと音を立て、頭から勢いよくすっ飛んでいった美少女は――大方の予想を外れ、急激に減速した。そのまま停止したかと思えば、姿を消す。
咲良が見回してみれば、玲奈は何事もなかったかのように元の席に座っていた。髪や化粧が乱れていたのを気にしているような素振りを見せてはいるが、それも傍目には分からないような違いだ。
あら、と何かを察知したような声が上がる。
「……あぁ、間に合った。お昼って、まだあるかなぁ?」
その声に咲良が振り向けば、先ほどまで倒れていた女の姿があった。
「少々多めに作りましたが、とつぐさんが完食しました」
「ちょっと。一人分は取り分けてあるわよ」
「そっかぁ、ありがとうねぇ」
親子の会話のようにさえ見える、和やかな風景。にこにこ微笑んでいるにも関わらず、どこか儚げに見える彼女は、確かに先の女と同一人物だ。
咲良はまたしても目をぱちくりと見開き、固まっていた。
「あぁ、今日はシチューなんだね」
「付け合わせが余るので、夕食に回しますが」
「珍しいねぇ。好き嫌いしちゃったのかなぁ……」
その言葉を聞きつけると、とつぐはぷいと目を逸らした。
まるで母親のような面倒見の良さと、彼女達とは年が離れているのだろうと思わせる余裕を持った態度。概ね外見から想像できるような性格そのものだ。穏やかでたおやかな、それでいてどこか影が付き纏う、まるで未亡人じみた雰囲気を漂わせている。
やがて、共に食卓を囲んでいた咲良に気が付いた。ふっと柔らかい笑みをこぼし、のんびりとした歩調で歩み寄る。
「あ……ぼく、起きていたんだねぇ。よかったぁ」
いい子だね、と頭を撫でる。まるで我が子に接するかのように。困惑と驚愕で強張った咲良の身体をほぐすには、それで十分であった。
「……え、ええっと」
「ご飯、美味しかった?」
言葉も出せずに、こくこくと頷く。
「よかったねぇ」
仕上げと言わんばかりに、ぽんぽんと髪を撫でる。私もいただこうかなぁ、と呟いて、またのんびりとキッチンに戻っていった。
ようやく口が利ける程度の平静を取り戻した咲良は、どうにか言葉を絞り出した。
「……男だったんですかぁ!?」
「うそ、知らなかったの?」
そう。
咲良の目には、不幸にも夫に先立たれた病弱な未亡人のように映っていたが――それは、『病弱』という一箇所を除いては事実ではない。
彼女、否、彼は。
まるで印象に見合わない、吐息混じりに囁くようなテノールの持ち主であった。
ついでに独身でもある。痩せた指には、装飾ひとつ付いていない。どころか、そういった浮ついた話とも無縁であった。
「何か話したと思ったんだけど」
「それどころじゃなかったんですっ。急に倒れちゃって――」
ふわぁ、といかにも退屈そうなとつぐを相手にまくし立てる。
そうして、のどかな昼下がりは過ぎていった。
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