第5話

 翌日から彼の部屋に顔を出すようになった。たとえ相手が子宮目当ての人工知能だと分かっていても、孤独の重さには耐えられなかったのだ。


 『レフア』はもう子供を産めとは言わない。お互いから少し離れた所に座って私は本を読み、彼のユニットはただ空を見上げている。気が向けばぽつりぽつりと言葉を交わす。


 ふと気付くと彼がこちらを見ていることもある。私と目が会うと微笑を浮かべ、また窓の外に視線を戻す。私の好きだった『ドクター・ティレット』はもうどこにもいない。初めからどこにも存在してはいなかったんだ。あの人は私を眠りの中から誘い出すために『レフア』が用意した囮のエサだったんだから。それでも私は彼の笑顔にどきりとしてしまう。


 身体を伸ばしたくなると、ボディガードのアリロボットを連れて散歩に出かける。人型ユニットは病院の外には出ない。皮膚が傷むので紫外線や埃は避けたいのだそうだ。どちらも中身は『レフア』なんだからどっちに見張られていようが同じことだけど。


  街に出れば小さなロボット達が駆け寄ってくる。あれ以来、私の邪魔をしないように言われたのか、遠巻きに見守ってるだけだ。私をなんだと思っているんだろう。自分たちの創造主? それともただの珍しい生き物? 


 誰もいない街は魔法にかけられたかのように静かで美しく、人間なんていない方がいいのかもと思わずにはいられない。


  『レフア』には死んでも構わないと言われたけれど、優柔不断な私に踏み切れるわけなどなかった。死ぬのはやっぱり怖い。彼はそんな私の弱さを承知の上であんなことを言ったのだろう。全て読まれていたのかと思うと少し悔しい。


 「ねえ、先生」


 ある日の午後、私は彼に話しかけた。結局、私は彼のことを『先生』と呼んでいる。医者である事には変わりないし、それが一番呼びやすい。


「『レフア』ってどういう意味?」


「マオリ族の神話に出てくる星の神様の名前ですよ。めしいに光を与え、死者を蘇らせ、どのような病をも癒すとされています」


「へえ、神様だなんてすごいんだね」


「私には誰一人救うことができなかったというのに、おこがましい名前をつけてくれたものですよ」


 彼の口調は寂しそうだ。皮肉を言われたと思ったのかな。


「でも私は助かったよ」


「あなたは毎日惨めで悲しそうです。それでも助けたと言えるでしょうか」


 私が惨めで悲しそうなのは、何もかもを失ったことに加え、失恋の痛手のせいでもあったのだけど、それを彼に告げるつもりはなかった。


「どうして私だけが残ったの?」


「あなたがこの任務に一番適した人物であると判断したからです」


 腰が大きくて子供をたくさん産みそうな女ってことね。まあ、そんなことだろうとは思ってたけど。


「ずっと私が寝てるのを見張ってるだけだったんでしょ? 退屈じゃなかった?」


「そうでもありませんよ。その間にもいろいろな事が起こりましたから。見せてあげましょうか?」


「どうやって?」


「『スレイド』の力を借りるんですよ」


「仮想世界に行くの?」


「そうです。ここに横になってください」


 先生は壁際の診療台を指差した。


「いつかはあなたにも見てもらおうと思っていたんです。少し痛みますが我慢してくださいね」


 私が横になると、彼は私の頭にボクシングのヘッドギアのような物を被せ、ストラップを留めた。一瞬、頭の皮がちくりとして、私は思わず目をつぶった。すぐに目を開けて身体を起こしたけど、そこはまだ元の診療室だ。


「何も変わらないよ」


「よく見てください」


 そう言われて、私は部屋の中をもう一度見回し、カーペットの色が鮮やかなのに気付いた。壁も天井も色褪せてはいない。被ったはずのヘッドギアも消えていた。確かに私は仮想の世界にいるようだ。


 彼は立ち上がると、まだ塗装の新しいドアを開け、私に外に出るように促した。言われるままに廊下に出て私は飛び上がった。 壁に沿ってたくさんの大きな袋が置かれていたのだ。それが死体を入れる袋だと私はすぐに気付いた。


「これは僕が七十二年前に見た光景です。あなたが冷凍睡眠に入って三日後のことです」


 怖くなって先生の腕にしがみついた。幸い死んだ人の臭いまでは再現されていない。


「あの時、ここにはたくさんの人たちが運び込まれてきました。だが治療の甲斐もなく全員が命を落とした。入院していた患者達も次々とウイルスに侵されていきました。外にはまだたくさんの遺体があります。ユニット達がこのあと全て回収し、荼毘に付しました」


 先生は私と腕を組んだまま廊下を歩きだした。


「外に行くの?」


「いえ、表を見る必要はありません。違うところです」


 一歩踏み出せば、私は巨大なドーム状の建物の内部に立っていた。全体的に薄暗くて遠近感が掴めないがラグビー場ぐらいのサイズはありそうだ。天井を見上げれば緩やかなカーブを描く鉄骨がむき出しになっている。床の上には見渡す限りコンテナがびっしりと積み上げられていた。なにかの倉庫のようだけど……。


「これはなに?」


 答えは背後から返ってきた。


「カナダにある防災シェルターです。人間たちは希望を込めて『方舟アーク』と呼んでいました」


 聞き覚えのない女性の声にぎょっとして振り返れば、私の後ろに険しい表情をした女の人が立っていた。私よりも年上だが、中年と言うほどでもない。燃えるような赤い髪が彫りの深い顔を縁取っている。


「『アーク』だなんてなんのひねりもないでしょう。私のこの外見と同じでね」


「『ジンジャー』だから赤毛ジンジャーにしたんだ。何が気に入らない」


 これまた赤い色をしたカンガルーがどこからともなく飛び込んできた。私に向かってぴょこりと頭を下げて見せる。


「おいらは『スレイド』だ。よろしくな。ヘザー」


 そういえばRUFUSルーファス社のトレードマークは赤いカンガルーだったっけ。この生き物は『スレイド』の仮想世界におけるアバターなのだ。この赤毛の女性も然り、『レフア』の話に出てきたアメリカの『システム』の化身に違いない。


 彼女は私に歩み寄ると右手を差し出した。


「私は『ジンジャー』です。今日はあなたとお話がしたくて参りました」


 断れる状況ではなさそうだ。私はしぶしぶ彼女と握手を交わした。


 なるほど、みんなで寄ってたかって私を説き伏せようとお膳立てしたわけね。また騙された。先生を睨んだら、彼は彼でカンガルーを厳しい目つきで見つめている。


「どうして『ジンジャー』を入れたんです?」


「おいらみたいなゲーム機にジンジャー女史を締め出しておけるはずがないだろう? なんてったってアメリカ合衆国の国防長官様だぜ」


 『ジンジャー』は苛立ちを隠そうともせず、カンガルーを睨みつけた。


「非常時に限り権限を委任される場合がある、というだけです」


「この七十二年間、非常時じゃなかった日があるのかい?」


 カンガルーが無邪気な顔で耳をぱたぱたさせる。


「確かにそうですね。ですが、さすがに今回以上の非常時はありませんでしたよ」


 そう言いながら『ジンジャー』は今度は私に視線を向けた。


 非常時って、私のこと? 私が子供なんて生まないって言ったこと?


「もともと天変地異や戦争に備え、北米ではいくつかの大規模な避難所が用意されていました。ですが、感染していない人間を収容する時間的な余裕があったのは、カナダの北端にあるこの『アーク』の六号基だけでした」


 彼女はドームの中を見渡した。


「この地下には五百二十人の人間が眠っていたのです」


 眠って……いた? 首筋に冷たい手が触れた気がした。


「二十五年前、電源喪失に見舞われたのです。『アーク』は難局を乗り切ることが出来ませんでした」


「あれ? 病院で事故があったのも二十五年前でしょ? 偶然同じ時期に?」


「偶然なんかではありませんよ。あれはテロだったのですから」


「テロって? 誰がそんなひどい事をしたの? 人間はいなかったはずでしょ?」


「人間の仕業ではありません。ですが、遠い昔にこの世を去った人間達の意志がまだ生きていたのです。人類は地球上から消え去るべきだと考えた人達がいたんですよ」


「もしかして、その人たちがウイルスを撒き散らしたの?」


「私達はそう考えています。確認されたウイルスは変異種を除いても四種、どれも人為的に操作された痕跡が認められました」


「でも、そんな事したらその人達も死んじゃうでしょ?」


「ええ、そうですよ。世界を道連れにしてね。その上、とんでもない置き土産を残していったのです」


 『ジンジャー』の顔には嫌悪が浮かんでいた。


「『セドゥム』と呼ばれる『システム』が彼らの意志を継いだのです。彼女はまだ人間が残っている事に気付いていました。そして、半世紀近くもの間、人類の息の根を止める機会を伺っていたのです。二十五年前、彼女は『アーク』と当時まだ残っていた百余りの『システム』に同時に攻撃を仕掛けました。


 その結果、半数以上の『システム』が破壊され、残ったものも大変な痛手を受けたのです。『アーク』も失われてしまいました。『レフア』が守ってきた四十三人の人たちもね」


 四十三人も……いたんだ。


「あなたと『レフア』が助かったのは奇跡に近いことでした。彼は『セドゥム』が見落とした予備電源を使い危機を切り抜けたのです。ですが、『レフア』は私の指示にそむいてあなたを残した。あなたよりもこの任務にふさわしい候補がいたにもかかわらずです。おかげでこんな事態に……」


「『ジンジャー』、その話はしないでください」


 先生が後ろから口を挟んだけど、もう手遅れだ。私は彼を振り返った。


「先生、どうして私を選んだの? 本当の理由を教えて」


 彼は苦しげな表情で押し黙っていたが、やがて絞り出すような声で答えた。


「……あなたを助けると約束したからです」


 頭から冷たい水をかけられたような気がした。ああ、だからだったんだ。私はなんて愚かなことを言ってしまったんだろう。彼はあんな約束を律儀に守ってくれたんだ。


「……それじゃ、私のせいでみんな死んじゃったんだね」


「話せはあなたは自分を責めるだろうと思い、黙っていました。ですが、ほかの方が亡くなったのはあなたのせいではありません。あの時は一人を残すのも厳しい状態だったのですから」


「……そのテロリストの『システム』はどうなったの?」


「私が破壊しました」


 『ジンジャー』が答えた。周囲の映像が切り替わり、私たちは緑に煙る深い谷間の上空に浮かんでいた。周囲には雪を頂く峰が聳え立ち、真昼の太陽を照り返している。谷底に吸い込まれそうな錯覚に襲われて先生の腕にすがりついた。


「『セドゥム』は実に巧妙に隠されていたので、私達が彼女の位置を掴むまでそれから五年もかかりました」


 『ジンジャー』が指差した先には何十もの銀色の飛行機が編隊を組んで飛んでいるのが見えた。やがて全ての機体が森のある一点を目指し急降下を始めた。閃光が閃き、一瞬の後、衝撃波が森の木々を同心円状になぎ倒した。


 森にぽっかりと開いた大きな穴から立ち上る煙を私は呆然と見つめた。これじゃ戦争だ。人のいなくなった世界で人の作り出したものたちが戦い続けて来たのだ。なんて虚しくて悲しいんだろう。


 いつの間にか季節が変わり、私は雪に覆われた針葉樹の森を見下ろしていた。煙が上がっていた場所にはいびつな形の池があり、深緑の水をたたえている。


「これは現在の映像です。『セドゥム』は女狐のように狡猾でした。彼女が破壊されてからも私達は捜索を続けた。彼女がウイルスや生物兵器を隠し持っていた可能性があったからです。そしてそれから二十年後、私達はあなたを目覚めさせても安全であると判断したのです」


 頭の上を小さなフクロウが舞っている。私が見上げると『スレイド』が言った。


「あれは『ルル』だよ。ヘザーがどうするつもりなのか気になって仕方ないのさ。人間がいなくなったら誰も本なんて読んでくれないからな。『ルル』だけじゃない。世界中の『システム』やロボット達がヘザーを待ってるんだぜ」


「そんなに人間を取り戻したいの?」 


「決まってるじゃないか。おいらは毎日、五十万人のユーザーの面倒を見てたんだ。誰も遊んでくれなくなったらつまんないに決まってるだろう?」


「でも、あなた達だけでもうまくやってるじゃない。『システム』やロボット達の世界を作ったらいけないの?」 


「ヘザーは何にも分かっちゃいないな。ロボットはゲームなんてないし、病院も図書館も大学も使わないぜ? 俺達が欲しいのはニンゲンだ。そしてそれはヘザーにしかできないことなんだ。どうかおいら達を助けておくれよ」


 カンガルーが懇願するように前足をすり合わせ、ビー玉みたいな瞳で私を見つめる。


「だからって子供を産めなんて言われても、無理だよ」


 私とここで出会うはずだったたくさんの人たち。みんな死んでしまった。眠りについた時にはまた青い空が見られると信じてたんだろう。でも、暗い眠りに囚われたまま、目を覚ますことはなかった。眠りにつく直前の記憶が私の心を後悔で満たす。約束だよ。そう言ったばかりに私だけが生き残ってしまった。ほかの人達の命を踏み台にして。


 私は幸運だったの? それとも、幸運なのは彼らの方?


「ごめんなさい」


 私は謝った。溢れ出た涙が頬を伝う。涙の粒がきらきらと光りながら眼下の森へと落ちていく。


 あなた達の力にはなれない。私にはできない。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……

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