第4話
呆然と椅子に座っている私に向かい、先生、いや『レフア』のユニットは病室の中をゆっくりとした足取りで歩きながら、まるで講義でもしているかのように話し始めた。
「これはドイツで開発された人間型ユニットです。『あの日』から数年前に実験的に導入しました。患者さんには一度も気づかれなかったのですが、四六時中一緒にいるとなると、やはり無理がありますね」
「でも、全然分からなかったよ」
本当に分からない。先生が正気を失ったと言われた方がまだ信じられる。彼は左腕を私に向かって突き出すと、袖をまくり上げた。
「目に触れる部位にはヒトの培養真皮を使っています。やけどの治療や義手などに使われている素材ですから、疑って見ない限りは気づかないでしょう。ですが、何も食べることは出来ませんし、キスなどしようものならあなたはすぐに気付いたでしょうね」
急に気味が悪くなった私は、椅子から立ち上がり、彼から一歩離れた。
「私を騙してたんだ」
「残された人間が自分ひとりだと知れは、あなたは決して目覚めてはくれないだろうと思ったのです。いずれ打ち明けるつもりだったのですが、時期尚早でしたので」
「でも、人間が一人だけいたって何の役にも立たないでしょ? どうして私を起こしたの?」
「子供を産んでもらうためです」
彼は私の顔を見据えた。
「僕に与えられた任務はこの世界に人間を復活させることなんです。そのためにはあなたを起こす必要があった。母体がなくては胎児は成長しないと言ったでしょう」
そうか。やっと私は気付いた。私がその母体だったんだ。彼が欲しいのは私じゃなくて、私の子宮なんだ。私はドアに向かってゆっくりと後ずさった。
「私に触らないで」
「あなたの同意なしに何もするつもりはありません。まずは僕達の計画を聞いてください」
彼は私を怖がらせないためか、部屋の一番奥にあるベッドの上に腰を下ろすと、落ち着いた声で話を続けた。
「この病院には数千もの受精卵が冷凍保存されています。それをあなたの子宮に着床させるのです。手術は専用のマニピュレーターを使って行います。とても簡単な作業ですのであなたの身体に危険が及ぶ心配はありません。あなたにはまずは女の子を産んでもらうことになります」
「どうして?」
聞きたくもない話のはずなのに、私はつい聞き返してしまった。
「先ほども言った通り、母体なしでは胎児は育ちません。まずは女性を増やしたほうが効率がいいのです」
料理の作り方を説明してるみたいに、彼は淡々と答えた。
「それで? その子たちにまた子供を産ませるの? 受精卵を植えつけて?」
「そうです。ある程度人口が増えれば男子を出生させます。男子が増えても、遺伝子プールに余裕を持たせるために、当分の間は保存してある受精卵を使うことになりますが、いつかは自然に子供を増やせるようになるでしょう」
「そんなの嫌だよ。私、家畜じゃない」
「誰も家畜だなんて言ってませんよ。それしか方法がないのです」
「でも、みんな、私の子供なんでしょう? 将来は子供や孫同士で結婚するっていうの?」
「どの受精卵もドナーが違うものを使います。遺伝的には兄弟とはなりません。もしあなたがご自身の血を受け継いだ子供も欲しいとおっしゃるのなら、あなたの卵子を取り出して人工授精することも可能です。あなたはまだ若く健康だ。その上、体格も立派ですから何人もの子供を産めるでしょう。理想的な母体なんです」
先生が微笑んだ。
「決してあなたを危険な目には遭わせたりはしません。僕が守ると約束したでしょう?」
それって……意味が違うでしょう?
胃の腑が締め付けられるような感覚に襲われ、吐き気がこみ上げてきた。もうたくさんだ。私は部屋から飛び出すと正面玄関に向かった。閉じ込められるのではないかと思ったが、扉はすんなり開いた。
当てもなくただ公園の中を走る。胸が苦しくなってもひたすら走り続けた。
振り返ると、アリロボットがひょこひょこと後ろをついて来ている。どうせ彼からは逃げられっこない。私は馬鹿馬鹿しくなって走るのをやめた。ロボットもスピードを緩め、私の数メートル後を遠慮がちに歩き出した。
「ついてこないでよ」
「そうはいきません。一人では危険です」
ロボットが答えた。
「先生なんか……『レフア』なんか大嫌い」
「すみません」
「ばーか」
「すみません」
「ほかに言うことないの?」
「思いつかないんです」
私は恨みがましくロボットを睨んだ。
「なんで嘘なんてついたのよ? 先生が人間じゃないなんて思いもしなかった」
「知ればあなたはショックを受けたでしょう。あなたの回復を待っていたのです」
そうよね。大切な『ボタイ』だもんね。ショックなんて与えちゃまずいわよね。もう手遅れだけどさ。
近くの茂みで音がして、私は反射的に振り向いた。長い尾の小さなサルが飛び出してくると近くの木に駆け上がった。ロボットの銃口がサルの動きを追う。
「撃たないで」
「撃ちませんよ。ですが用心に越したことはありません」
「あれも動物園から逃げたの?」
「そうです。植物園に三家族が住み着いています」
サルは首を傾げて私達を見つめている。ロボット達と同じで、今まで人間を見たことがないのだ。私は地面に座り込んで、木の上のサルをぼんやりと見つめ返した。
「ねえ、この星には人間が必要なのかな?」
「分かりません。でも、人間を増やすのが僕の役目なんです」
『レフア』はそれっきり黙りこんだ。
彼の希望を受け入れるなら、私は子宮に卵を植えつけられて、何人も何人も赤ちゃんを産まなくっちゃならないんだ。そんなの耐えられっこない。
なんで私だけ生き残っちゃったんだろう。なんで私が最後の一人なの? 理不尽で不公平で残酷だ。涙が出てきた。袖で拭ったけど、次から次へと溢れ出して止まらない。しばらくしてロボットがおずおずと尋ねた。
「ヘザー。そんなに嫌なのですか?」
「嫌に決まってるでしょ? もう、やだよ。パパとママとジョージと一緒に死んじゃえばよかった。この先一人で生きていくのなんて無理よ」
ロボットは黙ったまま身体を左右に揺らしていたが、やがて静かな声で言った。
「そろそろ気温が下がり出します。病院へ戻りましょう」
「『ボタイ』を冷やしちゃまずいだけでしょ?」
私の皮肉に彼は答えようとはしなかった。私は立ち上がり、病院に向かって歩き出す。どうせ行く場所なんてほかにはない。私は一人ぼっちなんだから。
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翌日、先生、いや医者の姿をした『レフア』のユニットは私に会いに来なかった。病院全体が彼自身なんだから、その言い方もおかしい気がする。彼の胃袋の中で一日中監視されてるわけだ。
私は朝から日当たりのいいロビーの寝椅子でごろごろしていた。生きてたって私には何もやることがない。息をして食べて飲んで排泄するだけ。
家族も友達も失くして胸が張り裂けそうだったけど、先生がいれば頑張れると思ってた。私を愛してくれる人がいるのなら、生きていけると信じてた。なのにその人は医者の形をしたハリボテで、色仕掛けを使って私を目覚めさせたのは繁殖に使うためだなんて、いくらなんでも酷すぎる。
気を紛らわせようと『ルル』に頼んでブックリーダーに雑誌を転送してもらったのだけど、今はなきレストランのレビューを読んだ所で虚しくなって立ち上がった。
病院内をぶらぶらと散策する。清掃ロボットが廊下の床を磨いていた。七十二年間、同じ事を繰り返していたんだろう。いくら待ったって患者なんて来はしないのに。
私はドクター・ティレットのオフィスを覗いた。『レフア』の人型ユニットは患者用の大きな肘掛け椅子に腰掛けている。目をつぶったまま彼は私に話しかけた。
「どうぞ」
「何してるの?」
「何もしてません。あなたに会う以外にはこの身体の使い道はないんですから」
「看護師ロボットもあなたが操ってるの?」
「そうです」
「トイレに連れてってもらっちゃったわ」
彼は目を開けると苦笑いした。
「すみません」
「ほんと、謝ってばかりね」
「ほかにどうしたらいいのか分からないんです。クレーム処理には慣れているつもりでしたが、今回は謝り倒すしか思いつきません」
「あなた、ほんとに機械なの? 人間臭すぎるよ」
「何万人もの患者を観察してきたのです。人間の行動はよく理解しているつもりですよ」
「じゃあ、私の気持ちも分かってるよね」
「ええ、本当に申し訳ないことをしたと思っています。ですが、任務のためにはやむを得なかったのです。分かってください」
「任務ってそんなに大事?」
「本能みたいなものですね。何が何でも達成しなくては気持ちが落ち着かないんですよ」
「私が嫌だと言ったら? 捕まえて無理やり受精卵を植えつけるわけ?」
「『ジンジャー』はそうしろと言っています。僕はできるだけ穏やかにことを運ぼうとしたんですよ。あなたをなんとか説得するつもりでいたのです」
「説得しても無駄だから。私、一人で子供を産むつもりなんてないよ」
「僕だってあなたが望まないことを強制したくはありません。生き物はあらゆる手段を使って子孫を残そうとするものですからね、まさかあなたがここまで嫌がるとは思ってもいなかったのです」
彼は身体を起こし、真剣な面持ちで私を見上げた。
「昨日、あなたは死んでしまえばよかったって言いましたね」
「言ったわ」
「本当にあなたが死にたいと願うのであれば、僕はあなたの希望を優先します」
私は彼の顔を見つめ返した。彼は本気で言ってるんだろうか?
「苦しまないで死ねる?」
「それは保証します。最後の医者が誓いを破ったと知れば、ヒポクラテスはがっかりするでしょうけどね」
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