Chapter:2 「サボるおつもりだ!」

 学校に着いてすぐ、博希はあるひとつの席を見た。これは彼の、いつもの習慣だった。

「今日はいないのか……休みかな……」

 つまんねえの。五月にも出流にも聞こえないようにそうつぶやいて、博希は自分の席に着いた。

 この日の授業、ことに数学は博希にとっていつも以上に退屈だった。こくこくと首を垂れるたびに、担任教師・安土宮零一あどみや れいいちに、教科書の角でぶたれる。

「痛えなっ」

「俺の授業で寝るなと何度言ったら解るっ。……若林、お前もだっ」

 五月の頭も角でぶつ。

「ふえ……痛いよう」

 だが五月は博希よりもある意味したたかで、頭をさすっただけでまた眠ってしまった。

 結局、博希もまた、ゆらゆらと船を漕ぎ始めることになった。



  白い……白い人。

  今度は……血の色に染まっていない……

  守って。

  守って。

  守って。

  ――助けて。

  早く、来て。

  「どこ、へ?」

  ………ポ……ダ……

  「聞こえない。どこへ?」

  ――――コスポルーダ――――



「こすぽるーだ?」

 いきなり、五月が起き上がってそう言う。まだ、授業中であるという事実に、意識が追いついてくれなかったようだ。

「若林~~。なんだそりゃ? 新製品のお菓子か何かかあ?」

 教科書を構えて、安土宮が五月の前に立ちはだかる。

「え? ……あの」

 反論の間はなく、五月はさっきよりも強烈な一撃を安土宮からくらって、瞳に涙を一杯に浮かべた。当然、五月はクラス中から笑われることになったのだが、博希だけは首をかしげていた。さっき眠っていた間に、彼は多分五月と全く同じ夢を見たのだ。コスポルーダ。夢の中の『白い人』は確かにそう言った。

「…………?」

 付き合いが続くと、夢もシンクロするもんなんだろうか? 博希はくしゃくしゃと頭をかいた。



「沙織が失踪した?」

 時貞沙織ときさだ さおり。入学後すぐに学校中の男子生徒を虜にしたとか、隠れファンクラブが両指の数では足りないほど作られているとか、本当か嘘かわからない噂が立っているほどの美少女である。

 どこのクラスにも、金を取らない情報屋というものが一人くらいいるもので、職員室が大騒ぎになっているという情報から、沙織の失踪についての職員会議が開かれていることまで、博希に情報を提供してくれた。

「それで朝から席にいなかったのか……休みじゃなかったんだ……」

 博希はしばし呆然とした。失踪とはただごとではない。

「荷物はあるから、学校には来てるんだって。でもそれからがわかんないって」

「いずれ警察がくるでしょうよ」

 五月も出流もドライに話をしていたが、博希ははやる気持ちを抑えられない様子だった。

「…………温室が怪しいと思うんだよ俺は」

「急にどうしました」

「沙織、園芸部じゃん? 毎朝温室の観葉植物に水やってるんだよあいつ!」

「どうしてそんなことまで知ってるのヒロくん」

 なんか気持ち悪いなあと五月が顔をしかめる。出流が目を少し細めて、薄笑いを浮かべながら、博希を見た。

「博希サン……僕、ずっと思ってましたけど、沙織サンに、ホレてますよね?」

「えっ!?」

 博希は短く叫んだきり、動かない。顔が耳まで赤くなっていく。

「え~~~~!? そうなの!? ヒロくん、沙織ちゃんのこと好きなの!?」

 顔を真っ赤にしていた博希は、五月の具体的な発言で、我に返った。

「ん、んな訳ねぇだろバカッ!」

「あー、そういえばヒロくん、いつも沙織ちゃんのほうじーっと見てるもんねぇ」

「ね? 博希サンほどわかりやすい人はいませんよ」

「……っ」

 口をぱくぱくさせる博希。五月が「図星だあ」とにこにこするのに、時間はいらなかった。

「で? 温室を捜索したい……ということですか? 警察より先に?」

「なんで警察より先に捜したいの?」

「そりゃあ、ご自分が一番に沙織サンを見つけて助ければお株は急上昇でしょうし」

「バババババカ野郎!! そんなわけあるか!!」

 またも真っ赤になる博希を見て、まあそりゃ博希サンのお気持ちは尊重したいのですがと出流は考え込んだ。なにしろこれから午後の授業が待っている。

「できれば、今から!」

「授業をサボるおつもりで!?」

「サボるおつもりだ! 五月、一緒に来るか!?」

「ぼく、行くーっ」

「ちょ……!」

 言うが早いか博希と五月は教室を飛び出していった。出流は背中を呆然と見ているばかりだった。

 雷が近づいてきていた。まだ雨は、降っていない。

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