第52話 ご令嬢は、あきらめない

 広大な帝都の片隅。

 俗に、貧民街と呼ばれる区画。


 その中でも、さらに日の当たらない場所。


「お、お嬢様っ! ここは、ここはまずいでありますっ!」

「だったらついてこなくて結構ですよ、シャーロットさん。お母様に咎められたらわたしが許可したと伝えてください」


 かつて人間が人間と争っていた時代に建築された、砦の跡。

 今や無用の長物と化した廃墟の前に、わたし――と後を追ってきた親衛隊の皆さん――は到着しました。


「そ、そういうことではなく! 我々は、お嬢様をお守りすることこそが務めで――」

「……シャーロットさん」


 わたしは、肩を掴む彼女の手を握りました。


「今、わたしに必要なのは、そういう建前・・・・・・じゃないんです。……分かってくださいますよね。あなたなら」


 シャーロットさんは言葉に詰まったようでした。

 くちなし色の瞳が揺れたのは、葛藤のせいでしょうか。


「……自分は。あの方・・・の考えを尊重したい、のであります。あの方は、お嬢様のことをとても大切に思ってらっしゃいました」


 唇を噛みしめ、絞り出すように。


「だから、この結末を選んだのだと思います。お嬢様を自分の道連れにはしたくないと」


 想像はついています。

 先生が何を望んでいて、何を望まなかったかも。


 でも、それでも。


「わたしは――このまま、さよならなんて、できません」


 顔を上げて。

 わたしは叫びました。


「――ごめんくださいっ! わたし、ソフィア・モーニングスターと言いますっ!! 今日はお話があって伺いましたっ!」


 普通の人々なら決して近づかない、要塞の残骸。

 そこは、光復会リバイヴスのような犯罪組織にとっては最高の隠れ家です。


「メイファン・リーさんっ!! いらっしゃいますよねっ!」


 わたしの声が響いたのち……案の定、周囲にいくつもの気配が現れました。

 正面の砦だけでなく、辺りに密集したあばら家からも。


 きっと、わたし達がこの区画に足を踏み入れてから、ずっと監視していたのでしょう。


 武装した男女が幾人も――その中に、明らかに際立った存在感を持つ女性がいました。

 艶やかな黒髪は地につくほど長く、切れ長な眼差しは刃物の先端を思い起こさせます。


「……彼が話していた通り。あなたって勇敢と無謀の区別がつかないみたいね、ソフィア・モーニングスター」

「あなたが、メイファンさん、ですか?」


 手にした鉄扇を広げると、彼女は笑みを浮かべました。


「帝国権力の中枢に坐すモーニングスター家の跡継ぎともあろうお方が、こんな掃き溜めに一体どんな御用かしら」


 わたしは、後ろで身構える親衛隊の方々を仕草で鎮めながら、


「まず、お礼を申し上げたくて」

「……お礼?」


 虚を突かれたメイファンさんが、目を瞬かせました。


「マリアさんのチョーカーを改造して、彼女を自由にしてくださったのはあなただと聞きました。わたしには決してできないことでした。心からお礼を申し上げます」


 わたしが頭を下げると、メイファンさんはしばらく黙ったのち。


「……ホント、聞いた通りだわ……」


 ものすごく長くて深い溜め息をつきました。


「それで? 宮廷で開かれるティーパーティにでも紹介していただけるのかしら。我々のようなテロリストを」

「お望みなら――もちろん、カズラ先生・・・・・とご一緒に、ですけど」


 メイファンさんが目を細めます。

 周囲の武装した人々も、俄に殺気立ちました。


「腐った帝国の雌犬の分際で、デイガン・・・・の英雄的行動を侮辱するつもりなら――」

「わたしは本気ですよ、メイファンさん」


 わたしは練り上げたマナを放出します。

 光熱とともに立ち昇るマナ・ボルテックスが、光復会リバイヴスの面々を俄にたじろがせます。


「すべて調べました。あの事件の現場で、そこにいるシャーロットさんが先生の死を偽装し、焼却場に潜入したあなた方が死体袋をすり替えたこと――これらはみんな、わたしのお母様が先生ご自身にも内緒で仕組んでいたこと」


 一歩を踏み出します。

 メイファンさん達が退くよりも前に、もう一歩。


「カズラ先生に会わせてもらいます。もし嫌だと言うなら――皆さんには、痛い目にあってもらいます」


 できれば、そんなことはしたくありません。

 例えどんな人達だろうと、カズラ先生を救うのに手を尽くしてくださったのですから。


 でも、必要ならば。


「……ふざけないで。何なのよ、あなた」


 メイファンさんの返答は、微かに震えていました。


「今まで、デイガンの何を見てきたの!? あの死にたがりが、ようやく死ねた・・・のよッ! 背負ってきたものを全部下ろして、やっと今、終われたのに――あいつを散々利用してきて、まだ足りないっていうのッ!?」


 ……確かに。

 カズラ先生は、死を恐れているように見えませんでした。


 むしろ望んでいたのかもしれません。

 胸を引き裂くような苦しみから解き放たれることを。

 どうしようもない後悔と悲しみで眠れない日々を終わらせたかったのかも。


「……そうですよ。まだ、足りません」

「あなた――」

「まだまだ、まだまだまだ、これからなんですっ! これからはっ、先生のために――わたしが、先生のために――」


 してあげたいことがある。

 あの人自身のために。


 これまでずっと、わたしのために心を砕いてくれたように。

 今度は、わたしが。


「――何を叫んでいるんだ、お前達は」


 不意に届いた声に。


 その場にいた全員が、振り返りました。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 要塞跡の周囲を埋め尽くすような光復会リバイヴスの面々と、モーニングスター家の親衛隊。

 その中心で、何故か泣き叫んでいるメイファンとソフィア嬢。


(……どうしてソフィア嬢達がここにいる?)


 一体なぜ、どうやって。

 咄嗟に浮かんだ疑問。


 だが、その方法を推測することに意味は無さそうだった。

 ソフィア嬢がその気になったなら、止められるものなどどこにもいないのだ。

 それが例えアメリア少将――この妙な計画を立案した張本人――であろうと。


 もしも彼女が、もう一度俺に会いたいと思ったなら。

 俺は墓の下から掘り起こされたとしても、あるいは地獄の底から引き上げられたとしても、おかしくはない。


「せんせ……い」

「俺はもう君の家庭教師ではありませんよ。ソフィア君」


 要塞の門から彼女のそばまで歩いていく間。

 俺を見つめるソフィア嬢の瞳は、ひたすらに揺らぎ続けていた。


「先生っ、その、左目は……」

「腕のいい医療騎士達・・・・・が処置してくれたんですがね。流石に破裂した眼球の再生は無理だったようです」


 あの日。

 数十本の矢を射掛けられた俺の肉体は、ボロ布のような有り様だったという。

 さらに死を偽装するため、余人の目がない馬車に運び込まれるまで治療を待たなければいけなかった。


 そんな悪条件の中で、脳をまともに再生させただけでも、シャーロット達の技量の高さが分かるというものだ。


「らしくないですね、メイファンに怒られたぐらいで泣くなんて」

「ちがっ――違いますっ! そ、そうじゃ、ありませんっ」


 真珠のような涙をぼろぼろとこぼしながら、


「せ、せんせい、が、生きてて――また、お話、できて、うれじい、んでずぅっ」


 全身で抱きついてくる。

 というか、全力でしがみついてきた。


 治りかけの鎖骨と肋骨がベキベキと軋んだが……こらえるしかなかった。


「……少将達に散々聞かされたでしょう。ここにいるのは死人です」


 今の俺は、カズラ少尉でもデイガンでもない。

 名前も階級も立場もない。

 異邦人ですらない、この帝国には存在しない者。


「あなた達は何も見なかったし、誰とも話さなかった。それが結末です」

「な、な、なななな、何言ってるんですかっ、先生はここに――」

「シャーロット。ソフィア君のことはお前が見ていると思っていたんだが」


 突然矛先を向けられて、シャーロットは何か弁解をしたかったようだ。

 しかし、


「……お嬢様を手玉に取る係になるには、自分は力不足であります。カズラ殿」


 懺悔のように呟く。


 ――頬を手で挟まれたかと思うと、無理やりソフィア嬢の顔と向き合わされた。

 また鎖骨が傷む。


「先生っ! シャーロットさんをいじめるのはダメですよっ! 全責任はわたしにあるんですからっ」

「……だから言ってるでしょう。俺はもう、あなたの先生ではありません」


 少女の瞳――いつでも明日の希望を教えてくれる、曙光の色。

 目が合うたび、未来を思わされる。


「だったらその他人行儀な言葉遣いはやめてくださいっ」

「他人ですよ」


 あからさまな不服の表情。

 本当によく顔色の変わる少女だ。


「……カズラ先生。目を逸らさないで、こっちを見てください」


 ソフィア嬢はずっとこちらを見つめている。

 思えば、これまでもそうだったように。


「一緒に帰りましょう、先生」


 彼女は俺のことを知りたいと、教えてくれと言い続けてきた。

 今や隠し事など何もないというのに、それでもソフィア嬢の眼差しは俺を捉えて離さない。


「復讐が終わったなら、今度は新しいことを始める番ですよっ」


 ……相変わらず斜め上を行く発想だ。

 その前に言うべきことがあるだろう。考慮すべきことがあるだろう。


 俺は、君の叔父を殺したんだぞ。

 君の晴れ舞台を利用して。


(いいや、それ以前の問題だ)


 俺のような人間をそばに置いて、彼女が得することなどありはしない。

 この大帝国をまとめ上げる勇者のそばに、異邦人のテロリストが居るべき場所など。


「……君が、本当に誰かを救いたいと願うなら。その手は、この帝国に生きる全ての人々のために使うべきです。俺のような死人ではなく」


 ソフィア嬢は頭を振った。

 そして。


「わたしは、あなたも救いたいんです」


 もう一度、抱きしめられた。

 今度は優しく、包み込むように。


「先生は……わたしがどれだけ先生に助けられたか、導かれたか、ご存じないでしょう。自分が彼女・・を救いたかったんだって、気付かせてくれたのは先生なんです」


 そんなことは知らない。

 俺はただ、復讐のために君を欺いていただけで。


「だから、今度はわたしの番です」


 だというのに、どうして君は。


「わたしが守ります。これからずっと……いつか、わたしが死ぬ日まで」


 どうして君は――そうまで心を決められるのか。


 俺は答えを見つけられず。

 かといって、この温かさを手放すこともできず。


「……何でも大げさに話すのは悪い癖ですよ、ソフィア君」

「そうやってすぐ斜に構えるの、先生の悪い癖じゃないですか?」


 ソフィア嬢の瞳を見つめることしかできない。

 黎明の色。朝焼けの朱。


「ありがとう。感謝します」


 それは、新しい日々の訪れを告げる光。


「どういたしまして――先生っ」

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