第46話 教師と、生徒
いずれにせよ、言えることは一つしかなかった。
「……前に言いましたね。俺は復讐のために、この仕事についたと」
「あ……は、はい」
俺はゴブレットを傾けてから、自分の分は蒸留酒にしておけばよかったと後悔する。
「復讐が済めば、そこで終わりです」
ただ事実を――決めてあったことを伝えるだけなのに。
酔っていれば、少しは罪の意識もごまかせたに違いない。
「……終わり、っていうのは」
「うまくいけば犯罪者、失敗すれば死体。いずれにせよ、やんごとなきお嬢様の家庭教師には相応しくありません」
できるだけ淡々と、感情を交えずに告げる。
「死ぬかもしれないんですか?」
「ええ」
ソフィア嬢の顔が一気に青褪める。
こうなるだろうとは思っていた。
「先生。わたし――」
「念の為に釘を差しておきますが、俺の復讐を手伝う、なんて言わないでくださいね」
案の定、二の句が継げないソフィア嬢。
「……聡明だと言ったのは撤回します。あなたは馬鹿だ、ソフィア君」
「なっ、なんでですかっ、先生っ!」
俺は嘆息した。
これまでにないほど深く。
「君に剣を取らせたのは、そんなことのためじゃない」
綺麗事だ、と思う。
もともとは復讐の機会を伺うための隠れ蓑として、教師の仕事に就いたにすぎない。
その事実は今も変わらない。
「君には才能も、地位も、名誉もある。そして誰かを思う優しさと――過去よりも未来を見据える力がある」
だが、変わったものもある。
ソフィア嬢と過ごしてきた時間が、俺の中の何かを決定的に変えてしまったのだ。
「その力は君のために使いなさい。君自身の理想のために」
彼女には幸せでいてほしい。
どんな艱難辛苦も乗り越えて、いつか目指す場所へと辿り着いてほしい。
せめてその手助けぐらいはできなければ。
「俺の言いつけを守れますか? 賢い教え子君」
「……そんな、言い方。ずるいです。カズラ先生」
消え入るほどに小さな声。
振り払うように、俺はゴブレットの中身を飲み干した。
「先程も教えましたね。手段を選ぶな、と」
その言葉は誰に宛てたものだったのだろう。
(……どうでもいい。これでいいんだ)
自分でも分からないまま、俺はソフィア嬢に背を向けた。
キャビネットから蒸留酒の瓶を引っ張り出すために。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
果たして俺の不安は杞憂だったのか。
アメリア少将は長い思い出話と多忙な任務の隙間を縫いながら、テキパキとソフィア嬢にユニークスキルを伝授してくれた。
訓練と言うにはあまりに感覚的で抽象的な教え方だったが、ソフィア嬢の高い学習能力はそれすらも己の力へと変えていった。
「マナのイメージとしては、赤だよ。冬のロヴェラ渓谷から昇る朝日が放つ、一瞬の煌きに近い。瞳に焼き付く炎と、肌を切るようなダイヤモンドダストだ」
「……や、やってみますっ」
何より。
肩を並べて木剣を構える二人は、すっかり仲の良い母と娘のように見えた。
少なくとも俺の目にはそう映った。
(……親子のことなんて、俺には分からないが)
例え相手が誰だろうと、互いが生きているうちに――まだ言葉をかわす余地があるうちに、話ができたのだから悪くないはずだ。
結果、最後に残るのが痛みや苦しみだったとしても。
すべてが終わってしまってからでは、それすら叶わない。
……俺はアメリア少将とソフィア嬢の二人を残して、中庭を離れた。
使用人が使う勝手口に差し掛かったところで、先回りしていた赤毛の女騎士に気づく。
「お嬢様のそばにいなくていいのか、親衛隊」
「邸内には別のメンバーが配置されているであります。自分はカズラ殿のそばにいるよう、少将閣下よりご命令を受けておりますので」
シャーロットの、相変わらず真面目くさった返答。
俺はさっさと彼女の傍を通り過ぎながら、
「それなら、厩から裏まで馬を引いてきてくれ。紋章が入った装具はつけるなよ」
「どこに向かうでありますか? 行き先によっては馬はお貸しできないであります」
質問しながらも小走りについてくるあたり、シャーロットも手慣れてきた感があるな。
俺は振り返らずに続ける。
「貴族街の
「……まさか、逢瀬でありますか。相手は女学院の生徒、いや、付き人の方でありますか」
どこぞのご令嬢みたいな発想はやめろ。
横目で睨むと、シャーロットは気まずそうに肩をすぼめた。
「カズラ殿はあまりにも
「暇なら筋トレでもしてろ、軍曹」
「言い出したのは自分ではありません! カタリナとエリザの二人であります」
噂話に混ざった時点で同罪だ。
「やはり馬車だ。引いてきて手綱を取れ。制服は着替えておけよ。上官命令だ」
「い、以前、ご自分はもう民間人だと仰って」
「尾行を撒かれてアメリア少将に呆れられたいなら好きにしろ」
「……了解であります」
十数分後。
私服のシャーロットがいそいそと引いてきた馬車に乗り込み、俺は客席のソファに身を沈めた。
後頭部から滲むような鈍痛をこらえるために、瞼を閉じる。
「……
「ただの二日酔いだ」
シャーロットがこちらを振り向いたのが気配で分かる。
「カズラ殿が、酒を?」
「何がおかしい」
帝国法では飲酒は十八歳から許可されているだろうが。
「やはり何か……女性問題でも抱えているでありますか?」
だから違うと言っているだろ。
と言いかけて、口を閉ざす。
(
妙な考えがちらつくが、正直に話したところでいらぬ詮索を生むだけだろう。
「あ。そういえば昨晩は珍しく、お嬢様の方からカズラ殿の寝室を訪ねていらっしゃいましたね……」
クソ、なんでこういうときだけ勘が鋭いんだ。
「今朝からお嬢様がいつも以上にカラ元気を振りまいておられると思っておりましたが、もしかして」
俺から言うことはなにもない。
黙って寝返りをうち、シャーロットに背を向ける。
「今後の進退について、お嬢様にお話をされたのでありますか」
「……初めから決めていたことだからな」
「それは、そうなのでありましょうが――」
しばらくの間、車内には貴族街の雑踏と蹄の音だけが響いていた。
「……どうして。あなたのような方が、こんな生き方を選んでしまったのでありますか」
シャーロットのつぶやきが、やけに大きく聞こえる。
「そんなにも、優しいのに」
「……いいから前を向け。人を轢くなよ」
意味のない疑問だ。
本当のところ、生き方を選べる人間など、どこにもいない。
あれだけ恵まれていたソフィア嬢ですら、剣を取る道を選ぶしかなかったように。
俺もまた、復讐するしかなかっただけで。
(そして、そうすると決めたなら――迷うのは、ただ甘いだけだ)
……やがて馬車が停まる。
「到着いたしました。ご指定の宿であります」
「通用口に回れ。合言葉は『明け星とともに』、だ」
「了解であります」
宿の裏手から入り、馬車係に手綱を渡すと。
どこか見覚えのあるスタッフ――大方、デイブレイク家に務めていた騎士だろう――の案内で、俺達はその部屋に辿り着いた。
「――お待たせしました、マリア様」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます