第45話 母と、娘
あの理不尽な光を纏う木剣が翻されれば、俺の首と胴は一瞬で泣き別れしてもおかしくない。
なんなら、その感触までありありと想像できた。
しかし俺は、輝く剣身越しにアメリア少将と向き合う。
「ソフィア君に怪我をさせられては困ります。決闘まで時間がありませんので」
「……ユニークスキルの伝授は死闘の中でのみ行われる。聞こえていなかったかね?」
俺は頭を振った。
彼女の前でそんな真似をしたのは、帝国騎士団でも五指で数えられるだろう。
「確かに、あなた方の
ですが、と俺は続けた。
「積み重ねてきた事実は、訓練方法の正しさまでは保証しない」
「……君は、建国より連綿と受け継がれてきた我が家の伝統を否定しようと言うんだね?」
視線が強まる。
気の弱いものならそれだけでショック死しそうなほど。
「そのために俺を雇ったんでしょう。こんな異邦人を、わざわざ」
これもまた、今更の話だ。
「それは……そうだね。正直に言えば、ここまで踏み込んでくるとは想定していなかったよ」
「では、首を刎ねますか? 立場を弁えない者など、不要ですか」
アメリア少将が微笑んだ。
少なくとも俺には、そんな表情に見えた。
「いいや。……任務に忠実であることは騎士の美徳だ。カズラ少尉」
どうやら俺は今回も生き延びたらしい。
安堵の溜息をぐっとこらえて、
「寛大なご判断に感謝します、少将。無礼のついでに、もう一つ言わせていただければ――ご息女はとても聡明な方です。あなたのご想定よりも、ずっと」
まさか話の矛先が自分に向くとは思っていなかったのだろう。
思いつめた目つきで母親を睨みつけていたソフィア嬢が、一転、きょとんとした顔で俺を見た。
「あなたが語れば、ソフィア君はきっと何かを掴み取るはずです」
例えすぐには答えに辿り着かないとしても、自分なりのやり方を見つけ出す。
それがソフィア嬢という生徒だ。
「語れば……か」
しばらくの間、アメリア少将は瞑目していた。
やがて考えがまとまったのか、一人頷く。
「……あれは、春も近いというのに風が冷たい日だった」
遠い記憶を手繰り寄せるように、ゆっくりと。
「雪解けが始まり、各地で
俺もソフィア嬢も、黙ったままアメリア少将の横顔を見つめる。
「始めは小さな腹痛だと思っていたが、段階的に強くなってきてね。これが医師の言っていた陣痛か、と気づいたよ。従者の一人をエドワードのもとに走らせると、私は【
……違和感を先に口走ったのは、ソフィア嬢の方だった。
「あの――お母様」
「なんだい?」
「すみませんが、今、何のお話をなさっているんです?」
当然の疑問。
アメリア少将は平然としたまま、
「そもそもの始まりだよ。君が生まれたときに何が起きて、私とエドワードがどんな気持ちだったか。そこから話すのが、一番分かりやすいんじゃないかと思ってね」
おい待て。
俺はユニークスキルの伝授を依頼したはずだぞ。
そういう親子の語らいはまた別の機会に、できれば俺がいないところでやってくれ。
という俺の無言の訴えを、ソフィア嬢も汲み取ってくれたらしい。
「えっと……今は、ユニークスキルを伝授する場なのでは」
「もちろんだ。その話もしよう。だが、まずは順を追って話さなければ、正しい理解はできないだろう」
順序を正しく追おうとした結果、ソフィア嬢の出生日まで遡ったというのか?
それは、なんというか……
(……教えるのが、下手すぎる……)
俺は思わず顔を覆った。
生ける伝説、大勇者ともあろうものが、その辺のご隠居老人みたいな真似を!
「とにかく、まずは、誤解を解いておいたほうがいいように思ってね。私の話に付き合ってくれないだろうか――ソフィア?」
だが、そのときアメリア少将が見せた笑みは、驚くほど優しさに満ちていて。
「……はい。分かりました、お母様」
ソフィア嬢の答えも柔らかく。
そんな二人を前にしては何も言えず、俺はただ、黙って見守るしかなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
モーニングスター邸内にある俺の居室のドアがノックされたのは、その日の夜半だった。
「あの、先生? まだ起きていらっしゃいますか?」
「開いてますよ」
重厚な樫材の扉から顔を覗かせたソフィア嬢は疲れを滲ませていたが、しかしどこか満足気でもあった。
「ようやく開放されましたか」
「お母様は、急ぎのお仕事が無い時は九時にはお休みになるので……明日は、わたしが三歳にして幼年科の覇者になったところから始まるそうです」
オイ、夕方からぶっ続けで話し続けて、まだそんな段階なのか。
現在に至るまで何週かけるつもりだ。
「本当にユニークスキルを教えてもらえるんでしょうね?」
「『期日には間に合わせる。君を、デイブレイク家の小娘ごときに遅れを取らせるつもりはない』だそうです」
そんな物事の進め方で、本当に帝国騎士団の指揮官を務められるんだろうか?
そこはかとなく部下達の苦労が偲ばれた。
「……先生、あの。ありがとうございます」
「仕事ですよ。万が一、ソフィア君がユリア嬢に負けたら、真っ先に首を切られるのは俺ですからね」
言いながら、俺はキャビネットに仕舞われている蒸留酒の瓶に手をかけ――思い直して、フルーツを漬け込んだ
「そういえば、メイド達がソフィア君の好きそうなものを――って、ソフィア君? 何を笑っているんです?」
後ろ手に扉を閉めながら、ソフィア嬢が言う。
「いえ、あの……思い出しちゃったんです。以前、わたしの命を救ってくれたときも『仕事だ』って仰ってたな、って」
「……憶えてないですね」
手頃なゴブレットにジュースを注いで、ティーテーブルに並べる。
レモンがたっぷり入った方を手に取ると、ソフィア嬢は改めて俺に向き直った。
「感謝しています、先生。ユニークスキルのことだけじゃなくて……お母様と話をする、きっかけを作ってくださって」
「訓練が始まる前は、物凄く嫌そうな顔をしていましたけどね」
ソフィア嬢がむくれる。
「あれは先生が悪いです。だってあんなの、騙し討ちじゃないですか」
「そろそろ学んでください。手段を選ぶな、という俺からの教えですよ」
俺に言わせれば、同じような嘘に何度も騙されるソフィア嬢の方が問題だ。
いい加減、警戒心についても学ばせないと、今後の女学院での暮らしも心配になってくる。
「……いいです、別に」
「よくありませんよ。女学院は貴族社会の縮図なんですから、どんな嘘や罠が待ち受けているか――」
「いいんです。わたし、先生になら、何回騙されたって」
そういうことを言いたいんじゃないんだが。
しかし朝焼け色の瞳は、いつものように笑ってはいなかった。
「先生、わたしのこと、聡明だって言ってくれましたよね」
「ええ」
「賢い女性って、魅力的だと思いますか?」
「……そうですね」
とりあえず首肯する。
「じゃあ、トップの成績で女学院に入ったわたしって、他の子達より……マリアさんやルシアさんやジェーンさんより、知的でセクシーでキュートですか?」
その理屈だとユリア嬢の方が魅力的ということになりそうだが、いいのか。
いや、そもそもの話、
「ソフィア君。今、俺が言いたいのはそういうことではなくて――」
「わたしは、すごく優秀で、完璧で、かわいくて魅力的だから……先生は、ずっと、わたしの先生でいてくれますよね?」
その問いに。
俺はどう答えればよかったのか。
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