第44話 勇者と、その後継

 その日、帝都ソル・オリエンスの空には、雲が厚く垂れ込めていた。

 太陽の名を冠するこの街には珍しいことだった。


(まるでソフィア嬢の胸中みたいだな)


 どうしてそんなことが分かるのかといえば、彼女の顔に書いてあるからだ。


 何故わたしはここにいるのか。

 何故、訓練用の木剣を手に母親と対面しているのか。

 久々に先生が特訓してくれると言うから喜び勇んでいつもの中庭に来たら、どうしてお母様も一緒にいるのか。

 嫌だ、帰りたい、カズラ先生の卑怯者、嘘つき、悪党、人でなし。


 概ねそんなところか。


(事前に逃げ出されては困るからな)


 ……ソフィア嬢と距離を置いて向かい合っているアメリア少将に視線を移す。


(こっちはこっちで、相変わらず読めない人だ)


 うっすらと微笑んでいるようであり、しかしそれは整いすぎた顔の造作がそうさせているだけで、本人は無表情なつもりなのかもしれない。


 それとも本当に喜んでいるのか。

 これまでほとんど関わりを持てなかった娘と、ようやく一緒に訓練をする時間が作れたのだ。

 ここぞとばかりに張り切っているのだろうか。


(……そんなもの、分かるはずもない)


 いずれにせよ、見る者にはその美貌だけが焼き付いていく。

 まさに魔性の美女だ。


「カズラ少尉。始めてもよいかな」

「ご存分に、少将閣下」


 アメリア少将は頷き、木剣を構える。


「【赫灼たる籠グリスタリング・クレイドル】はもう使いこなせるようになったと聞いているが、間違いないかな」

「……はい。お母様」


 ソフィア嬢が肩をすぼめる。

 見様見真似で実戦にユニークスキルを持ち込んだことを咎められると思ったのだろう。


 だが、アメリア少将はさして気にした様子もなく。


「結構、では次に進むとしよう。思い上がったデイブレイクの長女を教育するためにも、早く揺り籠クレイドルから外へ踏み出してもらわねば」


 あっさりと告げる。


「試練だ。死中に活を見出したまえ。次なる明星の運び手スターブリンガーよ」

「はい、って、え、えぇ……?」


 予想外の反応に、呆気にとられるソフィア嬢。

 正直、俺も同じ気持ちだった。


 アメリア少将だけが一人頷いて、


「さあ、剣を取れ――ッ!!」


 一足飛び、横薙ぎの一閃――いや、三度は斬ったか。


 注視していても判断に迷うほどのスピード。

 高速の剣撃を放つ上級スキル【剣閃フラッシュブレイド】の三重発動だ。

 並の剣士なら斬られたことにも気付かないだろう。


 驚くべきは、すべてを捌き、かわしきったソフィア嬢の反射速度。


「――――ッ」

「ふんッ」


 アメリア少将は更に上を行く。

 【踏鳴クエイクステップ】――地面を砕くほどの踏み込みでソフィア嬢の逃げ足を挫き、その反動を加えた【紫電衝ライトニングピアス】で鳩尾を貫く。


 いずれも必殺の威力を持つ上級スキルだ。

 木剣とはいえ、防ぎ方を違えれば死につながる。


「こっ――のぉッ」


 迎え撃つは【鎧刺しアーマー・ピアシング】。

 ソフィア嬢がジェーン嬢から見取った初級スキルだ。

 正確無比にアメリア少将の剣の軌道をなぞり、ぶつかり合う。


 甲高い炸裂音――練り上げられたマナの衝突に特有のもの。


「見事な反応と判断力だ。カズラ少尉は想定よりも数段いい仕事をしてくれたようだね」


 満足気に頷くアメリア少将。

 対照的に、ソフィア嬢の顔は青褪めていた。


 現役の勇者ブレイヴが放つプレッシャーゆえか、それとも。


「お母様っ、今のは……」

「言っただろう。モーニングスターの血統クラスに伝わるスキルは、言葉で伝えられるものではなく」

「そういう――そういうことではなくてっ!」


 いつもの大声はどこへいったのか。

 ひきつる喉を宥めるように、ソフィア嬢が慎重に口を開く。


「今……私を、殺すつもりじゃありませんでしたか」

「まさか。防ぐと確信していたよ」


 答えになっていない。

 スキルの威力は本物で、それはソフィア嬢が死んでも仕方ないという意思に他ならない。


「これぐらいは出来て当然だ。君は、モーニングスターの血を受け継ぐ剣士だからね」

「……剣士だから。希望だから。わたしが、可能性、だから。だから――」


 ソフィア嬢の声が震える。

 いつかの夜、自分への期待を疎み、未来を拒んだ時のように。


「だから、耐えろっていうんですか! いつも、いつも、強くなれ! 友達を殺しても、お父様を亡くしても、どれだけ血を見ても! お母様に――お母様に、殺されそうになっても! 強くなれって!」

「それが始祖より連綿と受け継がれるモーニングスターの務めであり、君の父上の願いでもある」


 瞬間。

 俺は心がひび割れる音を聞いた。


 もちろんそれは錯覚で、聞こえたのは揺らぎ渦巻くマナが放つ高音だった訳だが。


(マナ・ボルテックス――)


 感情の高ぶりに反応してマナが体の周囲に渦を巻く現象。

 極めて多量のマナを持つ者にしか起こせず、高度なスキル発動の予兆として警戒される。


(ここからが本番だな)


 しかして、ソフィア嬢の【赫灼たる籠グリスタリング・クレイドル】が発動した。

 迷宮の主ダンジョン・ボスをも消し飛ばす、モーニングスター家のユニークスキル。


 ソフィア嬢の周囲で迸る光条は、以前よりも遥かに安定しているように見えた。

 指が触れたら腕ごと消し飛びそうなほど高い出力が、彼女を強固に守っている。


「お父様を、説得の、材料みたいに――っ!」


 踊る光の一筋が、矢となってアメリア少将に襲いかかる。

 それこそ喰らえば蒸発しそうなほどの熱を帯びて。


「事実だよ。彼はいつも、君の成長と人々の安寧を望んでいた」

「強くなって偉くなって! わたしを立派な後継者に仕立て上げて! 家を繁栄させて! 全部――全部っ、あなたの望みじゃないですかっ!」


 しかし、輝きはアメリア少将の身体をすり抜けた。

 光に目がくらんだのかと思うほど――ほんの僅かな動きで、あの熱線をかわしたのだ。


 光条が突き立った大地は炸裂し、派手に土砂と芝を巻き上げる。


「わたしも、お父様も! あなたの道具じゃ、ありませんっ!」


 その一瞬で、ソフィア嬢はアメリア少将の間合いに踏み込んでいた。


 乱れ舞う【赫灼たる籠グリスタリング・クレイドル】の光と、その間隙を埋めるように繰り出される木剣。

 苛烈というのも生温いほどの連撃。

 まともに喰らえば跡形も残らないだろう。


(あの戦嫌いが、ここまで徹底的にやるか)


 これほどの激情がソフィア嬢の中に眠っていたとは。


「それが最善の道なんだ」


 暴虐にも等しい光の乱舞を受け止める木剣に、同じ輝きが宿る。

 あるいはそれが、アメリア少将が教えようとするユニークスキルなのか。


「彼の死に報いるため。奴の研究を闇に葬るため。君に惨めな人生を送らせないため。私はそう決めたんだよ」

「勝手な、こと――っ!?」


 全力で連続攻撃を続けてきたソフィア嬢の動きが鈍る。

 怒涛の如き光の雨が揺れて、解けていく。


「……かなり粘ったね。もう少しで危ういところだったよ」

「ああ、もう、まだ――まだまだ、こんなんじゃ……っ」


 マナ不足。

 あれだけ大規模な攻撃スキルを全力で放ち続ければ、体内のマナが底をつくのも早くなる。


 しかし責められるべきはソフィア嬢ではない――これほどの猛攻を受けてなお、耐えきるアメリア少将こそが規格外なのだ。


「常に冷静でいなさい。例え愛するものを目の前で失っても。我々勇者ブレイヴが背負っているのは、万民の命なのだから」

「――――っ!!」


 光を秘めたアメリア少将の木剣は、勢いを失ったソフィア嬢の剣撃を無造作に撥ねつけた。

 返す刃で――正確にソフィア嬢の首筋を狙う。


「そうでない者に、我々の技ユニークスキルを使いこなす資格はない」


 切っ先よりも冴え冴えとした赤い眼差し。

 これが本物の勇者ブレイヴ――幾万の屍を積み上げてきた最強の騎士の目なのか。


 その瞳のほど近くに、俺は石つぶてを放っていた。


 ばちん、という軽い音がして。

 巨竜すら屠る騎士の視線が、今度は俺を向いた。


「……どういう、つもりかな。カズラ少尉?」

「こちらの台詞ですよ、アメリア少将」


 正直、生きた心地がしなかった。

 だがそんなのは今更だ。


(少将に殺される夢なんて、監獄を出てから何度も見た)


 もう飽き飽きしているぐらいに。


「俺が頼んだのはスキルの伝授――訓練です。それ以上でも、それ以下でもありません」

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