第38話 教師、令嬢、密室で二人きり……

「マリア様に対する授業の内容には誰も口を挟まないこと。もちろんソフィア君も。いいですね?」


 わたしはできるだけ低音を聞かせながらカズラ先生の言葉を繰り返し、


「――なんて真剣な顔で言うから、わたし、ちゃんとハイって頷いたんですよ?」


 拳を握って叫びます。


「そしたら先生ってば、放課後デイブレイクのお家に来るなり、わたしをこのサロンに置き去りにして、マリアさんと二人きりで訓練室に閉じこもっちゃって! もー!」

「いやオマエが頼んだんだろーがよ。受け入れろ、結果を」


 何故かわたし達についてきてくれたルシアさんはいかにも面倒くさそうにぼやきながら、一人でコンビネーションの練習をしていました。

 瀟洒なサロンの隅で黙々と拳を振るう姿は、ちょっと異様です。

 まあ、そもそも制服の着崩し方からして普通の生徒には見えないんですけど。


「だって、フツーわたしとマリアさんと先生の三人で仲良く放課後レッスンしてくださるって思いませんっ? その方がきっと楽しいですし、楽しい方がマリアさんの気分も変わるじゃないですかっ」

「でも、お話によれば、いつもソフィア様の想像の斜め上を行くのが、カズラ少尉という方の指導方法なのでは?」


 こちらも何故かついてきてくれたジェーンさんは優雅な仕草で、ティーカップをソーサーに置きます。

 相変わらずルシアさんとは対照的に、上品かつ古典的な――むしろいっそコミカルな巻き髪が、たおやかに揺れました。


「そうなんですけど! でも今回は話が違うじゃないですかっ」

「つまり、これまでソフィア様のためだけに尽くしてこられたカズラ少尉が、初めて他の女性に傾注なさる。ソフィア様はそれが気になるんですのね」


 わたしがぶんぶん頷くと、ジェーンさんは物憂げな溜息を漏らしながら、


「離れて初めて自分の気持ちに気づく――ええ、ええ、分かりますわ、ソフィア様。あの名作『薔薇色乙女の憂鬱』第十二巻の百二十七話と同じシチュエーションですわっ」

「流石ジェーンさん! ご存じなんですね、あの今世紀最高の一大傑作大河ラブロマンス小説をっ」

「もちろんですわ! ローランド卿の密命を帯びて敵国の姫の従者となったミッチェル。いつもそばにいたはずの彼がいなくなって、ローラ嬢がとうとう己の恋心を自覚した、あの名シーン!」

「しかしその頃、ミッチェルは仇の娘である敵国の姫に見初められ、褥に誘われてしまい――」


 ああ、なんということでしょう!

 今のわたしの状況と完全に重なっているのでは!


「……え、オマエ、じゃあ今、訓練室でマリアとカズラ少尉がヤッてると思ってんの?」

「いけません! いけませんよルシア様ッ! 仮にもクリス・テスラ女学院に通う乙女ともあろう者が、それ以上は!」

「それ以上も何もねーよ。つか口をふさぐのが遅えよ、バカ」


 そんな、昨日の今日でいきなり二人の関係がそこまで進むなんて、いくらわたしでも疑ったりしませんけど。


「でも、その……ちょっと。最近、不安なんです」

「マジか。オマエみたいな能天気にも、そういう感情はあるんだな」


 ちょっと、流石に酷くないです?


「ワリぃワリぃ。で、何が?」


 わたしは視線を上げてルシアさんを――その肩越し、廊下の先に見える訓練室の扉を見やると。


「カズラ先生が……わたしの前からいなくなってしまうんじゃないか、って」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「まずは――身につけているそれ・・を外してもらえますか?」


 目の前に立つ俺がチョーカーを指していることに気づくと。

 マリア嬢は信じられないものを見る表情をした。


「カ、カズラ少尉っ? どうしてこれ・・のことを――ま、まさか、あなたも、ローズ中尉と同じ……白夜部隊ミッドナイツ、なんですか」

「その名前は軽々しく口に出さない方がいいですね。誰が聞いているか分かりませんから」


 肩をすくめて答えると、マリア嬢が慌てて自らの口をふさぐ。


「関係者だ、とだけ言っておきます。俺が見たいのは君の本当の実力・・・・・ですよ。さあ、早く外してください」


 首を振って、拒絶。


「……嫌、です。これが、無くちゃ……私は、ただの低適性者ロークラス、なんです」


 まあ、そう言うだろうと思っていたが。


 俺は一つ溜息をついてから、


「自分が低適性者ロークラスだと認めるのが嫌ですか。周囲に見下されるのが辛いですか。だから、レベード試験官を惨殺したんですか。ちっぽけなプライドを守るために。あそこまでせずとも、彼女を倒すことは出来たのに」

「あっ、あなたみたいな高適性者ハイクラスに、何が分かるって言うんですか!? 私は、お姉様のように、強く、強くならなきゃ――っ!?」


 ――はっとした表情で、マリア嬢が首元を探る。


 そこには、もうチョーカーはなかった。


 彼女の背後に立っていた・・・・・・・・俺は、掠め取ったマリア嬢のチョーカーを弄びながら、


「今。俺が何をしたか分かりましたか」

「そんな。いえ、どうやって!?」


 狼狽するマリア嬢の前で、完璧に俺を模した幻が宙に溶けていく。


 マナによって己の幻を作り出す、幻覚系の最上位スキル【空蝉ウツセミ】だ。

 こんな他愛ない悪戯に使うのはもったいないほどの技。


「これも見抜けないようなら、君は遠からず殺されるでしょうね。例えチョーカーの助けがあろうと、間抜けは戦場では生き残れない」


 俺はあからさまに鼻を鳴らして、


「さあ。悔しければ奪い返してみせなさい、マリア様」

「かっ、かっ――返してっ、返しなさいっ!!」


 慌てて伸ばされた手をするりとかわす。

 マリア嬢は追いすがるが、俺はすべて紙一重で回避していく。


「それが本気ですか? あの時の活躍は、すべてこのチョーカーのおかげだったんですか?」

「くっ――この――ああもうっ、ちょこまかとぉっ!!」


 幾度となく、チョーカーを掴み取ろうとするマリア嬢。

 その瞳に宿るのは、燃えるような意志の光。


(なるほど。悪くない)


 理由はどうあれ。

 マリア嬢には己を突き動かす強い原動力がある。


 あるいはソフィア嬢に最も欠けているかもしれない資質。


「っこの! この! このぉぉぉぉぉっ!」


 まるで遠慮のない掌。

 彼女なりの全力を込めているのだろうが、とても当たってはやれない。


 何しろ彼女の動きには、マナが籠もっていない。

 つまり彼女はスキルがほとんど使えない――体内のマナ総量が少ないのだ。


 これぞ、まさに低適性者ロークラス


 ……逆に言えば、マナを使わずにここまでついてきているのだから、基礎的な身体能力は優れているのだが。


(――さて、と)


 壁際に追い詰められた――追い詰められるように移動してきた俺は、手近なところにかけられていた訓練用の木剣を掴んだ。


 もう何度目になるか、マリア嬢の突撃を回避すると。

 その眼前に、切っ先を突きつける。


「そろそろ身体が暖まってきたでしょう。手加減はこの辺で終わりですよ、マリア様」

「――――っ」


 マリア嬢は、刀身と俺を交互に睨みつけて。


「私、だってっ!!」


 引き剥がすように、壁の木槍を手にした。


(……まずは第一歩、か)


 これで、あの試験以来、久しぶりにマリア嬢は武器を握ったことになる。

 それだけですべてが解決するとは思わないが。

 とにかく少しずつ、できることをやるしかない。


「さあ、あがいてみなさい」

「言われなくても――!!」

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