第37話 どうして生徒が一人増えるんだ?
「先生っ、喜んでくださいっ! 可愛い教え子が一人増えますよっ!」
――マリア嬢の寝室は、デイブレイク邸の南棟三階にあった。
広い庭園に面しているから、さぞ日当たりも良いのだろう。
扉の前で待機を命じられていた俺は、そんなことをぼんやりと考えつつ、邸内を警備している騎士達の視線に耐えていた。
もしもあの中に、監獄にぶち込まれる前にやりあった相手がいたら困るな。
どうやってしらを切ろうか。
と、そこに、マリア嬢の寝室から飛び出してきたソフィア嬢の歓声――あるいは叫び声である。
「やりましたねっ! 生徒が倍でお給料も倍ですよ先生っ」
打ち破られた静寂と居心地の悪さを惜しみつつ、俺は彼女を振り返った。
「何を浮かれてるのか知りませんが、少し声を落としてください。ここは病人の部屋の前ですよ、ソフィア君」
「その病人さんが元気になる手助けをしてほしいんですよっ」
……驚くべきことに。
喚くソフィア嬢の後ろに、マリア嬢の姿があった。
無理やり引っ張ってこられたのか、寝間着にガウンを羽織っただけのあられもない姿。
俺はさり気なく目をそらしながら、
「……もう体調はよろしいのですか? マリア様」
「いえ……あの。ソフィアさんが、ぜひ一緒にと仰るので」
執事曰く、試験の日からすっかりふさぎ込んでしまい、この一ヶ月ほどまったく部屋の外に出ておらず、ごく僅かな世話係としか話していないということだったが。
一体どんな手を使って、ソフィア嬢はマリア嬢を引っ張り出してきたのだろう。
まったく恐ろしい少女だ。
世が世ならそのスキルだけで国を傾けていたんじゃないか。
「……お初に、お目にかかります――で、よろしいでしょうか? 家庭教師さん」
「ご配慮、痛み入ります」
マリア嬢は聡い少女だ。
例の実地試験のときに、俺が試験会場となったダンジョンにいたことも気づいているし、それを世間に知られてはまずいことも理解している。
だから彼女の挨拶に、俺は騎士らしく膝をついて応えた。
「カズラと申します。アメリア少将閣下の命により、ソフィア・モーニングスター様の家庭教師を勤めております。どうぞお見知りおきを」
「ごっ、ご丁寧に……ありがとうございます。マリア・デイブレイク、です」
貴族令嬢と騎士の間で交わされる、ごく当たり前のやり取り。
だが、ソフィア嬢は何故か頬を膨らませている。
「あのっ、先生っ! なんかすごく、あの、アレじゃないですかっ!?」
「アレとは?」
「すごく……劇的な? 他人行儀? というか お姫様扱い――そう! マリアさんに対して、とても紳士的な態度じゃありませんかっ!?」
何を言ってるんだ、このお嬢様は。
君に対する態度を他のご令嬢に向けたら、俺はあっという間に無礼討ちだぞ。
「それって……つまり、わたしが特別ということですか……?」
「はい。そうです。そういう理解にしておいてください」
途端に瞳をきらめかせるソフィア嬢を、適当に片手であしらいながら、
「マリア様。お部屋の外に出られたのは素晴らしいですが、もしかしてソフィア君に何かよからぬことを吹き込まれましたか? 妙な恋愛テクニックとか」
「先生ったら、言い方に棘がありませんか? わたし、きちんとご提案差し上げたんですよっ! カズラ先生ならきっと、マリアさんの悩みも解決してくれるって!」
……あくまで、マリア嬢に話しかける。
「その……
「そういうことですっ! わたしにしてくれたように、マリアさんを女学院に通えるよう指導してあげてください、先生っ!」
何を言っているんだ、彼女達は。
(ソフィア嬢とマリア嬢では、まるで状況が違うじゃないか)
マリア嬢は騎士嫌いではないし、よく分からない恋愛テクニックに熱中していないし、やたら強靭な精神を持ち合わせていない。
(それに、ソフィア嬢ほどの素質を持ち合わせているかも分からない)
マリア嬢は、例のスキルを付与するチョーカーの使用者だ。
チョーカーを失ったローズが目に見えて弱体化したように、これまで見てきたマリア嬢のスキルも本来の実力ではない可能性が高い。
となれば、女学院に通い始めたところで良いことはないかも知れない。
何よりも。
「……アメリア少将のご命令には、ご友人のお世話は含まれておりませんが」
アラステア大佐暗殺計画の準備を早々に進めなければならない。
俺にはもう、ソフィア嬢以外の面倒を見ているほどの時間は残されていないのだ。
「むー、先生、そういうこと言いますか? 本当に良いんですか? わたしがマリアさんみたいに、明日から部屋に引きこもって日なたでお菓子食べて本読んでカーテンの編み目を数えて庭の木の葉っぱを数えてスープに入ってるクルトンを数えたりするスローライフを始めちゃっても良いんですか?」
「あの、ソフィアさん、私、そこまでダメな暮らしは、してない、です……」
若干悔しそうな顔で、マリア嬢がソフィア嬢の袖を引く。
「お願いです、カズラ先生! マリアさんを、ちゃんと女学院に通えるようにしてあげてくださいっ!」
とはいえ。
まあ、自分でも理解していたことではあった。
(……もう、教師は辞めるつもりだったんだけどな)
元々は生き残るため、そして仲間の仇を見つけるために、少将から科せられた刑務に過ぎなかった。
だが、この自由で頑固で奔放な少女と共に過ごすうちに、自分の認識が変わっていたのだ。
(人にものを教えるっていうのは……案外、悪くない仕事だ)
少々手間はかかるが、心優しく真っ直ぐな生徒が相手ならば、なおのこと。
「……いくつか条件があります」
「問題ありませんよっ」
「最後まで聞きなさい。まず、両家のご当主――アメリア少将とクレア公爵のご同意を得ること。授業はデイブレイク邸で行うこと。それから」
俺は、静かに告げる。
「マリア様に対する授業の内容には誰も口を挟まないこと。もちろんソフィア君も。いいですね?」
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