第34話 追憶・中編 ボクとキミは友達だ
「ねぇ、キミ。どうしてここにいるの?」
「えっ……と、あの。み、道に、迷ったんです。道に。たまたま、近くを歩いてて、えっと、嘘じゃありませんっ」
わたしとイヴリナが出会ったのは、帝都にある理術研究院の裏庭でした。
当時はまだまだ幼くて自由で奔放だったわたしは、事あるごとに研究院に忍び込んでは、オフィスでお父様と仕事や勉強やお稽古ごとの愚痴をこぼし合ったりしていたのです。
もちろん、理術研究院といえば帝国騎士団の機密たっぷりの施設です。
いくらモーニングスター家とはいえ民間人の子供が気軽に出入りできる場所ではなかったのですが……
見たところわたしと同じ歳ぐらいの少女は、少し考えたあとで、
「……トイレならあっちの廊下の先、食堂なら南の建物だよ」
「えっ、あれ、食堂があるのは西側の棟じゃ――」
思わず口走ってから、わたしは慌てて口をふさぎました。
柔らかな黒髪の少女は目を瞬かせます。
「……たまたま? 近くを歩いてて?」
「う……う、うっそぴょ~ん……」
なんでこんなこと口走ったんでしょう。
これ、お父様が言ってたオヤジギャグですよ。執事の方に呆れられてたやつ。
案の定、彼女もぽかんとしていました。
「キミ……変な子だね」
「よ、よく言われますっ」
裏返った自分の声を聞いて、わたしはようやく自分が緊張していたことに気づきました。
だって、同年代の方とお話したことなんて全然なかったんですもの。
「そうだと思った。ボクはイヴリナ。キミは?」
「あ……ソフィア、です。ソフィア――ソフィアです」
「ソフィア・ソフィア? 変わった名前だね」
家名を明かさなかったのは、お父様やお母様に迷惑をかけてはいけないと思ったから。
……ううん。
それより、イヴリナの態度が変わってしまうのが嫌だったから、かもしれません。
「その、イヴリナさん? あなたはどうして、こんなところに?」
「ボク? んーっと……実は、ボクも道に迷っちゃったんだよねぇ」
悪戯めいたイヴリナの笑み。
「……もしかしてわたしのこと、からかっています?」
「思いっきり嘘ついてた人に言われたくないなぁ」
それが、わたしにはとても新鮮に感じました。
こんな風にわたしをからかう方、お父様ぐらいしかいなかったんです。
――こうして、わたしはイヴリナと友人になりました。
わたしにとって初めての友達でした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ソフィアお嬢様! ソフィアお嬢様、どこにいらっしゃるのですか!? 騎士たるもの、任務の放棄は許されませんよッ!!」
「相変わらず君の声はよく通るね、エリーン少尉」
「アっ、アメリア大佐っ! お騒がせして申し訳ありませんっ――遠征よりお戻りになられていたのですね!」
慌てて敬礼する女騎士。
アメリア大佐は気にも留めず、周囲に視線を投げかけます。
「ふむ。君ほどの騎士でも、あの子を繋ぎ止めておくことはできないか」
「面目もございません。まさかあの年頃の少女に木剣を叩き折られるとは――」
「恥じることはないよ、少尉。剣を折られたのは君が初めてではないからね」
アメリア大佐は怒るでも笑うでもなく、強いて言うなら何かを諦めたような顔で、屋敷の中庭――わたしが姿を消した跡を眺めていました。
どうしてそんなことを知っているのかと言えば、その時、わたしはまだ中庭の隅に隠れていたからなんですけど。
「……やる気のない者を手をかけても仕方ない。それより少尉、今回の遠征の報告には君も参加してくれたまえ。次回は参加してもらうからね」
「ハッ、承知いたしましたッ、大佐ッ――」
結局、エリーン少尉もお母様も立ち去ってしまいました。
わたしを残して。
……お母様はずっと、こんな感じでした。
やたらと厳しい家庭教師をわたしに押し付け、本人は知らんぷりで任務に没頭。
時々顔を合わせたと思えば、やれ騎士の誇りだ勇者の務めだってお説教ばかり。
わたしはいつもウンザリして、逃げ場を探していました。
家庭教師の授業だけでなく初等学校も中等学校も抜け出し。
叔母様がいるシリウス家に遊びに行ったり、理術研究院に忍び込んでお父様のオフィスにお邪魔したり。
「それでね、ロゼリア叔母様がおっしゃったんです! 『ったく知らないから! そんなに跡継ぎが欲しけりゃ自分で産みなさいよバカ!』って!」
「アハハ、キミの叔母さんって、すごい人なんだねぇ」
「とっても素敵な方なんですよ! いつも美味しいお菓子を出してくれますし、闘技場とかカジノとか劇場とか、楽しいところにもたくさん連れてってくれますし!」
わたしが拳を握って力説すると、イヴリナはいつも楽しそうに笑ってくれました。
「ボクも、そんな風に言ってくれる親戚がいたら良かったなぁ」
「イヴリナのご家族ってどんな方なんですか?」
「……うちは、あんまり良い
時々、イヴリナが言葉を濁すとき。
わたしは彼女が何を避けているのか、分かりませんでした。
彼女は首元のチョーカーに触れながら、少し気まずそうに、
「なんていうか……一応は騎士階級なんだけど、半分は小作人やってるみたいな家で。余裕ないんだよね。少しでも良いクラス適性を出して正騎士になれ、帝都に行け、登り詰めろって感じ」
「……厳しいおうちだったんですね」
イヴリナが頷きます。
「だから、ボクみたいなクラス適性が
「売りに――えっ?」
思わず聞き返したとき。
わたしはどこかで期待していました。
いつものようにイヴリナが悪戯っぽく笑ってくれることを。
冗談だよ、牛や馬じゃあるまいし、って。
「いや、むしろラッキーだと思ってるんだよ? 前線に出されたり子作りの道具にされたりもしてないしさ! ま、外に出られないのは残念だけど、このチョーカーを付けてスキルの訓練するだけで美味しいご飯も食べられるしね」
それは何かを隠すための笑みでした。
痛みなのか悲しみなのか、それとも怒りなのか。
はっきりと分かるのは、イヴリナは望んでここにいるのではなく。
誰かが――あるいは何かが彼女を引きずり出してきた、ということでした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「お父様! お話がありますっ!」
「今日のオヤツならもう食べたよ。父さん、お前が来るのをずっと待ってたのに」
しゅんとしているお父様の執務机をバンッと叩いて、
「イヴリナさんを解放してあげてくださいっ」
わたしが叫ぶと。
お父様は少しだけ面食らったあと、すぐ真剣な表情になりました。
「……そのうち、言い出すんじゃないかと思っていたよ」
「えっ、それじゃわたしがこっそりイヴリナさんと仲良くなっていたのもご存知だったんですねっ」
「こっそりも何も中庭で堂々と遊んでいただろ、お前は」
お父様は呆れたように溜息をつきます。
それから気を取り直し、
「ソフィア。
「なんですかそれ、どういう意味ですかお父様っ」
そのときのわたしは、本当に分かっていませんでした。
お父様も、わたしの表情からそれを読み取ったのだと思います。
「例えばイヴリナ――彼女の生家は
「でも、それなら貴族や騎士以外の生き方を選ぶことだって――」
「今より劣悪な生活環境で、
絞り出すようにお父様は語ってくれました。
「オレ達騎士は――いや、帝国は今も魔王フォルカスとの戦いを続けている。戦線を維持するのに手一杯で、
心底からの口惜しさを滲ませながら。
それでもわたしは何かを言い返そうと――そうすれば何かが変わるような気がして、口を開きました。
「でも、だって、弱者や困っている人々を救うのが騎士じゃないんですかっ、お父様! モーニングスターの名はっ、夜明けを告げる星の名はっ、人を苦しめる闇を払うためのものだって、お母様も仰っていましたっ!」
お父様に怒りをぶつけたところで、何も変わりはしないのに。
「……そうだな。お前もアメリアも正しいよ。間違っているのは、力及ばないオレ達の方だ」
微笑みは力なく。
この時、わたしはガッカリしたのだと思います。
お父様なら、わたしが大好きなお父様ならきっとなんとかしてくれる――そんな風に思っていたのに、裏切られたような気がして。
もう投げつける言葉も思いつかず、わたしはお父様の執務室を飛び出しました。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それからわたしは一週間かけて、イヴリナを自由にする手段を考えました。
お父様にもお母様にも頼らず、自分だけで何ができるのか。
挙げ句、何も思いつきませんでした。
そのことを正直に話すと、イヴリナはあっけらかんとした笑い方で、
「ソフィアってすごいマジメ、っていうかちょっとおバカなとこあるよねぇ」
「バ……バカ、ですか……?」
「ああ、ごめんごめん、その、頭が悪いって意味じゃなくってさ。暴走癖っていうか、思い込みが激しいっていうか」
それ悪口じゃないですか?
「何言ってんの。よく言うでしょ、馬鹿な子ほど可愛いって」
「やっぱりバカにしてますねっ」
むくれるわたしを見て、イヴリナは随分と楽しそうに笑ったあと、
「……ありがと、ソフィア」
「な、えっ、なんでですか?」
さっきまでからかわれていたと思ったのに、今度はものすごく真面目な顔でした。
「だって、ボクのために何かしようって思ってくれたんでしょ。それだけで嬉しいからさ」
「そんなの、当たり前じゃないですかっ」
わたしが胸を張ると、イヴリナは少しだけ目を細めます。
「『騎士たるもの、民を守が務め』ってやつ?」
「友達だからですよっ」
以前読んだ本にも書いてありました。
友とは互いに助け合うものだと。
友達、今までいたことないですけど。
「……そうなんだ」
それから、しばしの沈黙。
わたしが耐えるには長すぎるほどの。
「え……と、も、もしかして……その。わたし、友達、ではないですか?」
「ううん、違うよ。って、あ、そういうことじゃなくて――友達だよ、ボクとキミは」
イヴリナは笑い、それからおもむろに上着のポケットをまさぐりました。
「その証拠に……ボクから……スペシャルな、プレゼントを……」
「…………?」
やがて差し出された彼女の手のひらに乗っていたのは、
「これ……マナクリスタル、ですか?」
「ごめん。私物って、こんなものしかなくて」
それは文字通り、結晶化されたマナでした。
ある種のスキルの副産物として生み出されるものです。
生体から放出されてしまったためにエネルギーとしての価値はなく、透き通った結晶は宝石に似ていますが、硬度が低くありふれているので金銭的な価値もなく。
教科書の表現を借りれば抜けたあとの乳歯みたいなもの、なんですが。
「えっ、私物……わ、わたしに渡していいんですか?」
「もっとまともなプレゼントがあればよかったんだけど。でもそれ、一応ボクとお揃いなんだよ」
イヴリナは自分の首にかけられたチョーカーを指差しました。
確かに、マナクリスタルが嵌っています。
「このチョーカーに嵌めるからって、いくつかマナクリスタルを作らされてさ。そっちはサイズが小さかったんだけど、すごく透き通ってたから取っておいたの」
作らされた?
マナクリスタルなんて無用の長物を、どうして?
つい好奇心の矛先を向けようとして、わたしはハッと我に返りました。
「――ありがとうございます、イヴリナ。大切にしますねっ」
「あげといてなんだけどさ、なんか大事にされるのも恥ずかしいんだよねー、お婆ちゃんが自分の乳歯をいつまでも取っておいてるみたいな」
えー、なんですかもう、どうするのが正解なんですかっ。
「もちろんちゃんと取っておいてよね、お婆ちゃん」
憮然とするわたしに、イヴリナはウインクをしてみせました。
――この後、しばらくして。
イヴリナの様子は、少しずつおかしくなっていきました。
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