第8話 だから授業を始めさせろと言っているのに

「まず備えるべきは、二週間後に控える聖クリス・テスラ女学院の入学試験です」


 さも知ったような顔で――実際には一夜漬けで試験概要と対策資料を読み漁ったに過ぎない――、俺は続ける。


「入試での成績とスキル習熟度レベル判定、そして適正職能クラス診断を加味した総合成績で上位五パーセントに入ること。それが“黎明の御子ルシファー”になる最短ルートです」


 無論、入学してからの巻き返しも不可能ではない。

 だが過去二十年での例は一度だけ。目指すのは現実とは言い難い。


「という訳で。ソフィア君には、間もなく実施される入学試験に備えて、スキルレベルの向上に努めてほしいんですが」

「…………」

「ほしいんですが」


 大事なことなので二回繰り返した。

 だが。


「……ふごふごふご」

「何をやっているんですか、ソフィア君?」


 ソフィア嬢はパンをくわえたまま、妙なポーズで立ち止まっていた。

 両手と両足を前後に広げて――走っている最中のような。


「ふご! ふごふご!」


 何かわめきながら、こちらを手招きしている。

 あくまで例のダッシュポーズは崩さないまま。


「…………?」


 とりあえず近寄ってみる。

 正直、何をしたいのかはまったく分からないが、ソフィア嬢が納得しないと授業が始まらない気がする。

 本当にまったく分からないが。


「――ふごーっ!」


 体当りされた。

 といっても本気のタックルではなく、肩がぶつかっただけ。


「きゃーんっ、いやーんっ」


 だというのに、大げさに転ぶソフィア嬢。

 やたら短いスカートを履いているにも関わらず足をブンブンと振り回すから、白い下着が見えてしまう。ついでにくわえていたパンもすっ飛んでいく。


「…………」


 どうしよう。とうとうご令嬢がおかしくなってしまった。

 やはり先日の暗殺未遂がよほどショックだったのか。

 それとも殺人的スケジュールによるストレスのせいなのか。


「……どうですかっ」


 がばっ、と起き上がりながら、ソフィア嬢はキラキラした眼差しで俺を見る。


 ……医者を呼んできましょうか。頭の。


 という台詞が喉元まで出かかる。

 だが、彼女が求めているのはそういう返答ではないだろう。


(ここで正解しないと、授業が始められない)


 俺は……熟慮に熟慮を重ねた上で、口を開いた。


「……転ぶ演技をするのであれば、スカートは長いものの方が良いのでは」

「あーっ! えっち! カズラ先生、わたしのパンツ見たんですねっ」


 ぐっ。

 何も言い返せない。


 俺が黙っていると。

 今度は何故か、ソフィア嬢の顔が赤くなっていく。


「……み、見えちゃいましたか? 本当に見えちゃったんですか?」

「申し訳ないんですが」


 冷静に考えれば、見せられたのは俺なのだから被害者は俺のはずなのに。

 とうとうソフィア嬢は耳まで赤くなって、


「えーっ、えーっ、まさか本当に見えちゃうなんてっ――あの書物では不思議な力で乙女の下着は守られるって書いてたのにぃ――せっ、先生に見られるなら普段履きのじゃなくてもっと良いのを――そう、世に聞く『勝負パンツ』という逸品にしておけばっ――」


 銀の髪を両手でくしゃくしゃとやりながら、ブツブツと呟いている。

 これ発狂してないよな?


 正直言って、ここは黙って去るのが一番正解のような気がしたけれど。

 俺はソフィア嬢に手を差し伸べながら、訊ねた。


「今日はどういう魅了スキル・・・・・の練習ですか?」

「あっ、ありがとうございます、……これは、古の書物に記されていたレアスキル【パンをくわえて曲がり角でドッシーン】ですっ! 帝国図書館で見つけたんですよっ」


 うん。知らないやつ。

 というかスキル名長くないか? もう文章じゃない?


「あのですねっ! 遥か古代の研究によると、こういう不意の衝突による出会いがトキメキをもたらし、二人の距離を急速に縮めるという法則があるらしいんですっ」


 不意じゃない。衝突じゃない。そもそもここは曲がり角じゃない。

 だだっ広いモーニングスター邸の中庭。見通しは最高です。


 ……俺はまたしても言葉を飲み込んで。


「なるほど。流石はソフィア君、研究熱心ですね。では、そろそろ戦闘用スキルの訓練を」

「で! どうでしたか先生っ、トキメキもたらされました!? キュンってしました!?」


 もたらされたのは果てしない徒労感だけ。


 しかしこれも仕事の一環だ。お嬢様の独特な価値観・・・・・・にも付き合わなければ。

 と、自分に言い聞かせる。


「ええしましたしましたキュンってしましたしましたとも」

「……なんだかやけに早口ですけど、どうしたんです、カズラ先生? 動悸が早くなったせいですか?」


 お追従を見破られるより早く、俺は腰に下げておいた二振りの木剣を引き抜いた。

 一つをソフィア嬢に押し付けながら、


「始めます! まずは通常の戦闘訓練、続いてマナの錬成訓練を!」


 スキルとは何か。

 マナ――つまり体内に存在する余剰エネルギーの解放である。

 そして解放には段階がある。


「すなわち、集中、錬成、行使の三段階。知っていますね、ソフィア君?」

「えっ……は、はいっ!」


 微妙に目を逸らしたなソフィア嬢。

 さてはこの子、感覚だけで使いこなしてきた天才型か。流石はモーニングスター家の血統。


「体内のマナを把握して滞留させる“集中”、構成を組み込んで異化する“錬成”、効果を発揮させる“行使”。スキルのレベルを高める上で重要なのは、二つ目――“錬成”です」

「ふむふむなるほどー流石ですねっ」


 雑な相槌。

 こうやって知識を適当に仕入れた結果が、あの奇行という訳か……


「マナの錬成訓練は、通常なら完全に集中できる環境での錬成から入ります。が」

「……が?」

「ソフィア君の場合、基礎は習得しているようですから、もっと高度な訓練から入った方が良いでしょう」


 ソフィア嬢は既に基本スキルを使いこなしている。スキル発動の三段階については習得済みということだ。それは先日の手合わせで分かっている。

 そもそもスキルが使えなければ中等学校から士官学校への志望許可が出ない、らしい。これも試験概要で知ったことだが。


 となると必要なのは、次のステップだ。


「特殊な状況下での錬成訓練。ソフィア君の場合は、もちろん戦闘中です」

「えーっ、戦闘訓練とは別にやるんですかぁ?」


 スキルを使わない訓練は、いわば準備体操だ。

 上級者はともかく、初級者がいきなりマナの錬成を始めると集中力を失ってまともに戦闘など出来なくなる。


「そういう訳ですから、さっさと始めます」

「はぁい……ねぇ先生、もう少しやる気の出る情報はありませんか?」


 無邪気な上目遣いで訊ねてくるソフィア嬢。

 まあそんなようなことを言われるだろうとは思っていたが。


 俺は溜息をついてから、


「……この訓練中に有効打を当てたら、俺の個人情報を一つ教えます」

「ホントですかっ!?」


 途端に、ソフィア嬢のルビー色をした瞳が燃え上がる。


「わたしが質問したことに何でも答えてくれるってことですかっ!?」

「常識の範囲内で」

わたしの常識・・・・・・でいいですかっ!?」

「……いいでしょう」

「やったーっ!!」


 なんなんだ、このアホらしいご褒美は。

 俺のプライバシーなんぞに価値を見出すんじゃない。変態か君は。


「それでは構えて――行きますよッ」

「はいっ! やっつけちゃいますよっ、先生っ!」

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