第7話 ご令嬢の瞳には情熱が宿る

「逃げて、お兄ちゃん――ここはッ! あたし達に、任せてッ」


 叫ぶ彼女の横顔は、額から流れる血で染まっていた。


「ダメだ、サクヤ! ここで俺が抜けたら、ヤツを止められない――」

「いいから行きなさいッ、カズラ! キミの【瞬歩シュンポ】なら振り切れる! これは命令よッ、任務を果たしなさいッ」


 唯一残された左手で長尺の片刃――カタナを構えながら、隊長――ベルヒカ少尉が吠える。


「しかし隊長ッ」

「うるさいッ! こんな時ぐらい、オネーサンの言うことを聞きなさいッ」


 俺は。

 周囲を見渡した。


(クソッ、ダメだッ、認めない、俺は認めないぞッ)


 自分が冷静さを欠いているのは、分かっていた。


(何かあるはず、何かできるはず、何か起こるはず)


 それでもまだ、探したかった。

 彼女達を――宵星部隊ヴェスパーズを救う手段を。


 希望にすがりたかったのに。


(……もう誰も、息をしていない)


 臆病者のメトット、怪力自慢のウェンライ、鷹目のアロー、ホグダとドミトリ、シェワンナ――

 みんな、いいヤツだったのに。


(俺達は、家族だったのに)


 今、俺以外に生きているのは、最年少のサクヤと隊長のベルヒカ少尉。

 そして。


(――白い鎧の騎士ホワイト・ライダー


 たった一人と一頭で、俺の家族を皆殺しにした。

 恐ろしいほど強い――最強の騎士。


 殺す。

 今ここで。


(ヤツさえ殺せば、みんな、きっと)


 俺は決意する――けれど、過去の俺・・・・が取った行動は、違っていた。


「――必ず、助けに戻るからな。二人とも」


 それだけ言い置いて、俺は踵を返す。

 愚かにも――取り返しがつかないと分かっていたはずなのに。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ……あの時の夢を見るのは、何度目だろう。


 数えるのは、もうとっくに辞めていた。

 それでも俺は自問してしまう。何度でも。


 いつも通り汗だくになった身体を拭うために、ベッドから起き上がろうとすると。

 膝のあたりに、妙な重さがあった。


「……ソフィア君?」

「――ふにゃ、あ、せ、先生っ! 目が、目が覚めたんですねっ」


 がばっ、と起き上がったソフィア嬢は、よだれを袖口で拭き取りながら笑う。


 その瞬間、俺は自分が置かれた状況を思い出した。


(そうだ。俺はこの子をかばって暗殺者のメイドを殺した。その後)


 毒のせいで意識を失って……


 周りを見る限り、どうやらモーニングスター邸の客間で看病されていたらしい。

 お嬢様の寝室ほどではないが、インテリアは十分に高級で、ベッドの寝心地も最上級。

 敷かれたマットは柔らかすぎて、逆に背中が痛いぐらいだ。


「お体の調子はどうですか? 気分悪くないですか? 痛いところ無いですか? お水とか飲みますか――って、きゃあっ!」


 サイドテーブルに置いてあった水差しが、ソフィア嬢が触れた途端に何故か宙を舞う。

 咄嗟に伸ばした手で捕まえると、俺は自分でカップに水を注いだ。


「すみません、まだちょっと、わたし寝ぼけてるみたいで……あっ、いえっ、寝てないですけど、全然っ、寝ずの看病してましたけどっ」

「……どうしてソフィア君が、看病を?」


 素朴な疑問。

 普通、貴族なら家庭教師の世話などメイドに任せるものではないのか。


 ましてもう夜明けも近い時刻――窓の外を見れば分かる――だ。

 明日もどうせ過密スケジュールなのだから、さっさと自分の部屋で休んでいればいいものを。


「心配だったからですよっ! 先生ったら、お医者様の治療が終わっても、だいぶうなされていましたし……何か、うわ言のようなことをつぶやかれていましたよ? サクヤ? とか、ベルヒカ? とか」


 ――夢以外でその名を聞くのは、いつぶりだろう。


 反射的に何かを口にしようとして、それが危険なことだと気づく。

 身の上を語れば、ソフィア嬢は俺の正体に勘付くかも知れない。

 それだけは避けなければならない。


 結局、俺は月次な台詞を口にした。


「もったいないお言葉。お心遣い、感謝しますよ。ソフィア君」

「いえ、こちらこそ、です。体を張ってわたしを守ってくれた恩人ですから、これぐらいのことは当然ですっ」


 ソフィア嬢は曇りのないルビーの眼差しで、俺を見る。

 きっと彼女は、俺が善意から行動を起こしたと思っているのだろう。あるいは、騎士として立てた誓い故に、とか。

 

 だが、俺だって当然のことをしたまでだ。謙遜ではなく。

 どんな理由であれ・・・・・・・・、彼女が最優秀勇者候補生――“黎明の御子ルシファー”になれなければ、死ぬのは俺なのだから。

 自分の命を守ることをためらう奴が、どこにいる?


「俺は護衛の仕事をしただけ。死にかけたのは、俺自身がミスを犯したからです。それに――」


 続けようとして、どう言葉にすべきか迷う。


「……それに?」

「あなたの目の前で、暗殺者――アイーシャを殺してしまった」


 避けられないことだったと、俺自身が割り切ることはできる。

 けれど、ソフィア嬢はそうではないはずだ。


「……アイーシャは、無口だけど生真面目なメイドでした。あまり人付き合いが良さそうには見えなかったけど、それも彼女の性格なんだろうって」


 白い頬に落ちる影。

 揺れるランタンの光が見せた錯覚ではなく。


「わたしがもう少し、彼女と親しくしていて……早く正体に気づいていたら。こうなる前に、他の道を見つけられたのかも」


 凶行に及ぶ前に捕えていれば、アイーシャを生かしておく選択肢があったのだろうか。


 ……俺は頭を振った。


「そんな風に考えるのはやめた方がいい。彼女の死は、ソフィア君のせいではありません」

「でも。わたしはモーニングスター家の娘です。これまでだって、何度も命を狙われてきました。その度に、誰かが死んできたんです。護衛の方、犯人の方、巻き添えの方――他の誰かが」


 ソフィア嬢が吐き出す言葉は、悲しみとも恨みともつかない。

 ひどく静かで、だからこそ痛々しい。


「お母様は勇者ブレイヴになれ、と言いますけど……わたしが勇者ブレイヴになるかもしれない、という可能性のために、一体どれだけの人が犠牲になるんでしょう」


 少女の赤い瞳が、揺れる。

 今まで目にした血溜まりを映すように。


「わたしは。どうせなら“器”でいたいんです。血なんて見たくない。戦いたくない。自由でいたい」


 俺は。

 答えを探した。


 まるで物語に描かれた愚かな騎士のように。

 目の前の少女を救う答えを、本気で。


(……そんなもの。あるはずがない)


 分かりきっている。


 俺は勇者でも英雄でもない。騎士ですらない。

 言葉でも行動でも、どんな方法だろうと、ソフィア嬢を救うことはできない。

 彼女を解き放つことなどできない。


 俺にできることは――ただ、指摘するだけ。


「君は優しい人ですね。ソフィア君」

「……わたしが、ですか?」


 俺は頷き返す。


「救いたいんでしょう。周りにいるすべての人を。死んでいった騎士も。自分に刃を向けた暗殺者さえも」


 初めて気づいた、とでも言うように。

 ソフィア嬢が目を瞬かせた。


「だからこそ、君は“黎明の御子ルシファー”に――勇者ブレイヴになるべきです。誰よりも早く、強くなれば。少なくとも、目の前の人は救える」


 詭弁だ。

 だが、俺に言えることはこれしかない。


「……“剣”では敵を救えないじゃないですか。お母様は、敵は必ず滅ぼしてきました。どんな犠牲を払っても、容赦なく」


 胸の内でくすぶる高い理想に火をつければ、ソフィア嬢を変えられるかも知れない。

 俺はなんとしても、彼女に最優秀勇者候補生ルシファーになってもらう必要があるのだから。


「君はアメリア少将じゃない」

「でも、周りの騎士達はみんな、母こそが始祖を超える最高の勇者ブレイヴだって」

「君は君だ。どういう勇者ブレイヴになるかは、なってから決めればいい。自分自身の意志で」


 帝国の象徴たる『勇者ブレイヴ』になったとき、どんな選択肢が残されているのか。

 個人の意志がどれほど尊重されるのか。

 俺のような死刑囚が知るはずもない。


「……そんなことを言ってくれたのは、カズラ先生が初めてです。みんな、お母様こそが理想だ、お母様のようになれって」


 こんなのはただのでまかせだ。

 実績に基づいている分、周りの騎士達の方がよほど誠実だろう。


「上官である少将を褒めるのは騎士の習い。俺はただの、家庭教師ですから」

「そういうもの、なんですか」


 俺は笑って答えを濁した。

 実際のところ、俺を雇っている人こそアメリア少将に他ならないのだけど。


「……わたし。なんだか、やる気が出てきましたっ!」


 ソフィア嬢の目に光が戻る。頬には赤みが差していく。


 悪くない。

 瞳に宿る輝きは、彼女が持つ最高の才覚だ。


 ソフィア嬢は俺の手を強く握って、


「先生のこと、もっともっと知りたいですっ」


 そう宣言した。


(……その情熱を、戦闘用スキルの習得に向けてほしい)


 星を散りばめたような笑顔を前に、俺は切り返すこともできず。

 胸中で溜息をついた。

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