第6話 少しでもマシな地獄へ行けるように

 わずかに舌に触れただけだというのに、痺れはすぐに全身へと回り。


 すかさず俺が習得している常時発動パッシブスキル【毒物耐性アンチ・ポイズン】が、毒を中和してくれる。


(クソ、これは――普通の毒じゃない)


 常時発動パッシブスキル。

 意識せずとも体内のマナを操作し、恒常的にスキルを発動させるというのは、当然ながら簡単なことではない。スキルの種類によっては文字通り血の滲むような修練が必要になる。


 特に【毒物耐性アンチ・ポイズン】のような偏執的なスキルの習得には、命を落とす危険がある。

 様々な毒を実際に服用した上で、自らのマナで中和し解毒する訓練など、本来なら自殺行為以外の何物でもない。


 俺だって、望んで身につけた訳じゃない――ただスキル適性が高かったと言うだけで。


(スキル習得度ランクはA。大抵の毒物なら無効化できる、が、この毒は)


 作用が強い――おそらくはスキル【毒物生成クリエイト・ポイズン】によって生成されたマナ由来の毒物。


 俺は痺れが残る手でソフィア嬢のフォークを掴むと、弾いて捨てた。


「先生、何を言って――まさか」

「毒だッ! 全員、その場から動くなッ!」


 椅子を蹴って立ち上がりながら、周囲の人間を――料理に毒を盛った容疑者を確かめる。


 給仕、厨房から食堂まで料理を運ぶメイド、厨房にいるシェフ、アシスタント達――


(どうして俺の皿に毒が――俺を狙って? いや、意味がない。俺はただの巻き添えだ)


 犯人――【毒物生成クリエイト・ポイズン】スキルを持つ暗殺者の狙いは、当然ながらソフィア嬢だろう。

 帝国騎士団の実質的リーダーの娘で次代の勇者ブレイヴ候補ともなれば、消えて喜ぶ人間は決して少なくない。


(わざわざ屋敷に忍び込む危険を犯してまで毒を盛ったんだ。敵はなんとしてもソフィア嬢を殺したいはず)


 俺が邪魔した程度で、諦めるはずがない。

 それどころか、今を逃せば二度とチャンスは訪れないだろう。潜伏に気づかれた以上、見つかるまで捜索の手は緩まない。


 つまり、敵はすぐにでも次善の策――強硬手段に出るはずだ。


「さっきのメイド――ジェニー! 君は、すぐに警備部隊を呼んでくれッ」

「へぇい!? アタ、アタシですかい!?」

「バカ、ジェニー! 急ぐんだよ、舌噛んでる場合かい!」


 どう考えても暗殺者には見えなかった、噂好きのメイドに声をかける。

 あたふたしながら駆け出す彼女達を見届ける間もなく。


「――死ねっ」


 殺意の籠もった声と小さな毒針は、同時に俺の元へ届いた。


 【投擲スローイング】スキルで放たれた毒針の数は三本。

 一本でも掠めれば戦闘不能だというのに、この念の入れよう。

 間違いなくプロフェッショナルだ。


 俺は引っ張り上げたテーブルクロスを振るって針を叩き落としながら、足元の椅子を蹴り飛ばした。

 食堂の入り口から走り込んできた暗殺者――メイド姿の小柄な少女――は、椅子をかわすために足を止めざるを得ない。


 その隙に、俺は食卓をひっくり返した。

 飛び散るソースとワイン、磨かれた床の上を跳ねる牛肉。


 ああ、もったいない。

 なんてことを考えている余裕はなく。


 ソフィア嬢を抱き上げると、テーブルの影に押し込む。


「なっ、えっ、先生っ!? 今ぎゅーって、あっ違う、メイドのアイーシャが、針を――」

「黙って目を閉じて耳を塞いだら、数字を十まで数えていなさい」


 それまでには終わらせる。


 動揺のあまり、いつも以上に激しいソフィア嬢の反論には一切耳を貸さず、俺はメイド風暗殺者――アイーシャとやらを振り向いた。


「新入りの家庭教師かッ! お前が余計な真似をしなければ、お嬢様を楽に死なせてやれたのにッ」

「自分の失敗を他人のせいにするな、三下」


 もとは年相応だったはずの丸っこい顔を怒りに歪め、メイドが床を蹴る。

 翻ったエプロンスカートの下、ガーターから抜き放たれる無骨なナイフ。


「平和ボケした娘が勇者になってもらっては困るのだッ! 今ここで死なせるのが慈悲よッ」

「死の天使気取りか。使い捨ての暗殺者風情が」


 対する俺の武器といえば、さっき掴んだ真っ白なテーブルクロスと、拾い上げた肉切り用のナイフだけ。


「黙れ――地獄で後悔しろ、家庭教師ッ」


 残り少ないであろう毒針の乱射。

 なりふり構わず殺しにかかってくる――俺を殺し、次はソフィア嬢を。


(確かに、今のソフィア嬢なら殺せるかもな)


 どれだけ『勇者ブレイヴ』としての素質があっても、ソフィア嬢に慣れ親しんだメイドを殺す胆力は無い。

 そしてアイーシャは――訓練された暗殺者は、殺されない限りソフィア嬢を必ず仕留める。


(ならば取れる手は、一つしかない)


 俺は左手のテーブルクロスを広げる。

 アイーシャの視界を塞ぐように。

 当然ながら彼女は意に介さない――広がった白布を一瞬でくぐり抜け。


「――くたばれェッ」


 またたく間に彼我の距離を詰めたアイーシャは、俺の腹にナイフを突き入れた。


「――――ッ!!」


 刃をひねって腸を引き裂く徹底ぶり。

 これでもう、どんなスキルでも治療できない。


 俺は死んだ。他の護衛の到着は間に合わない。

 次に死ぬのはソフィア嬢。


 その場にいた誰もがそう思った。

 アイーシャ自身、勝利への確信に口元を歪める。


 だが。


「――あ、ぐ、な……なん、だ、と――?」


 刃が突き刺さっていたのは、アイーシャの方だった。


 銀のテーブルナイフが、まっすぐに頸動脈と気道を貫いていた。

 さっきまで俺が使っていた――そして今も俺の手に握られているナイフ。


「……安い挑発に乗ったな。お嬢様を毒殺できなかったのが、そんなに悔しかったか?」

「貴様――一体、どうやって――」


 テーブルクロスをアイーシャに向かって広げた瞬間、俺のスキルは発動していた。

 【空蝉ウツセミ】。

 最上位の幻覚系スキルであり、マナを駆使して一時的にもう一人の自分自身を造り上げる技。


 ナイフで突き刺されたのは、マナによって造られた俺の偽物だったのだ。

 そのとき本物の俺は、既に死角をついてアイーシャの背後に回っていた。


「方法を説明してもいいが、残り少ない命を無駄にしない方がいい」

「なん、だと……」

「祈っておけ。少しでもマシな地獄へ行けるように」


 耳元で告げながら、俺はテーブルナイフを抜き取った。

 刃を滑らせ、動脈と気道を引き裂きながら。


「――が、ぴ、ひゅっ、ひゅうぅっ――」


 アイーシャが祈りを口にすることはできなかった。

 何かを口にしようとしても、喉に開いた穴から空気が漏れるばかりで。


 俺も、聞きたくなかった。

 失敗した暗殺者が何に祈るかなんて、知る必要のないことだ。


 ……もがきながら息絶えた少女の身体を横たえ、俺は溜息をつく。


「怪我はありませんね。ソフィア君」

「……はい。先生」


 横倒しになったテーブルから顔を覗かせて、ソフィア嬢はすべてを見届けていたようだった。

 徹底的に教師の言うことを聞かない生徒だな。


「すみません、ソフィア君。せっかくの……晩餐を、台無しに、して、しまっ、て――」


 言い切る前に、俺は昏倒した。


「――先生っ!? 先生、しっかりしてください、先……――」


 ――どうやら【空蝉ウツセミ】を使ったせいで、【毒物耐性アンチ・ポイズン】を発動するためのマナが足りなくなったらしい。


 モーニングスター家お抱えの医師が高レベルの回復スキル使いで良かった。

 でなければ、間違いなく俺も死んでいただろう。


 死刑から逃れるためにこんな仕事をしているはずなのに。

 我ながら馬鹿な真似をしたものだ。

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