【短編】無能の聖女

蘭駆ひろまさ

無能の聖女

 ――美少女に生まれ変わりたい


 アラフォーのおっさんにもなって、そんな事をずっと考えていた。


 俺――根元明久はこれまで、中学高校とそれなりに真面目に勉強してきたつもりだ。……まぁ、たいした大学には入れなかったけど。


 大学卒業後、地元のスーパーに就職。残業残業のブラックな毎日。仕事で失敗し上司や客に叱られ、バイトの陽キャっぽい高校生に冷たい目で見られ、友達も彼女もおらず朝から晩まで仕事して帰って寝るの繰り返し。休日はアニメとゲーム漬け……と言いたいが歳のせいか最近はめっきり飽きっぽくなり大好きだったアニメもゲームもあまり消化出来ていない。家に帰ると、親からいつ結婚するのかこのダメ息子と罵られる。


 俺はニートでない事だけが救いの、絵に描いたようなハゲチビデブでコミュ障のオタクだった。


 ――なんのために生きているのだろう?


 そんな疑問を日々抱き続けていた。


 ――もし俺がJCの美少女だったなら。


 きっと周りの人々に可愛い可愛いとちやほやされ、ネットでゲーム実況なんかを動画配信して投げ銭で何百万何千万と稼ぐことが出来たに違いない。


 世の中の美しい女性は、その美を維持するために化粧に美容にダイエットに並々ならない努力をしているだろうし、コミュ力が無ければたとえ美人でも人は集まらない、って?

 これでもいい社会人だ。そんな事は言われるまでもなく理解してはいる。

 

 それでも、そんな益体もない考えを抱いてしまうのだ。


 そんなことばかり考えていたせいだろう。


 ある日、俺は仕事中に突然激しい胸の痛みにみまわれて昏倒した。


 バイトの美人の女子大生が「大丈夫ですか?」と声をかけてきたが、その手はうろうろと彷徨うばかりで、俺に決して触れようとはしない。


 ――こんな状況になっても、俺に触るのが嫌か?


 そんな事を考えながら、俺は意識を失った。



◇◇◇◇◇



「お嬢様方、お茶が入りました」

「ありがとう、エイリーン」

「……ありがとう」


 メイド服を着たエイリーンというメイドが、慣れた所作で机に紅茶を出してくれる。お礼を言うのは、俺と目の前に座る6歳の幼女。


 ――そしてなにより


 その前に座る俺も6歳の美幼女なのだ!


 そしてここは異世界! そう、あの日あの時職場で意識を失った俺は、気がづくとこの異世界で転生し女児として生を受けていた。


 初めは若干混乱もしたが、現状を理解した俺は狂喜乱舞した。なにせ、夢にまで見た異世界、剣と魔法の世界だ。そして、俺はかつて願っていた通り、女性として生を受けた。もちろん、赤ん坊の時点では将来美少女になるかなんて分からなかったが、俺は順調に美幼女へと成長した。


 輝くような金髪はきらきらと輝きゆるいウェーブを描き、目はぱっちりと美しく、肌はきめ細かく粉雪のようだし、全体的にぷにぷにと柔らかそうで、かつてネットで見たどんな幼女よりも可愛らしかった。


 鏡の向こうの自分に惚れそうになったね。


 前世でこんな美幼女を見つけたら、衝動的に攫っていたかもしれない。駄目だが。


 今の俺の名前はオフィーリア・オルグレン。


 オルグレン男爵という貧乏男爵家の一人娘だ。

 父親であるオルグレン男爵はこの国の王都で文官として働くいわゆる法衣貴族だが、悲しいかな特に優秀という訳ではないようで、生活はあまり裕福とは言えなかった。もちろん、両親と俺と、いま目の前で紅茶を入れてくれているこの家唯一の使用人であるメイドのエイリーンが、特に食うに困らない位の生活は出来ているのだから文句を言ってはバチが当たるだろうと分かってはいる。


 ……ちなみに、エイリーンは美しい名前だが、40代のおばちゃんだ。まぁ、前世の俺と歳はたいして違わない訳だが。


「……でも、フィーはなんでもできてうらやましいな。わたしは、なにやってもぜんぜんで……」


 目の前に座る幼女――クラリッサがぽつりとこぼす。


 クラリッサは艶やかなストレートの茶色の髪がきれいで、たれ目ぎみの癒し系の美幼女。まぁ、王国一の美幼女である俺ほどではないが、なかなかの美幼女だ。前世で見かけていたら、スマホのカメラに収めたうえ尾行して家を突き止めようとしていたかもしれない。駄目だが。


 ちなみの彼女の家であるハフィントン男爵家もうちに負けず劣らずの貧乏男爵。ハフィントン男爵はうちの父親の同僚で友人であり、その縁で家族付き合いがありクラリッサとは一緒に遊ぶことが多かった。


「そんなことないよ? クレアだってがんばっているよ?」


 俺はクラリッサにそう返してやる。

 ちなみに、フィーは俺の、クレアはクラリッサの愛称だ。


「でもでも、フィーはべんきょうもできるし、まほうだってすごいし……」


 クラリッサの言葉が尻すぼみになり、しょぼんとしてしまう。


 彼女は事あるごとに俺の事をスゴイと持ち上げてくれるし、それは素直に嬉しい……というかもっと欲しい位なのだが、こちとら前世はアラフォーのサラリーマンだったのだ。正真正銘6歳の幼女に勉強で負けてしまったら、首くくって死ぬしかない。


 それに、このオフィーリアの体のスペックは素晴らしい。


 若いせいもあるかもしれないが、勉強したことが海綿が水を吸う様に頭に入ってくる。理解力も高くまさに1を聞いて10を知る、という位に次々と新しい事を吸収できた。前世でもこれだけ頭が良ければなぁ、と思うことしきりだ。


 そして、魔力。


 この世界の人々には、魔力の属性というものがあった。

 地・水・火・風・光・闇の5属性の魔力があり、人はどれか1つの属性を得る。これは王族だろうが貴族だろうが例外は無く必ず1つの属性というのが常識だったが、俺だけは光と闇の2つの属性を持っていた。


 これは、おそらくだが俺が前世の記憶を持つ転生者だからなんじゃないかと思っている。だれもが1つの属性、というならオフィーリアと根元明久でひとつづつ。オフィーリアが光の魔力、根元明久が闇の魔力――もっとも、逆かもしれないが――という事なのではないだろうか?

 他人に言っても信じてはもらえないだろうから、誰にも言ってはいないし検証等もしてはいないが。


 なんにせよ、これを知った時の両親の驚きと喜びようは凄かった。


 特に、国王陛下の耳に入って祝いの言葉が届いた時は、母親は喜びすぎて失神してしまったほどだ。俺としても非常に嬉しかったし、まさに絶頂というべき気分を味わったのを覚えている。


 これで、将来美少女になってちやほやされて投げ銭――は無いか、貢いでもらって左うちわで暮らす計画はまさに安泰といった所だ。


「わからないところは、おしえてあげるよ? いっしょにべんきょうしよ?」


 俺はクラリッサに微笑みかけてやる。


 天才美幼女の俺だが、見た目だけで嫌なガキだと思われないように、才色兼備完璧美幼女ムーブは欠かせないのだ。



◇◇◇◇◇



 その日は、俺と両親と、クラリッサ達ハフィントン男爵一家で王都の外れの丘にハイキングに来ていた。

 エイリーンはお留守番だし、貧乏男爵家には配下の騎士などいないので、貴族の遠出だというのに本当に6人だけだ。


「フィー、あっちにおはながさいてるよ!」


 花畑を見つけて走り出すクラリッサ。


 両親たちはお弁当などを広げて昼食の用意をしていたのだが、興味を引くものを見つけたクラリッサが突然駆けだしたのだ。 


 両親ズが「あまり遠くにいかないようにね」と呼びかけるが、聞こえているのかいないのか、クラリッサは一目散に花畑に向かって走っていく。


「まってよ、クレア!」


 しかたないな、と内心苦笑する。

 まったく子供は手がかかる、と思いながらクラリッサを追いかける。


 クラリッサは少し離れた花畑で一心不乱に花を摘んでいたのだが、その時――


「ギャオオオーーーン!」


 どこから現れたのか、突然頭上に魔物が現れる。

 鷹のような翼と頭部、そしてライオンのような下半身――


「グリフォン!」


 思わず叫んでいた。

 

 クラリッサは大きく目を見開き硬直していた。

 

 背後の両親たちも何か叫んでいたが耳に入ってはこなかった。


「にげて――!」


 声を上げるが、その時無情にもグリフォンの前足が振り下ろされ花畑に赤い華が咲く。


「クラリッサーー!」


 駆け寄る。


「くっ、ファイアランス!」

「クレアから離れろ! ウインドカッター!」


 父親とハフィントン男爵から魔法が放たれ、ひるんだグリフォンがばさりと羽ばたき、高度を取って行く。

 だが、俺はそんなことは目に入っていなかった。


 なぜなら


「――っ」


 思わず息を呑んだ。


 クラリッサの身体は袈裟懸けにぱっくりと切り裂かれ、左腕は途中で切り飛ばされていた。

 どくどくと流れる血。


 「…………あ……」


 言葉が出なかった。

 明らかな致命傷。


 今にもクラリッサの命は失われようとしていたが、俺はがくがくと震えるだけで何もできなかった。前世でただのサラリーマンだった俺は、クラリッサから流れる血を見だけで頭が真っ白になり、どうしていいのか全く分からなかったのだ。


 だが、剣と魔法の世界に生きる貴族である父親は違った。


「フィー、魔法だ! 光の魔法だ!」


 はっとする。


 そうだ、光の魔法は癒しの魔法。人の傷を癒すことが出来る。


「……ヒ、ヒーリング!」


 唱えると、クラリッサの身体がぽわんと白い光に包まれる。


 包まれるが――


「駄目だ! 傷が深すぎる! 光の魔法で癒せる範囲を超えている!」


 ハフィントン男爵が悲痛な叫びをあげ、夫人が悲鳴を上げる。


 このままでは――


 脳裏にクラリッサのふにゃふにゃとした笑顔が浮かぶ。


「しなせない! ぜったい!」


 思わず強く、強く叫んでいた。


 前世でもこれほど強く何かを願ったことは無かったかもしれない。キモオタだった俺だが、こんな俺だがこの世界には魔法がある!


 こんな俺でも人を、人を救えるはずだ!


 そう思った瞬間、俺の身体から黄金の輝きが立ち昇る。


「き、金色の魔力? なんだこの輝きは!」


 父親が叫ぶが、本能的に俺は理解した。


 これは光の魔力と闇の魔力が融合した、金の魔力。

 世界で俺だけが使える、黄金色の再生の奇跡。


「リザレクション!」


 唱えると、クラリッサを黄金の輝きが包み込んだ。



◇◇◇◇◇



 あれから大変だった。


 クラリッサの傷は、あれほどの出血が嘘の様に綺麗に癒えた。

 わんわんと泣き感謝の言葉を繰り返すハフィントン男爵夫妻。


 そしてこの話は貴族の社交界に広がり、ついには国王陛下の耳にも入った。


 誰が言い出したか、ついた名前は黄金の聖女。

 あらゆる怪我や病気を癒す、神の遣わした奇跡の女神。


 実際、唱えると死んでさえいなければありとあらゆる症状を癒すことが出来た。原因不明の病気や毒だろうが胴が真っ二つになろうが、お構いなし。なにもかも一瞬で完治した。


 しかもその魔力はまさに無尽蔵とも言うべきで、奇跡と呼べる様な魔法を何度使っても全く疲れを感じなかった。そして助かった人は滂沱の涙を流して感謝し、人々は俺を奇跡だ女神だ聖女だと褒め称えるのだ。


 俺は大変気分が良かった。これはまさに俺がかつて夢見た世界そのものだった。


 貧乏貴族だったオルグレン男爵家を取り巻く環境も一変した。

 収入はどんどん増え、食事はどんどん豪華になり、使用人は増え屋敷もどんどん大きなお屋敷に移り住んだ。貴族にとってコネは力だ。顔が売れれば売れるほど、他の貴族に貸しが出来れば出来るほど、オイシイ話が転がり込む。


 4年経ち俺が10歳になる頃には、男爵だった父親は伯爵となり役職を持ち、俺は王国一の美少女と言われ将来は王太子妃となるのは確実とまで言われていた。


 そう、美少女だ。


 そのふわふわとした金の髪はまるで絹のように滑らかで輝くような艶を放ち、その瞳は二重でぱっちりと愛らしく、そのすらりとした曲線を描く身体は未熟な少女特有の壊れてしまいそうな危うい魅力を放っていた。

 もし前世でこんな美少女を見かけていたら、後先考えず襲い掛かっていた事間違いなし。その後警察の御厄介になろうとも、我が人生に一片の悔いなし、と言えるであろう絶世の美少女だ。駄目だが。


「フィー、ここが分からないんだけど」


 今、目の前で参考書に向かってうんうん唸っているのはクラリッサ。

 エイリーンはいつもの様に、後ろに立ち紅茶を入れてくれている。


 あの後、クラリッサは俺に大変感謝して、どこに行くにも俺に付いてくるようになった。ちょこちょこと俺に付いて来て、フィーはスゴイスゴイと俺を持ち上げ俺の自尊心を満たしてくれる可愛い奴だ。


「ここは、こうなってね? そしてこっちは……」


 こちとら、前世と合わせてアラフィフなんだよ。10歳児に負けるわけにはいかんのよ。そんな事を考えてながら教えてやると、クラリッサは「フィーはすごいね」とふにゃっと微笑んだ。


 その純粋な微笑みに思わずどきりとする。


 前世ではこんな純粋な好意を向けられる事は無かった――と思う。


 このところ気になっていることがある。


 どうも前世の事をはっきり思い出せなくなっているのだ。

 前世の事を考えるとき、だった筈だ、だったと思う、という曖昧な形でしか思い出せない。小学生の時やりこんだゲームのタイトルも、好きだったアニメのキャラもおぼろげにしか思い出せない。


 時間が経てばそういう事もあるか、とは思うが不安になる。

 とはいえ、前世はロクな人生じゃなかった事は間違いないのだ。俺はこっちでオフィーリア・オルグレンとしての人生を謳歌している。無理に前世の事を思い出したいとは思わないし、その必要もない。

 そう、その筈だ。


「フィー、最近考え込むことあるよ? 疲れてない?」


 心配そうに首を傾げたクラリッサに、「大丈夫だよ」と声をかける。


「でもでも、明日は大けがした騎士さんの所だっけ? 毎日毎日いろんな人のところ行って癒してあげて……。そんなフィーのことスゴイと思うし尊敬しているけど、心配だよ……」


 しゅんとするクラリッサ。

 

 そう、俺は辻ヒールよろしく毎日の様にあちこちで人を癒して回っていた。


 貴族を癒せば貸しになってゆくゆく返ってくるし、平民を癒せば下々の者にも分け隔てない慈愛の聖女だなんだと崇めてくれる。俺はちやほやされて嬉しい、みんなは怪我や病気を癒してくれて嬉しい、まさに完全無欠、理想的なwinwin。幸せの永久機関と言ってもいい。


 忙しいは忙しいが、俺は楽しくて仕方がなかった。


 ロクでもない前世の事なんて思い出せなくても構わない。

 これが俺の理想の世界なのだ。


 俺はふたたび「大丈夫だよ」と声をかけたが、クラリッサの寂しげな微笑みが何故か脳裏から離れなかった。



◇◇◇◇◇



「リザレクション!」


 その日は、とある病気の公爵夫人の治療だった。

 病魔に侵されていた老齢の女性の身体を黄金の輝きが包み込み、荒い息を吐いていた夫人の表情が穏やかなものに変わる。


「おお、さすがは黄金の聖女様だ!」


 老齢の公爵は大変感謝し、オルグレン家に対して必ずこの大恩に報いることを確約してくれた。俺も笑顔で返す。これで俺を取り巻く環境はより一層すばらしいものになるはずだ。


 なおも感謝の言葉が止まらない公爵に「お花を摘みに」と一言告げてその場を辞退する。公爵夫人の寝室を離れ、人気のない通路にたどり着いた時、俺はガクリと膝から崩れ落ちた。


「……はあっ、……はあっ、……う、うぷっ……」


 動悸、息切れが一気に襲ってきて、込み上げてくる吐き気を抑え込んだ。


 冷や汗がだらだらと止めどなく流れ落ちていく。


 俺は14歳になっていたが、数年前から金の魔力を使用したあと疲労感を感じるようになった。そこからは転がり落ちる様だった。

 初めは疲労する程度だったのが、使用するのが辛くなり、次第に苦痛を伴うようになり、今ではまるで命を削るかのような激痛を伴うようになっていた。


 「…………うぷっ……ヒ、ヒーリング」


 唱えると、俺の身体を白い光が包み込む。

 少しだけ、ほんの少しだけ体が軽くなる。


 光の魔法なら、昔の様に無尽蔵とはいかないが特に不自由なく使用することが出来た。問題は闇の魔力だ。闇の力が湧いてこない。闇の魔力を絞り出すために、身を切り裂くような激痛を覚悟する必要があった。


 そう、闇の魔力が無ければ光と闇の混合魔力である黄金の魔力は使用できないのだ。


 そして――


「両親の顔が思い浮かばない……」


 俺は茫然と石造りの床を見下ろした。


 前世の両親の顔も名前も浮かんでこない。

 俺は……サラリーマンだったはずだが、どこで働いていたか思い出せない。学校で友達とかもいたはずだが、誰一人として思い出せない。


 こうなると嫌でも理解させられた。


 前世の記憶が失われるにつれ、前世の俺の人格が有する闇の魔力もどんどん失われて行っているのだ。今世のオフィーリアが有する光の魔力は特に問題ないことからも、それは明らかだ。


「俺の名前は……なんだっけ……?」


 呟く。


「いや、……根元……明久。そう、根元明久だ。俺は大丈夫、大丈夫だ」


 そう、俺は根元明久でオフィーリア・オルグレン。

 黄金の聖女で王国一の美少女。俺にしか扱えない金の魔力で、人々の怪我と病を癒す、黄金の聖女オフィーリア・オルグレンだ。俺の力と美貌に人々は感謝し、今の地位と名誉を手に入れた。


 大丈夫、大丈夫だ。

 俺はもう惨めな人生を送るのは嫌だ。


 みんなに認められ求められ、必要とされる素晴らしい人生を歩むのだ。


「フィー! だいじょうぶ?」


 通路の向こうからぱだぱたと駆けてくる、茶色の髪の美少女。


「……クレア?」


 のろのろと顔を上げると、クラリッサだった。

 汗びっしょりの顔に張り付いた金髪がうっとおしかった。

 

「どうしてこんなになるまで頑張るの? もう辞めようよ?」


 クラリッサがしゃがみ込み、ハンカチで流れ落ちる汗を拭ってくれる。


「……私は、聖女だから……。みんなの期待に応えないと……」


 吐き気を抑えながら答える。

 そう、単に自己顕示欲を満たすだけじゃない。救いを求めてくる人たちの期待に応えてあげたい、という気持ちもあるにはあったのだ。


「でも、フィーがこんなにぼろぼろになったんじゃ意味無いよ! このままじゃ死んじゃうよ!」

「……私がやらないと、うちはまた貧乏男爵家に……逆戻りよ。……せっかく収入も増えて裕福になったのに……。私が、私が頑張らないと……う、うぷっ」


 クラリッサが背中をさすってくれるが、吐き気は収まらず、ぐるぐると眩暈もしてきた。再度光の魔力をつかい、自分自身にヒーリングをかける。


「おじさまもおばさまも、絶対こんなこと望んでない! こんなのおかしいよ!」


 眩暈はぜんぜん収まらない。

 視界がぐるんぐるんと回る。


 クラリッサが何か叫んでいるが、ほとんど耳に入らなかった。

 「大丈夫」「大丈夫」と繰り返しクラリッサを宥める。


 が


「フィーのバカーーーーーーー!」


 ぱちーん、と甲高い音が響き渡った。


 クラリッサに叩かれた、と気づくのに時間がかかった。

 俺の後ろをついて来て俺をヨイショするだけのクラリッサが、だ。


「な、なにを……」


 俺の意識はすでに眩暈と吐き気で朦朧としていた。

 頭はくらくらとし、ほとんど思考は働いていなかった。


 だから


「フィーのわからずやーーーーー!」


 再度クラリッサの腕が飛んだ時、思わず叩き返していた。


「なにするのよ!」

「フィーがわたしを見てくれないんだもん! フィーが悪いんだもん!」


 また叩かれる。

 視界はくらくらと揺れる。


「私は! 聖女なの! みんなに認められたいの! 1人の人生は嫌なの! みんなに愛してもらって幸せになるの!」


 だからだろう。

 普段なら絶対に言わないだろう事を叫んでいた。


「私から聖女の力が失われたら、ぜったいみんな離れていく! 陰口を叩き後ろ指を指して、私を馬鹿にするのよ! だから! わたしは! 聖女じゃないといけないの!」


 ふたたびクラリッサを叩き返した。


 2人でぽかぽかと叩きあう。


「もっとわたしを見てよ! わたしを頼ってよ!」


 クラリッサが叫ぶ。

 

 見ると、クラリッサは泣いていた。

 その優し気な瞳から、ぽろぽろと涙をこぼしていた。


「知ってた? わたし、薬学の勉強始めたんだよ? フィーが頑張って力使わないでも、薬草を使ってみんなの病気を治してあげられるように!」

「クレア……?」


 思わず茫然としていた。


「知ってた? お父様とおじさまはフィーのおかげて増えたお金を使って治療院を始めたんだよ? 高名なお医者様を呼んで、フィーに頼らなくてもみんなの怪我を治してあげられるように!」


 クラリッサの顔は涙やなんやでぐちゃぐちゃだったが、不思議と目を離せなかった。


「知ってた? フィーが助けてあげた騎士さんや兵士さんは集まって自衛団を作って町の巡回と警備を始めたんだよ? 事故や喧嘩で怪我をする人が少しでも減るように! フィーの負担が少しでも減るように!」


 知らなかった。


 そんなこと、全然知らなかった。


「みんなみんな知ってたんだよ? フィーの具合が悪い事! フィーが頑張りすぎる事! だからみんなで話し合って……話し合って……わああああああん!」


 クラリッサはわんわんと泣いていた。

 子供という歳でもないのに、まるで小さな子供の様にわんわんと泣いていた。


 いつの間にか、俺もぼろぼろと泣いていた。

 

 何故だか分からないが、涙が止まらなかった。


「わたし、フィーが好き! 好きなの。大好きなの! だからもっと頼って欲しいの! フィーにずっとずっと笑っていて欲しいの!」


 子供の様に泣きじゃくるクラリッサの顔はぐちゃぐちゃだったが、俺はそれを美しいと感じていた。前世の記憶はもうほとんど無くなってしまったけど、ずっとずっと求めて止まなかったものがここにある、そんな気がしていた。


「ごめん……ごめんね、クレア……」

「許さないの、絶対許してあげないの! フィーが幸せになるまで許してやらないの!」


 俺とクラリッサは、抱き合ってわんわんと泣いた。


 俺はクラリッサの事を、ちゃんと見ていなかったのだと気づかされた。

 前世と合わせてアラフィフだなんだと言っておきながら、俺は所詮コミュ障で、それはちっとも治ってはいなかったのだ。


 そしてこの日、俺は初めて心の底からクラリッサと向き合えたと感じた。



◇◇◇◇◇



 その後、俺――いや、私は魔力を使うのをやめた。


 体にかなり負担がかかっていたのだろう。金の魔力は勿論使えないが、光の魔力を使うのさえかなりの疲労を伴うようになってしまったのだ。


 貴族社会というものは魑魅魍魎の跋扈する世界。

 黄金の聖女と謳われた私の魔力が使えなくなった事が知れ渡ると、掌を返したような態度を取ってくる者は多くいた。貴族社会には数多くの派閥が存在し、それらは常に他派閥の足を引っ張る材料を探し目を光らせているのだ。


 彼らの暗躍の結果、一時は王太子妃確実と言われていたがそれはお流れとなった。公式に決まっていた話では無いので破談、というのとはちょっと違うが、決まりかけていた婚約が流れたという事実は私の貴族令嬢としての価値に確実に傷をつけた。


 そんな彼らは私の事を、無能の聖女、などと呼んで揶揄した。


 クラリッサは頬を膨らませてぷんぷんとしていたが、私は一向に構わない。


 王太子妃なんてこちらから願い下げだし、そもそも男と結婚なんてしたくない。


「フィー、早く行くよ?」


 クラリッサが私の横で、かわいく首を傾げる。


 今日はクラリッサと一緒に治療院で薬草治療をしに行く日だ。

 そう、私はあれからクラリッサと一緒に薬学を学び始めた。これが意外と難しく、そしてクラリッサは実はかなり努力を積んでいたようだ。いまだに薬学の知識ではクラリッサにかなわない。彼女に教わりながら学ぶ日々だ。


 金の魔力を使っていたころと違い、お手軽に一瞬で人を癒せる、という訳ではないが様々な人の話をよく聞き症状を考慮して試行錯誤するのは、なかなかに楽しい。

 治療してあげた人たちも、感謝してお礼に野菜なんかくれたりする。

 やせっぽちの野菜だが、これがまた美味しいのだ


「オフィーリア嬢、今日は治療院ですかい?」


 自衛団に所属する、なじみの騎士が声をかけてくる。


 彼はかつて私が金の魔力で治した人で、その後騎士を辞めて自衛団に専念することにしたらしい。一時は私に剣を捧げる、などと大仰な事を言っていたけど、それは止めさせた。

 

 私はそんな大層な存在じゃないよ。


 どこにでもいる、ただの平凡でちっぽけな人間だ。


 自分の事を上等な人間だと思い込み、大切な人達を悲しませてばかりだった。


 それに気付かせてくれたのは、隣を歩く大切なひと。


「最近はフィーが楽しそうで、わたしも嬉しいよ!」


 クラリッサはそんな風に屈託なく笑う。

 

 私こそ、クラリッサが笑顔でいてくれて嬉しい。


 クラリッサが笑顔でいてくれるなら、私は無能で――無能の聖女で構わないのだ。

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