序章_3 そして、少年は街に着いた
ガタン、と車輪が石を踏み、跳ねる。
しかし、内部はサスペンションが組まれ、尻を痛めるようなことはない。
豪奢な装飾に彩られた内装は素材にもこだわりをいれたのだろうか、随分と心地好く感じる。
ロバイドが喚びだした馬車はまったくもって快適に進んでいた。御者はいないにも関わらず、黒く豪とした体躯を持つ馬はそれ自体がはっきりとした知性を備えているかのように道を進んでいる。
「ですけど、よろしいですの? このような馬車、目立つに相応しいと思いますけど」
アルバントの隣に座すネツァがそのように言う。
彼女もまた、悪魔の姿ではなく、人間の姿へと変装していた。
細くはあれど、爛々と輝く目、しなやかな腕、近寄れば香る今様色を思い浮かべる花の匂い。
服装は侍女というより家政婦の服装に似た落ち着いたものであった。
対面に座すロバイドが返す。
「確かにこれではあまり我々が人間の姿をとった意味も薄いように感じるのは同意する。……しかし、私の手持ちではこれが最も貧相であったのだ」
ロバイドがいうには、どれだけ品質を下げたところで、この馬車が限度であるというもの。
アルバントが見渡す限り、まず、しがない一般人にはこの馬車だけでも豪華に過ぎるだろう、と考えられる。
伯爵階級という肩書は伊達ではないという証左だ。
「まぁ、わたくしはそのあたりは構いませんけど」
そう言ってネツァは外の景色を眺める。
アルバントもまたつられるように外に目を向ける。
一面の草原。まるで平和を象徴するようなのどかな風景だ。
そうして、しばらく馬車に揺られていると脳内に疑問が生じてくる。
「ねぇ、ロバイド。思ったんだけど、どうしてわざわざ旅なんてする必要があるんだい? 僕の友達になってくれるかもしれない誰かの居場所は、君達悪魔の住む世界だよね?」
世界とは、人や動物など、生命体に溢れた世界である源界、悪魔や死神などの魂を糧とし、もしくは扱う肉体を持たない者たちの集う冥界、天使、神、神に認められた者らの楽園である天界の三位一体から構成されているとどこかの書物に記されていた。
契約時、ロバイドの言葉を鑑みれば、アルバントの友達になるかもしれない誰かは悪魔であり、それはこの世界の冥界にいると考えられる。
ならばわざわざ源界をうろつく必要はあるのか。
「主の通りだ。だが、もとより冥界は人間の住める環境ではなく、また我々より高位の悪魔と繋がるならばこちらから喚びださねば関心は示してもらえぬだろう」
「じゃあ、その悪魔を喚ぶ方法は?」
「私と同様、召喚すればよい。そして、その悪魔召喚について記された書の位置は把握している」
それがこの馬車の向かう先ということだろう。
そう考えたところでロバイドが続ける。
「ただし、今は近くの街を目指してる。主も大分血を喪っている。仮令悪魔を従えようと人間であることは変わらぬ。休息が必要だろう」
そう言われて今更アルバントは自分の体調が普段より優れていないことに気づく。
具体的には血が足らないせいか少し眩暈がしているようだ。寝不足の時と似たような症状であったため気づくのが遅れてしまったのかもしれない。
「それは親切にありがとう。まさか悪魔から休息が必要って言われるとは思わなかったよ」
「初めて召喚するのが君で良かった」とアルバントは薄く微笑む。
「それは重畳」
ロバイドはそう言いながらも優美な所作で一礼する。
それを眺めていたネツァが話に加わってきた。
「本当に親切ですのね。いつも思うのですけど同じ悪魔か疑いそうですわ」
「私は何事も誠実を核としているのだ。そうでなければ、あの世界で我々が求められる機会は少ない」
「ふうん、そうですの」と目を細めたネツァ。悪魔にしては不思議な考え方をしている、とでも考えているのだろうか。
しかし、現にロバイドが言うように、アルバントは様々な書物でロバイドは誠実で信用たる悪魔であるとの記載があったために喚びだしたのだ。
悪魔が誠実など冗談かと当時はアルバントも思っていたが。
「やっぱり悪魔って人間をどうだますかってことを主軸に置くのかい?」
そう聞くと、ネツァは顎に指をあて中空を見る。
「そうですわね、わたくしたちとしては人間は欲深き群衆、そして怠惰で満足に肥えた餌。そういった認識ですわ。だからこそ少し欲を刺激してあげれば、あれもこれもと求めるようになる。そうやってわたくしたちは欲を膨らませ、搾り取れるだけの対価をいただきますの。突き詰めていけば騙すとは違いますわ。ただ、人間が振り返って勝手にそう言っているだけですもの」
「へぇ……あれ、でもそれなら対価が多かったのに僕とロバイドが友達になることができなかったのはどうして?」
ネツァの言う通りならば、悪魔は可能な限り多くの対価を得ようとする。ならば、先の契約でロバイドから言われた言葉と矛盾しているようにも思える。
「主よ、対価と格とはまた別の概念だ。仮令どれだけの対価を積まれたとしても不可能なことはある。貴殿の格は対価の次第で公平に立てるほど近くにはない。むしろ、対価を積まれるほどに貴殿の優位性があがってしまうだろう。それ故に私は貴殿を主と仰ぐしかないと述べたのだ」
つまり、似たような話に例えるならば国王と辺境の奴隷とでは友達になることはできないのと同じだろう。いくら国王が友達になろうと金銀財宝を奴隷に手渡したとして、奴隷は畏怖恐恐としてなおさら国王にひれ伏してしまう。
「悪魔は狡猾であるが、自身の手が届かぬ願いは決して叶えぬ。それが契約であり、そこに悪魔の不手際があるならば、悪魔は契約者の願いを叶えるまで永遠と付き添わねばならなくなる。それ故に私もまた不可能であると述べたのだ」
「なんだか、そんなに不可能不可能っていわれるとちょっと悲しくなるね。僕は格だとかまったく感じてないのに」
「しかし、周りの人間には確かに感じ取れていたのだろう。それこそ貴殿と周囲の人間では国の王と奴隷ほどに立場が違うともいえる。無意識に敬遠し、畏れるのも致し方なしと言える」
「はぁ」とアルバントはため息をついた。
「つくづく嫌になるね。こんな体質、僕には不要だっていうのに」
普通の人間なら、きっと友達ができていただろうに。
「でも、まぁ、今はいっか。だって、これから僕には素敵な友達ができるだろうから。過去の記憶に憂鬱になるのはほどほどにして、未来を楽しみにしようかな」
そしてまたアルバントは外を見る。そろそろ日が落ちるのだろう。黄昏た空が幻想的であった。
・
・
「主よ、私の言葉は覚えているか?」
「しっかり覚えているよ。僕はとある貴族の末子で、他の兄弟より優れていたため、上から疎まれ、僕自身そんな家にいるのが嫌だったから見聞を広げる旅と称して家とは半ば縁を切った。だから今は家名は名乗らず、信頼のおける家来と共に旅をしている、という設定だったね」
街の関所に近づいたところでやり取りされた会話だ。
「にしても、べったべたではあるね。というか、当たり前のようにこの世界には貴族とか奴隷とか、人が思い浮かべる中世のような世界観だったことを初めて知ったよ」
「この世界は殊更魔術との縁が濃く、地球とはまた別の道を歩んでいる。そして、ありふれているからこそ、目立つようなことはない」
「そんなものなのかな」
あまりにべたすぎて少し不安になると言えば事実だ。関所の検問であれこれと問答が起きたら面倒ったらありゃしない。
ちらりと意見を求めるようにネツァをみると、彼女はにっこりと微笑みを返す。
「問題ありませんわ。大鷲の君がそういうのならそうなるのでしょうし、もし何かあっても私の職能でどうにでもなりますもの」
”あらゆる病と傷を癒し、あらゆる人の情を惑わす職能”。アルバントは実際に見たことはないが、なるほど、それならば万一の際にも対応できるだろう。まさかただの人間が悪魔の力に抗えるとは思えない。
そうしてちびちびと前に進んでいき、ひとつ前の馬車で検問が始まったあたりでロバイドが御者の方へ回る。御者がいないことの疑問を持たせないようにとの配慮だろう。
「検問だ。この馬車は……貴族の方がお乗りになっているのか?」
外でロバイドと兵士が会話する声が聞こえる。
少しすると、馬車の扉が小さく開き、そこからロバイドの顔が現れる。
「主よ、兵士が一度顔を見たいとのことだ」
「あらあら、ちょっとした演劇の時間ですわね」
楽しそうにネツァが言う。
「演劇、か」とアルバントは苦笑する。貴族らしい振る舞いをしろ、ということだろう。
「いいよ、扉を開けてくれる?」と言うと、ロバイドは執事らしく、恭しい動作で扉を開く。
外にいたのは鉄の鎧を見に纏った二人の兵士。今更だが、昔の物語にしかいないような格好が当たり前の顔をしてそこに立っているというのは不可思議な心地がした。
兵士の方だが、ネツァの方をみて少し驚いたような顔をし、続いてアルバントをみてはっきりと顔を強張らせた。
「やぁ、すみません。何分今は体調が優れないもので、馬車の中からの対応であることをお許しください」
「い、いえ、こちらこそ、お時間を頂き恐縮でございます。……アルバント様でお間違いございませんか?」
「はい、いかにも僕がアルバントです。ただ、今は殆ど家とは縁を切ったようなものですから、どうぞ緊張なさらず」
貧血で思考が早くないせいか、ゆったりとアルバントは話す。
それがより高貴さにつながったのか、兵士二人は狼狽するように「あ、ありがとうございます」と口にする。
「何分、今の時勢貴族に扮する者も多くなっておりますので確認のためお目通しお願いいたしました。どうぞ、お通りください」
「おや、本当に顔を見せただけですけど、良いのですか?」
何か聞いてくるのかと思っていただけにアルバントは疑問を口にする。
「はい。確認すべき点は従者の方よりお聞きしました。真偽についても問題ないように思います」
「そう、ですか。ありがとうございます。それじゃあ、ロバイド、車を進めてくれるかい?」
一礼したロバイドは扉を閉め、馬車に飛び乗り、馬車を走らせ始めた。
関所を通過すると石造りの街の大通りにでる。中からでもわかる活気と、時代錯誤を感じずにはいられない街の様相。それらに目を奪われながらもついにアルバントは疑問のような感想を口にした。
「なんというか、拍子抜けしたよ。本当に顔見せだけで終わるなんて」
「ふふっ、それはご主人様だからですわ」
ネツァの言葉に「僕だから?」と返す。
「だって、あの兵士の顔を見たでしょう? 本当はいくつか確認しようとしたのでしょうけど、ご主人様の雰囲気に呑まれて、無意識に高貴な方であると納得してしまったのですわ。本物は言葉で多くは語らない、というそうですけど、ご主人様は存在だけでご自身を示して見せたのでしょう」
「僕としてはあまり納得したくないね、それ。こんな時だけ役に立つ僕の体質にイラついてしまうよ、まったく」
そう言って、アルバントは深く腰掛けた。
やがて、ゆっくりと馬車が止まった。宿に着いたようだ。
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